ネガティブな情動の処理の仕方
人の悩みや苦しみの殆どは、ネガティブな情動を自力で処理しきれないことによって生まれます。
ネガティブな情動はそれを感じることが辛いものなので、私たちはそれを無視したり、ふたをして抑圧したり、否定したりして、心の痛みから逃れようとします。
こうしたマイナスの情動は、自分の期待に反したネガティブな出来事をきっかけにして湧き上がってくることがよくありますが、
出来事は単なるきっかけであって、湧いてきた情動はずっと昔から自分の中に解放されずにたまっていたエネルギーがマグマのように浮上してきたものです。
そのタイミングでしっかり解放すれば、心の中にスペースができて流れが生まれる余地ができますが、辛いからと言ってその痛みを再び無視してフタをすると、エネルギーが自分の内側にたまりっぱなしになっていくだけです。
多くの人は、こうしたネガティブな情動を処理する方法として、その真逆のポジティブな感情を感じられるような何らかの経験を現実の世界で実現したいと思います。
例えば誰もが経験のありそうなことで言えば、憂さ晴らしにお酒を飲んで、あるいは暴食(やけ食い)をしてひと時であっても快楽を感じることができますね。
あるいは何かで一番になりたいと思ったり、どうしても〇〇を手に入れたいと思ったり、誰かに認められたいと思ったり、
現実を自分の望み通りにすることによって、ネガティブな感情を打ち消したいと、私たちは自動的に反応してしまっています。
私たちが未来に望むゴールには、多かれ少なかれこうした背景があることが少なくありません。
ネガティブな情動を感じたくないという欲求は、現実のすべてを自分の望んだとおりにしたいと私たちを考えさせ、ひどい場合にはそうしなければならないという強迫観念を作り出すこともあります。
ところが、ネガティブな情動とは、感じないようにしても、ポジティブな情動で置き換えようとしても実際にはなくならないのです。
多くの人がネガティブな情動の処理の仕方を知りません。
適切な情動の処理の唯一の方法は「解放」することです。
解放は発散とは違います。
愚痴を聞いてもらったり、誰かに八つ当たりしたり、ストレス発散目的で運動したり、ネガティブな感情から気をそらすために何か別のことに打ち込んだりすることは一時的な心のバランスをとることには役に立ちますが、
その感情が解放され消えていくわけではありません。
情動は潜在意識下で「毒」となる
先にも述べたように情動はエネルギーです。
中医学や気功の文脈でいえば「気」です。
押し込めた感情や情動はなくならずに潜在意識に残り続けます。
そしてそれは解放されなければたまっていく一方です。
たまっていくとどうなるのかといえば、何らかの形で解放されようとするために体の症状となって現れてきますし、
外側の現実でも、解放されるべききっかけとしてより深刻で大きな問題が持ち上がったりします。
中医学においては、情動のエネルギーは過剰になることで特定の臓腑を傷め、気の流れを滞らせると考えられています。
滞った気は特定の部位に溜まり、やがて「毒」となり、気の流れをさらに疎外してしまいます。
そこで、うまくいかない現実や自分の身体に生じている症状を、こんなことはあるべきではないと考えて、何とかしようとすればするほど問題はなくなりません。
ストレスの憂さ晴らしにお酒を飲むことで気持ちの(陰陽の)バランスをとるような対処の仕方を続けるのは、内側の「陰」が膨らむほど外側の「陽」も大きなものを求めることになり、どんどんしんどくなり、うまくいかないようになっていきます。
世間的には幸せそうな一族の裏にドロドロした愛憎劇があり、突出した成功者に見える人が絶頂期に病死したり自殺をしたりするのはそういうカラクリによります。
問題は、ネガティブな情動をいつまでも解放しないことで気の流れの自然の性質である循環が起きないことにあるのです。
解放と抽象度
気功では「抽象度を上げよ」とよく言いますが、抽象度を上げることは単に理性的に物事をとらえることではありません。
もちろん理性的であるという質は抽象度の高さに影響を与えますが、抽象度の高さはいかに無条件に物事を観じることができるかということです。
無条件に観じるとは、つまりありのままに観る、フラットに観るということです。
情動に振り回されると抽象度が下がるという意味は、情動により理性的にものを観ることができないということよりも、
これは嫌だ、こちらは良い、この感情は好きだ、この感情は避けたいといったように、物事を無条件に認識できずに視野が偏ることにあります。
ネガティブな感情や信念を否定するということは、光だけを見て影を見ていないのと同じであり、それだけ視野は狭くなっているのです。
そして、ネガティブな情動を解放すればするほど、結果的に抽象度は上がります。
これはダメ、これば嫌いといったような、偏った信念や前提へのとらわれがなくなり、物事や自分自身をあるがままに観ることができるようになっていくからです。
解放とは、ありのままを認めること、ありのままを受け取ること、受け入れることです。
例えば、ダイエットをする動機づけとして、太っている自分への嫌悪感を感じたくないからというものがよくありますが、
たとえ頑張ってダイエットに成功しても、自分への嫌悪感が解放されない限りは、リバウンドを繰り返したり、太ることへの恐怖から自由になる日は来ないでしょう。
でも、太っている自分に感じた嫌悪感を解放することができれば、そもそも太る理由も痩せる必要もなくなるかもしれません。
太っている自分への嫌悪感を解放できれば、もはや自分が太っていようが痩せていようがどっちでもよくなり、無条件に自分を観ることができるようになるからです。
すると太る理由も痩せる必要性もなくなりますし、太っているか痩せているかは自分の価値の本質や幸せの条件ではないことが腑に落ちます。
この時自分を観る視点(抽象度)は上がっていますよね?
