気がわからない、感じられない時に見直してみると良いこと
氣功を学びたいのに、自分は気がわからないから先に進めないという人がいます。
先日、こんなことを言う方にお会いしました。
「自分なりに何年も独学で氣功を学んできた。この気功をやったらだんだんわかるようになると言われて何年も自分で実践してきたのに、未だに気がよくわからない。こんなにやっても気がわからないのだから、氣功師養成の学校に行っても気がわかるようになる保証がないのに、自己投資する気持ちに踏ん切りが付かない。」
この方の場合の問題点は第一にマインドセットです。
そんなに気がわかるようになりたいなら、独学は早々に切り上げて先生の元で学ぶべきなのに、無駄なお金は払いたくないと思っている。その前提にはゴールのために自分がリスクを負うことはしないという信念があります。
つまり、先の見通せないことには足を突っ込むリスクを冒せないと思っている。それは現状の外に出たくはないと言っているのとおなじことです。
気がわからないという現状があるなら、その現状の外に出ないと気がわかるようにはなりません。
何年もやって結果が出ないのなら、現状の外に出ない限りいつまで経っても同じことを繰り返すだけです。
そもそも、ゴールを目指す、理想を目指すとは、現状の外に出て行くということです。
現状の外は、今の自分の目からは見えないところ、わからないところなので、当然見通しなんかきかないのです。
車を運転しない人には車を運手する人の視点で物事を観ることができません。それと同じように、気のわからない人には気がわかる人の世界は見えない。
気がわかるようになりたいなら、気がわかる人の世界に自分から移動しなければいけないのです。
そのためには、現状の外に出るという、何かしらのリスクを冒さないと無理です。(必ずしもお金を払うこととは限りません)
お金を無駄に使いたくないという気持ちはわかります。だからできるだけ信頼のおける教師の下で学ぶべきです。
でも、自分のゴールのために自己投資をするのは当たり前のことだし、ゴールさえ明確にあれば、どんなチャレンジでも必ず得ることがあり、学ぶことがあり、無駄にはならないはずなのです。
お金を払ってでも何でもいいからとにかく気がわかるようになりたい!くらいの気持ちがないと先には進めないし、何も得られないのです。
逆に言えば、気を感じることや気がわかることを、自分で言っているほどにはこの方は求めていないし、自分は気が感じられないと言うことを証明したいだけなのかも知れません。
いずれにしても、リスクも冒さず、冒したリスクの責任もとるつもりがないというマインドセットでいると、要するに自分を守ることを一番に大切にしていると、こうなりたい、ああなりたいと思っていても、絶対に変われません。
なぜならそのマインドセットでは現状の外に出る行動が起きないし、出て行けないからです。
長年独学していても気がわからない、気が感じられないという場合には、リスクを冒したくないし、自分の行動に責任を負いたくないというマインドセットになっていないか、守りの体制を固めすぎていないかを一度見直してみると良いでしょう。
次に、気を感じることがとても難しいことだという思い込みや、自分にはわからないという思い込みがあると、わずかでも感じた気の感覚を信じられずに、これはちがうと決めつけてしまっていつまで経っても気を感じている自分がスコトーマに隠れてしまうことがあります。
ドラゴンボールのカメハメ波のようにものすごいリアルな質量で感じられるものだというイメージが邪魔をしてしまうこともあります。
気とは、そもそも物理ではありません。だから、普通に物を触っているようなリアルさで感じられるわけがないのです。「気のせい」くらいの感覚で十分だと言えるのに、その「気のせい」を信じられずにこれは違うと思いこんでしまうケースも多いです。
みんな「気」に期待しすぎなのです。
「気」はそんなたいしたものではありません。普段から私たちは気を無意識に感じて過ごしているし、多くの方が思っているよりずっと身近な感覚なのです。
でも気とは何かを深く理解していけば、かすかな感覚で十分なんだということが理解できるでしょう。
かすかでも気を感じたなら、その感覚を信頼して育てていくという意識を持って正しい知識とやり方で取り組んでいきましょう。
