1. 治そうとするほど、癒しから遠ざかる
ヒーラーやセラピストであっても、多くの人が「病気や不調=問題」と考え、それを“取り除くべき対象”として扱いがちです。
しかしその視点の奥には、「病気は悪」「健康こそ正しい」という無意識の二元的な視点があります。
病気や不調に強くとらわれるほど、それを“越えるべき壁”や“立ち向かうべき敵”だと感じ、セラピスト側も「治してあげたい」という思いから、知らず知らずのうちに“共依存”の構図に入ってしまう。
その関係性の中では、ヒーラーもクライアントも氣を失い、枯渇していきます。
癒す人/癒される人という分離が、本来の調和から離れてしまうのです。
氣功の視点では、癒しとは「誰かを治すこと」ではなく、生命の秩序に還ること。
ヒーラー自身が内なる静寂に戻るとき、その場の氣が整い、相手も自然に整っていきます。
病は悪者ではない
氣功の視点から見れば、病は敵ではなく、
氣の偏りを知らせるサインです。
熱が出る、痛みが起こる、眠れない──
それらはすべて、内なるバランスを取り戻そうとする
生命の自然な反応。
つまり病は、癒しのプロセスそのものなのです。
それを恐れたり、抑えようとすると、
自然な循環が止まり、より深い歪みを生むことがあります。
病を排除せず、生命の声として聴く。
そこから本当の癒しが始まります。
2. 病は、生命からのメッセージ
心や身体の不調は、生命が秩序を取り戻そうとするサインです。
熱・痛み・倦怠感──それらはすべて自己調整のプロセス。
抑えつけるのではなく、その声を“聴く”ことが癒しの第一歩です。
東洋では古くから「陰極まれば陽に転ず」と言われます。
病という“陰”の体験の中にも、再生という“陽”の芽がすでに息づいている。
それを観る眼が育つほど、私たちは「治す」から「還る」へと意識を移すことができます。
3. 観照 ― 癒しを深める意識の科学
🌀 氣功の視点:意識が氣を整える
氣功では「意識を向けたところに氣が流れる」と言われます。
観照とは、判断を離れ、ただ静かに“今”を観る行為。
そのとき意識は操作をやめ、氣の流れと共鳴します。
意識の波が穏やかになるほど、氣は自然の秩序(太極)へと戻り、
生命全体が再び調和しはじめます。
観ることそのものが、氣を整える。
操作ではなく、共鳴としての癒し。
🧠 神経科学の視点:観照は脳を再統合する
観照中、脳は「前頭前野・島皮質・帯状皮質」などの感情統合・身体意識ネットワークが協調的に働きます。
これは瞑想や氣功中に共通して観測される脳活動パターンです。
脳波はアルファ〜シータ帯へ移行し、交感神経の興奮が静まり、副交感神経が優位になる。
結果、心拍・呼吸・免疫・ホルモンバランスが整い、生体の恒常性(ホメオスタシス)が回復します。
つまり観照とは、身体システム全体を“自己修復モード”に切り替える自然な鍵なのです。
⚛️ 量子論の視点:観察が現実を秩序化する
量子物理学では、「観察によって波動が粒子化(波動関数の収縮)する」とされます。
意識が観察することで、エネルギー状態が確定し、現象が形をとる。
このとき重要なのは“観る質”です。
恐れや焦りの中で観察すれば、波は不安定に収束し、混乱が増す。
しかし、中庸・静寂・愛の意識で観ると、波は高次の秩序へと収束します。
この現象は氣功の「中庸に還る」とまったく同じ構造を持っています。
静けさの中で観る意識は、エネルギーを秩序に還す。
観照とは、観照とは量子的には混沌(波)を秩序(調和)に還す行為なのです。
4. 哲学・認知科学の視点:抽象度と中庸の意識
認知科学的に言えば、観照とは「高抽象度のメタ認知状態」。
部分(症状・感情)を越えて、全体の文脈を見渡す意識。
哲学的には、それは“中庸(中道)”の心。
善悪・健康不健康・成功失敗といった二元を超え、
“すべてを含む調和”として世界を観る。
この視点に立つとき、身体・心・現実のすべてが一つの生命として再統合されます。
5. “治す”よりも“還る”
「治す」とは欠けたものを修復する発想、「還る」とは全体性を思い出す行為。
観照とは、操作ではなく還りのプロセス。
観る者(意識)と観られるもの(現象)が統合されるとき、
生命は自然に自己調整を始めます。
治すとは操作、観るとは創造。
静けさの中で、生命は自ら調和を取り戻す。
陰の中に光を見る
東洋の思想では、陰と陽は対立ではなく、循環を表します。
陰が極まるとき、そこにすでに陽の芽がある。
病という「陰」の体験の中にも、
再生という「陽」の種が息づいています。
その小さな光に気づくこと──
それが、癒しを深める最初の氣づきです。
三和氣功では、
「病を悪者にせず、陰の中の光を見る」
という姿勢を大切にしています。
観照 ― 癒しを深める静けさ
「観照」とは、良い・悪いの判断を超えて、
ただ観ること。
痛みや不快感の中にあっても、
「治さなければ」と焦らず、
静かにそこに意識を向けてみましょう。
すると、心の抵抗がほどけ、氣が再び流れ始めます。
観ることそのものが、癒しの入り口になるのです。
観照とは、生命が自らの秩序を思い出すための静かな場。
その静寂の中で、自然治癒力はもっとも深く働きます。
“治す”よりも“還る”
「治す」は、欠けたものを修復しようとする意識。
「還る」は、もともとあった全体性を思い出す姿勢。
三和氣功が目指すのは、後者の“還る癒し”です。
それは“結果として治る”のではなく、
存在そのものが調和へ戻るプロセス。
私たちはすでに癒しの中に生きています。
ただ、そのリズムを思い出すだけでいいのです。
結び ― 癒しは、生命の流れに還ること
病を通して、私たちは「生きている」ことを深く学びます。
苦しみの奥には、いつも調和へ還ろうとする意志がある。
だからこそ、癒しとは「整えること」ではなく、
生命の流れに身をゆだね、還っていくこと。
静けさの中でそれを観るとき、
心も身体も、自然にひとつへと戻っていきます。
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馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。