自分が感じている本音を受け止めたり、受け入れたりすることは、そんなに簡単なことではないかもしれないし、勇気のいることかもしれません。
でも、やることはとてもシンプルです。
それは「観察」です。
内観といえばわかりやすいのかもしれません。
ただネガティブな感情や思考をあるがままに観察するのです。
ありのままを認めるとは、観察することなのです。
「観察」は、自動的に抽象度を上げ物事フラットに観る視点を私たちに与えてくれると同時に、
自分の中に押し込めていたネガティブな情動やそれに付随しているネガティブな信念をあるがままに認めたり、受け入れることを助けてくれます。
否定も肯定もせずにあるがままに認め、受け入れることによって、エネルギーは解放され、流れ出します。
川の流れのごとく、感情や思考は何もせずに眺めていれば過ぎ去るものです。
気の球ヒーリングは自分をありのままに観る練習
三和氣功の気功師養成講座の特に基礎課程においては、気の球を使ったセルフヒーリングに徹底的に取り組んでもらいますが、
これは気の球を観察することによって、目には見えない情報を読む感性を育てるのと同時に、実は自分自身(の感情、思考、身体)を客観的に眺め観察するという訓練を積むという意義があります。
多くの人は、自らの感情や思考、そして身体の症状に取り込まれていて、客観的に自分を観ることが難しくなっています。
少なくとも物事を客観的に観ることができないと、気功の定義である情報操作(書き換え)ができません。
認識できないものは扱えないというのが気功の基本的なセオリーですが、気の球にするということは、その対象の情報を客観的に認識して扱いやすくしているのです。
ネガティブな情動をラベリングする
ネガティブな情動を感じているとき、それを気の球にして観察するのも一つですが、自分の感じていること(感情)、考えていること(思考)、身体で感じていることを「ラベリング」していくのもよい方法です。
これは悲しみという感情、私は孤独だという信念、胸の奥の締め付け感… などと、感じていることや考えていることにラベルを貼っていくのです。
ここがポイントですが、最後に自分自身にもラベルを貼ってみましょう。
「悲しみを感じている存在」「孤独だと信じている存在」「胸の締め付け感を感じている存在」といったようにです。
大事なことは、客観性が上がるとより抽象度が上がり、フラットに観ることができるということです。
ですから、感情や思考を味わっている自分にさえもラベルを貼ることが大事なのです。
やってみれば、自分を、外側のずっと高い視点から眺めることができることがわかるでしょう。
これを繰り返すと、悲しみや怒りといった感情を感じている自分とは別に、それをただ眺めている意識があることに気が付くことができます。
これを三和氣功では「観察者」と呼んでいます。
この観察者こそ、感情や思考や身体的な苦痛を解放するための鍵になります。
三和氣功は、観察者であればあるほど解放が進み、ヒーリングは機能すると考えています。
よって、気功の基本的な知識やスキルを身につけたあとは、観察者としての視点をいかに洗練するのかが、課題となっていきます。
つまり、気功のレベルを上げたければ自分の抽象度を高めることに注力する必要があるということです。
言い換えれば、ヒーラーは自らのネガティブな情動のエネルギーを解放し、観察者としての意識を高めていくことを怠ってはいけないということです。
このことは、ヒーラーとしてだけではなく、一人の人間としての最も幸せな在り方、三和氣功でいう「自然体」を手に入れるためにもとても重要なことです。
観察者の視点を洗練するためのポイント
観察者とはありのままに観る者という意味です。
あらゆることを無条件に受け入れ認める観察者の視点の鍵となるのが、「陰と陽の調和を見出す」ということです。
調和とは、複数の異なる物事が整っていて、すべてが程よい状態であることですが、これは天秤を水平にするごとく能動的なアクションとして均衡を取るということとは少し違います。
あるがままに観る、無条件に観るとは、そこに調和を見出すという意味です。
人生に起きる出来事、世界に起きていること、そこに問題を認識するかどうかは単に抽象度の高さの問題です。
この世界でや自分自身に起きていることを変えようとすることなくそこに調和を見出せるなら、それは物事を観る最も高い視点です。
そしてこの「調和」した意識を体感するためのヒーリングメソッドが「陰陽バランシングヒーリング」です。
調和を見出すことによって、気の滞りを解放し本来の流れにゆだねることによって、感情、思考、身体のレベルの問題が自然に解消されていくことを促すのがこのヒーリングの目的となります。
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気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。