なぜ愛を氣功から論じるのか
「愛」と聞くと、多くの人は感情や人間関係を思い浮かべるでしょう。
しかし、氣功の視点に立つと、愛は単なる感情ではなく、宇宙的な氣の在り方と深く結びついていることが見えてきます。
人は誰しも「条件づけられた愛」に縛られます。
「認められたら安心できる」「成果を出せば愛される」──その条件が崩れたとき、私たちは葛藤や抵抗を生み、氣は滞り、やがて枯渇します。
逆に「無条件の愛」に触れたとき、氣は自然に巡り、心も体も癒されるのです。
このコラムでは、氣功の観点から愛を考察し、なぜ無条件の愛が最も高次の癒しであり、人生の根本的な力となるのかを明らかにしていきます。
無条件の愛とは何か
「愛」とは「好き嫌い」や「親密な感情」のことだと認識されています。
しかし、無条件の愛はそれらとは異なる次元のものです。無条件の愛は、好き嫌いを超えた愛。
何かを与える・奪うといった二元性に属さない、存在そのものをそのまま受け入れる力です。
それは「あなたはそのままで良い」「存在していること自体がすでに受け入れられている」という体感を伴います。
氣功の観点から見た「愛」
1. 氣は「つながり」そのもの
氣は、個人の体の中を流れるだけでなく、人と人、自然と宇宙をつなぐエネルギーです。
氣が巡っている状態とは、すでに「分断がない」状態。
それは「私はあなたを愛している」という条件づけられた言葉を超えて、存在同士が共鳴し、相互に関わり合い響き合っている状態なのです。
2. 愛=氣の調和した流れ
氣が滞ると、争いや葛藤が生まれ、奪い合いが起こります。
逆に氣が調和して流れていると、自然に「愛がある状態」になります。
つまり愛は感情というよりも「氣の質」に近く、氣が整えば自然と愛が流れ始めるのです。
愛があるとき、人はこの流れと「つながっている」という感覚を持ち、流れとのつながりが途切れたとき、人は孤独や恐れを感じます。
3. 愛の三層(氣の視点)
氣の観点から見て、愛には様々な抽象度によって異なる現れ方をします。
抽象度が低いほど、氣が一方向に流れるだけでエネルギーは減少します。与える側は疲弊し、受け取る側も「負債感」や「罪悪感」を抱くことが多く、本来の愛の質とは言えません。
無理や我慢が土台にあるため、時間が経つと関係が歪んでしまいます。
つまり、犠牲の愛は「循環」ではなく「消耗」なのです。だからこそ「尊い」と言われながらも、長続きせず、どちらも傷ついてしまうことが多いのです。
一方抽象度が上がるほど、個人の感情や関係性を超えて、存在そのものへの深い肯定になっていきます。
- 犠牲の愛:自分の氣を削って他者に与える。循環がなくエネルギーは減り、枯渇する。
- 無償の愛:見返りを求めず氣を流す。ただし「与える/受け取る」の主客は残る。
- 無条件の愛:主客の区別が消え、氣は宇宙と一体で巡り続ける。尽きることがない。
4. 無条件の愛=ゼロポイントの氣
氣功が目指すのは「空(くう)とつながること」です。
空とは「何もない虚無」ではなく、すべての可能性を含んだ場。
このゼロポイントにアクセスしたとき、流れ出すのは「無条件の愛」と同じ性質の氣です。
条件づけられた愛と氣の停滞
しかし現実の私たちは、愛を条件づけによって定義しがちです。
- 誰かに認められたら安心できる
- 好きな人から愛されたら自分の価値を感じられる
- 成果や役割を果たしている間だけ愛される
このような条件づけは、一時的にエネルギーを与えてくれます。けれどそれは外部の承認や状況に依存するため、やがて不足し、奪い合いを生みます。
その結果、氣は停滞し、時に枯渇してしまう。これは愛の不在というより、条件づけの愛がもたらす限界なのです。
タオ・虚空・ゼロポイントとの一致
古来、東洋の叡智はこの無条件の愛を「道(タオ)」と呼んできました。
タオは分け隔てない根源の流れ。仏教の「虚空」も同様で、すべてを含みながら何ものでもない場を指します。
そして現代物理学が語る「ゼロポイント・フィールド」は、宇宙的基盤であり、無限の可能性の源。
異なる伝統・学問の言葉ですが、いずれも「無条件の愛」と同義に理解できるのです。
中今(なかいま)の境地
「無条件の愛」は、未来や過去にあるのではなく「今この瞬間」にしか存在しません。
日本の伝統に「中今(なかいま)」という言葉があります。
過去や未来ではなく、今に完全に在るとき、判断や比較が消え、ただ「存在が受け入れられる」体験が訪れます。
氣功の瞑想や静止の実践は、まさにこの中今へ戻るための道です。
なぜ癒しは無条件の愛から生まれるのか
条件づけられた愛は、やがて恐れや不足に転じます。
「愛されなくなるのではないか」という不安は、心身を緊張させ、氣を滞らせます。
一方で無条件の愛は「存在すること自体がすでに受け入れられている」という体感をもたらします。
その瞬間、心身の緊張は解け、氣は自然に流れ、癒しが起きるのです。
癒しとは欠けたものを補うことではなく、すでに満ちていることを思い出すこと。
それは愛そのものである「流れ」や「つながり」のなかに還ることです。
人生への応用:無条件の愛を生きる
- 人間関係:相手を変えるのではなく、そのままを受け入れると、愛の循環が生まれる。
- 自己受容:欠点や過去を否定せず、ただ「ある」と認めると、氣が整い、安心感が広がる。
- 社会:分断や対立を超え、調和を選ぶ力となる。
これは理想論ではありません。氣功の実践を通して氣の流れを整えれば、誰もが体感できる境地なのです。
無条件の愛とは、宇宙のゼロポイントに共鳴する氣の根源です。
ゼロポイントとは、物理的にもスピリチュアル的にも「すべてが始まる場所」「静寂と可能性が共存する場」とされています。
そこに共鳴するということは、分離がなく、純粋な存在の状態、つまり愛が「誰かに向けて」ではなく、「すべてに満ちている」状態を意味します。
氣の最高の質こそこれであり、最も抽象度の高いヒーリングでは、この無条件の愛と一体化することで、癒しそのものとなるのです。そして、その体験を通して、人は「本当の自分=分離のない存在」に還っていきます。
愛とは氣の調和した流れそのもの。無条件の愛に触れると、氣は自然に巡り、心も体も癒されます。
これは理論ではなく、体感できる真理です。氣が整えば、愛は自然に流れ、その流れの中で「自分とは何か」が静かに明らかになります。
最も抽象度の高い氣功ヒーリングは、この愛と一体化すること。そして、その体験を通して、人は「本当の自分」に還るのです。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。