その際に、気を感じるのは難しくない、私は気を感じられる、気を感じるのは楽しい、これからどんどん気がわかるようになる… というマインドセットを採用し、気がわかるようになったらどんな自分になれるのか、気を感じられるようになって何がしたいのか、というところまで意識するようにしていけば、気を感じ認識すること自体は簡単にできるようになるでしょう。
自分の内なる声は外部の声にかき消されている
健康であれば、機能的に気が感じられないということはまずありません。
気の感覚というのは、空気を読んだり、気配を感じたり、何かを直感的に察知したりするような感覚と同じです。だれでもそういう能力は持っています。
ただし、その感覚が磨かれているかいないか、得意か苦手かというのはあります。
でもソムリエをやっていれば自然と嗅覚や味覚が洗練されるように、こういう感覚もちゃんと磨いていけます。
なぜソムリエの人が繊細な味覚や嗅覚を持っているのかといえば、そこから入ってくる情報が彼らにとっては普通の人よりもものすごく重要だからです。
人間の脳には、自分にとって重要な情報や関心のある情報だけを選んで意識にあげる(認知する)という機能があります。
ですから、気の感覚が重要だという認識が深まるにつれ、ちゃんと気を感じられるようになるのです。
逆に気が感じられないのは、もっと重要なことがあって、そのために気の感覚がスコトーマに隠れてしまっているからとも言えます。
私たちは生まれたときから様々な情報にさらされ続けていて、それらが重要であると思い込まされて成長していくので、自分の内側から生まれてきた「声」に耳を傾けるということがとても下手くそです。
親とか学校とか、先生とか、会社とか、上司とか、世間とか、テレビとか、インターネットとか… そうした外部から入ってくる雑音に心の声、身体の声はかき消されて、私たちは自分の声を信じるより、そうした外側の声に重要性を置き、いつも影響されています。
気を感じる感覚は、自分の外側にあって自分を縛っている価値基準やルールなどによってかき消されている可能性も大きいということを知っておく良いでしょう。
気を感じ自分の内側の声を聞くためのセルフヒーリング
私たちは自分の内からでてくる声を意識に上げることに関して訓練が必要なのです。それが気の感覚を育てていくということでもあるのです。
これも最初から上手に出来なくても全然よくて、最初はただ心からやりたいことを選択しているかどうかを常に意識に上げようとすることから始めても良いし、それはとても大切なことです。
身体性があがり、IQが上がってくるにつれて、自分のwant toだけが見えてくるようになりますし、自分の内側に起きていることや内省言語(セルフトーク)なども詳細に意識に上げられるようになります。
こうした結果を得るためには、やはりリラックスし、身体を緩め、自分の身体の感覚や心の声に耳を傾けるセルフヒーリングや氣功の実践がとても大切です。
伝統気功をやるとき、ただ身体を動かすだけならそれは単なる運動にしかなりません。
でも、そこにイメージと内観が入って始めて気が流れ出すようになります。
セルフヒーリングにしろ伝統氣功にしろ、それは自分の身体や心と向き合うということに他なりません。それだからこそ、身体や心が整い、感性が磨かれていくのです。
身体性が上がらないと自分自身に対するスコトーマが外れていかないし、自分の内側に起こること、自分の内側の声をキャッチする精度が上げられません。
自分自身の内面の微細構造を意識に上げたり、その解像度が上がってくると、本当にやるべきこと、本当にやりたいこと、人生の目的や使命のようなことまでが見えてくるのです。
冒頭でご紹介した例をふくめ、気がわからない、気が感じられないというのは、こうでなければいけないとか、こうあるはずだという外側にある基準にガチガチに縛られすぎて、緩んだ身体、緩んだ心がわからないからです。
リラックスした心と身体でないと自分の内側にある自由な発想や無意識の声は聞こえてこないし、それが気を感じるということなのです。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。