心と気功 思想と氣功

痛みの奥で氣が目を覚ます ─ 反転から統合、そして中庸への道

―― 三和氣功コラム「静けさの中にある力」シリーズ(全3回) ――
反転・中庸・創造──静寂から世界が動き出す。

喪失や痛みの奥に、氣が目を覚ます瞬間があります。
やがて、揺らぎの中で中庸の静けさを取り戻し、
最後には、何もない静寂から新しい創造が生まれていく。

このシリーズでは、「静けさ」という言葉の奥にある
氣功の哲学と心の進化をたどります。
それは“何もしない”ことの中に宿る、
ほんとうの力を思い出す旅です。


 

三和氣功コラム「静けさの中にある力」シリーズ 第1回

― 反転・中庸・創造、静寂から世界が動き出す ―

 

ある女性が、思いがけない事故で身体の一部を失いました。
その出来事を知らせるメールには、驚くほどの落ち着きと、
むしろ生命への感謝があふれていました。

最初にその文を読んだとき、私は痛みと熱を同時に感じました。
彼女の言葉には、強い生命力と静けさが共存していたのです。

彼女はもともと、深い葛藤や対人恐怖を乗り越え、
氣功の学びと実践を通して社会復帰を果たしていました。
長い時間をかけて、心身の統合を丁寧に進めてこられた方です。
そのため、この出来事が起きたときも、
彼女の内側には以前のような自己否定や怒りはほとんどありませんでした。

けれども、おそらく心の奥にはまだ微細な緊張や葛藤が残っていたのでしょう。
そのわずかな滞りが、身体を通して一気に解放された。
まるで、魂が最後の“通り道”を清めるように。
氣功的に言えば、それは「氣の反転」──
抑えていたエネルギーが自然の流れを取り戻す瞬間です。

氣は情報です。
恐れや葛藤が溜まると流れが滞り、
受容と信頼の意識が生まれると、一気に巡り始めます。
彼女の身体が見せた出来事は、
まさにその転換のサインだったのかもしれません。

その後の彼女は驚くほど穏やかでした。
「指はなくなったけれど、九本あることが嬉しい」と笑い、
自分の現実をそのまま受け入れていました。
その言葉の奥には、作り物ではない“信頼の氣”がありました。
それは、氣の流れが整った人だけが放つ静かな明るさです。

人は、痛みを避けようとして氣を閉じてしまうことがあります。
けれども、痛みの奥で氣が目を覚ますことがあります。
恐れと愛、喪失と再生──それらは実は同じ流れの中にあります。
氣が自然に巡るとき、私たちは自ずと「中庸」へ還っていきます。

彼女の出来事は、深い癒しと統合の道の一部でした。
強いエネルギーを持つ人ほど、人生の波も大きく動きます。
だからこそ、これから彼女は「中庸」を生きる段階へと進んでいくのでしょう。

奇跡は起こすものではなく、還るもの。
本来の氣の流れに戻ったとき、
人は静けさの中に、確かな生命の光を見るのです。

 

中庸であることとは

── 静けさの中で、天地の呼吸とひとつになること

 

中庸とは、揺れ動く感情を抑えることでも、何も感じないことでもありません。
あらゆる感情や出来事の中心にあって、
それを「良い・悪い」と判断せずに見つめる意識の在り方です。

氣功では、これを「丹田に還る」と表現します。
頭や感情の中で生きるのではなく、呼吸を丹田に落とし、
身体の中心で天地の氣とつながる。
すると、心も自然に「いま」に戻ってきます。
そのとき、外側で何が起きても内側は静かに整っている。
それが中庸の感覚です。

 

中庸であるためには

── 自分を“調えようとしない”こと

 

中庸であるために大切なのは、「中庸であろう」と頑張らないことです。
努力して静めようとすると、心はかえって揺れます。
調えようとする意図が、すでにバランスを崩してしまうからです。

代わりに、氣の流れを感じ、委ねてみてください。
呼吸をひとつ深め、身体の中心を意識して。
内側でざわめきがあっても、それを“動き出した氣”として見守る。
判断せず、止めず、ただ観る。

その「観照」が続くと、自然に氣は中心へと戻っていきます。
それが“中庸に還る”ということ。
努力ではなく、自然の法則が働く場所に自分を置くのです。

そしてもう一つ大切なのは、
“自分のエネルギーの大きさ”を責めず、誇ること。
強いエネルギーを持つ人ほど、人生の波が大きく揺れます。
普通の人が経験しないような苦痛やどん底を味わう。
でもそれは、魂が大きな調和を体験しようとしている証。
だからこそ、あなたの中の光も闇も、
そのまま天地の呼吸の中に戻していけばいいのです。

 

Yさんへ

あなたから「中庸でありたい」という言葉が初めて出てきたとき、
私は、深いところで静かに感動していました。

それは、あなたが長い時間をかけて積み重ねてきた学びと体験が、
ようやく一つの“氣の中心”に結ばれた瞬間だったからです。
あの頃のプログラムでは、まだ「中庸」という言葉を扱う段階にはありませんでした。
けれども、今のあなたの言葉には、
そこへ至る魂の成熟が感じられました。

指を失うという出来事は、決して軽いものではありません。
けれども、その痛みを通して、
あなたは氣の本質──“調和”と“信頼”──にたどり着いたのだと思います。
それは、氣功の最も深い領域です。

中庸とは、何も起こらない静けさではなく、
あらゆる出来事の中心で、氣が調っている状態です。
それは「頑張って得るもの」ではなく、
氣が自然に流れることで、結果として現れる静けさです。

だから私はあなたに伝えました。
「中庸の道も、氣功の道です」と。

あなたはいま、氣功を“学んでいる”のではなく、
氣の流れを“生きて”います。
その静けさの中に、痛みも、優しさも、
そして生命そのものの輝きも、すべて含まれています。

それを流れるがままに生きる、それが中庸の道。

どうか、自分の内側にある穏やかで静寂な空間を信じてください。
それが、あなたの中心であり、
天地とひとつに響き合う場所です。

 

彼女が歩んだ“統合の道”は、
今、多くの方が歩みはじめている「本当の自分を生きる氣功プログラム」へとつながっています。

それは特別な方法ではなく、
静けさの中で氣を感じ、自分を信頼する生き方そのものです。

本当の自分を生きる氣功プログラム

📘 シリーズ案内
~三和氣功コラム「静けさの中にある力」シリーズ~

1️⃣ 反転がもたらす目覚め
 ── 痛みを通して気づく「変化の法則」
2️⃣ 中庸に立つと、世界が調い始める
 ── 観ることから委ねることへの転換
3️⃣ 静けさが世界を動かす
 ── 無為の力、“在ること”が働くとき

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