心と気功

✨魂の統合と自己受容

罪悪感を越えて、本来の自己へ還る

感謝と赦しの4つの扉 ― 過去と自分、そして世界との和解を通して、愛と調和を取り戻す旅 第2章

 

「どうして、あんなことをしてしまったのだろう」
「私は、誰かを傷つけてしまったのではないか」

そんな思いに心を締めつけられるとき、
そこにあるのは“罪悪感”という名の分離の記憶です。

氣功では、心の痛みもエネルギー(氣)の一部。
罪悪感とは、流れるはずの氣が自己否定によって滞っている状態。
それを癒すのが、赦しと自己受容です。

 

罪悪感は「切り離された自己」の記憶

罪悪感とは、
「私は間違っている」「あのときの自分は愛に反していた」
という感覚のこと。

しかし、その感覚の根底には、
“自分が全体(愛・神・自然)から切り離された”という無意識の体験が潜んでいます。

氣功で言えば、それは氣の流れが中心から外れた状態。
つまり「悪」ではなく、「流れが滞っているだけ」の現象なのです。

 

赦しとは「罪を消す」ことではなく「分離を統合する」こと

多くの人は「赦す=過去をなかったことにする」と思いがちですが、
赦しとは、善悪を超えて“在ること”を受け入れること。

陰と陽、明と暗──どちらも一つの生命の働き。
氣功では、相反するものが交わるところに「中庸(ちゅうよう)」が生まれるといいます。

「私は、このままで完全だった」

そう気づいたとき、
否定してきた自分の断片が、光の中に溶けていきます。
それが、魂の統合です。

 

罪悪感を超える氣功的プロセス

氣功では、「感じる」「受け入れる」「還す」という3つの流れを重んじます。

1️⃣ 感じる ― 感情を否定せず、エネルギーとして認識する。
2️⃣ 受け入れる ― 「これも私の一部だった」と抱きしめる。
3️⃣ 還す ― 呼吸とともに丹田へと降ろし、静けさの中に溶かす。

この循環の中で、心身の氣が再び調和を取り戻します。

罪悪感は“悪”ではなく、
統合を促すために現れた導きのサインなのです。

 

自己受容は、魂の目覚め

自分を赦すという行為は、自己中心ではありません。
それは、すべての存在を同時に赦すことでもあります。

なぜなら、私たちは皆、同じ生命の氣を分かち合っているから。
自分への赦しが深まるほど、他者や世界への慈しみが自然に広がっていきます。

赦しとは、愛に還ること。
自己受容とは、魂が本来の光を思い出すこと。

それが、“本当の自分”へ還る氣功的プロセスです。

 

静けさの中で、ひとつに還る

静けさの中で「もう自分を責めなくていい」と感じるとき、
心の奥で、氣が静かに流れ始めます。

「私は、すべてを体験するためにここにいた」

その理解が訪れた瞬間、
魂は分離を越えて“ひとつ”へと還ります。

それが、赦しの本質であり、自己受容の果てに訪れる内なる自由なのです。

 

 

 

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