ありのままの自分を観るとは

次の企画に移るまえに
前回の遠隔ヒーリングのテーマである
「ありのままの自分を肯定する」 
ということについてお話しておきたいと思います。

実はこのテーマは、テーマとして
不良というか矛盾している部分が在ります。

なぜなら、ありのままの自分は否定も肯定も実は出来ないからです。
ありのままとはそもそも肯定も否定もしない状態をいうからです。

ただ、クライアントさん達のイメージがしやすいようにあえて
肯定する という言葉を使ってみました。

ありのままの自分を肯定することを
1つ上の抽象度から表現するとすれば、
それは「ありのままの自分を観る」ということになるでしょう。

ありのままに観ることを別の言葉で言うなら、
それは 無条件に観る ということになるでしょう。

私たちは何らかの条件の下でしか現実を体験できません。

それが良いのか、悪いのか、
快なのか不快なのか、
正しいのか間違っているのか

私たちは、すべての事象を「言葉」によって
何らかに条件付けないと体験そのものが味わえないのです。

幸せなのか、不幸なのか、
善なのか、悪なのか、
光なのか、闇なのか、
好きなのか、嫌いなのか
原因なのか、結果なのか…

想像してみてください。

好きも嫌いもなければそこに体験が生まれるでしょうか。
良いとか悪い、快不快がなければ、
何かを体験することが出来るでしょうか。
愛もなく憎しみもなければ、どのように人間関係を体験するのでしょうか。
歓びがなければどのように苦しみを知り、
苦しみを知らずにどのように歓びを体験するのでしょう。

何かを体験し、何かを認識するとき、
必ず私たちは条件付けて現実を観ていると言うことを知りましょう。
無条件に観るためにはまずそのことを理解する必要があります。

そしてすべての体験、すべての概念、すべての存在は、
それ単独では存在不可能であることを知ることです。

光という概念は、闇という概念が存在して始めて存在できます。
さもなければ何を持って光なのか全くわかりません。

例えば、 素晴らしい赤い鞄 という事象があったとします。
素晴らしい、赤、鞄、そのどれもが単独では存在し得ない概念です。
さらにその後ろには沢山の情報が付属して存在しています。

所有者は誰か、所有者の嗜好、
利便性の如何や、
どこで何のためにそれを使うのか、
どの国の何という会社の誰によって作られたのか、
材質や素材、その手触り、形、匂い…など
無数の情報が付随して存在しています。

そしてその情報すべてが単独では存在できません。

すべては互いの関係性の中でしか存在できないのです。
様々な情報の網の目の結節点が存在であり、体験であるということです。

現実とは、自分を中心にした存在論的網の目構造の中に存在している、
これを釈迦は「縁起」と説きました。

すべては他者との縁によって起こるという意味で、
単独で存在しているものなど何もないという認知学です。

「縁起」を理解出来れば、
関係性の中でしか存在できない存在性とは、
実在ではないという「空」に出会うことが出来ます。

例えば、「私」や「自分」さえ
私たちは他者との関係性によってしか
知ることが出来ません。

私はどこの出身で、誰の子どもで、誰の親で、どこに所属し、
何が好きで、何が得意で、なにが嫌いなのか…

「他者」が存在するからこそ私は「私」があることを知るのであり、
自己と他者は不可分の概念なのです。
この世界から一切の他者が消えたら、そこには私や自分さえ残りません。

この世界は情報によって生み出されつづける幻想である
というのが「空」です。
そこは、始まりや終わり、有・無を超越した、実在のない世界です。
それがこの世であり、絶対的完全性であると思われていた神という存在さえ、
空であると断言したのが釈迦です。
すべては人の認識の中でしか存在していないということです。

科学的にも、物質の最小構成要素をたどっていけば、
そこには波動があるだけだった
ということが明らかにされています。(ひも理論)

この世界はすべて情報であり、幻想なのです。
あると思えばあり、無いと思えば無い世界に私たちは生きています。

ここまで理解出来れば、自分が体験するいかなる
苦しみや悲しみ、憎しみや愛、幸せや喜び、
痛みや辛さも、すべてが情報の一形態であり、
我々が優劣や善悪の区別をつけ判断をしている自己や世界、
そのすべてに絶対的な意味や価値が無いことがわかるでしょう。

ありのままに観るとは物事を正しく観るということです。

無条件に観るとは、あらゆることが幻想(非実在)であり、故に
我々は何か条件づけてしか現実を体験出来ないことを知ることです。

こうして現状と向き合ってみれば、すべては軽く、
今の自分がどうであれ、可もなく不可もないのであり、
何が起きても、ただそれだけのことにすぎないのであり、
だからこそ、すべてOKといえるのです。

これはありのままの自分をポジティブに捉えれば良い、
物事を前向きに捉えようという論議ではありません。

ポジティブだけを追い求めれば必ず失敗します。
なぜならポジティブはネガティブと一体だからです。

ありのままの自分を観るとは、
自分にまつわるポジティブもネガティブも同等に扱うことであり、
ネガティブを避けないことであり、
だからこそすべてよしとするエフィカシーの土台が生まれるのであり、
ゴールに向かう泰然とした心と身体がつくられるのです。

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