心(マインド)と気功

本当の自分を生きるための氣功習得のポイント~自分の「氣」が世界を創ることを理解しよう

2024年12月21日

氣がこの世界を創る

氣功の最も基本的で最も重要な考え方は「この世界は氣で成り立つ」というものです。

 

この世界はすべて「氣」によって生まれ、「氣」によって変化し、あらゆるものは目に見えるものも目に見えないものも全部「氣」でできています。

あなたをとりまく今の現実世界も、あなたの「氣」がつくっています。

 

そのことを前提として、「氣」というものを意識的に使っていくための様々なメソッドを現代では総じて「氣功」と呼びます。

情報空間の書き換え、潜在意識の書き換え、○○ヒーリングなどは、「氣」の観点からみればすべて氣功であるといえます。

情報空間も潜在意識も、○○ヒーリングで使われるヒーリングエネルギーも、氣の世界観の中では全部「氣」ということになるからです。

 

そして「氣」について理解を深めて「使う」という意識を持つことによって自分の世界を自由に創造できるようになります。

何千年もの歴史を通じて氣功がいまだに私たちの興味をひくのは、そのためではないでしょうか。

 

氣は強ければいいのか?

さて、氣を「使う」ということを考えた時、(氣の強さをどう定義するかという議論もありますが)氣は強ければいいと一般的には認識されていると思います。

 

でもうちの先生は氣は強いだけじゃダメ、ってよく私に言っていました。

氣功を教える人になりたいなら、君は使い方を上手になりなさいと言われたのです。

使い方を上手になるとは「氣」を道具やツールとして扱える知性や身体を研究しなさいってことを言っているのですが、

その点については講座で詳しくお話ししています。

要するに、その人がもともと持っている氣の強さみたいなのはありますが、

それを上手に使えるのかどうかのほうが実は大事ということです。

 

氣の使い方をマスターすることが氣功を学ぶ一つの目的でありまた面白さですが、

伝統的に氣功の究極の目的は「天人合一」を果たすこと。

三和氣功ではそれを「本当の自分」を生きるとか「本当の自分」とつながるといっています。

 

今日の話の結論から言うと、あなたの氣がこの世界を創っていくので、

あなたが幸せになりたいなら、幸せになるための氣の使い方を、

本当の自分を生きるためには、本当の自分の氣の使い方を学ぶ必要があるってことです。

 

葛藤が沢山あって、幸せや満足でないのなら、それは氣の使い方がまずいからです。

氣がいくら強くても使い方がまずいと、より強い葛藤を作り出すのです。

 

「氣」の使い方次第で、自分を不幸せにしたり、他人を不幸せにしたりすることもできれば、

「氣」の使い方を洗練して、「本当の自分」とつながって生きることもできるのです。

 

ではだんだんと本題に入っていきましょう。

「氣」を使えるようになるためには、自分の氣がすでにこの世界を創っているのだと理解することが大切です。

 

「この世界は楽しい」という氣を使って創る世界は楽しい世界だし、

「この世界は恐ろしい」という氣を使って創る世界は恐ろしくなります。

 

それはまるで、自分で「物語」を創って、自らをその主人公に設定するようなものです。

 

人は誰もが無意識に自分の氣を使って自分の世界を創造して生きているものなのです。

ただし、それは無自覚にそうしているので「氣を使えている」とは言えません。

氣功師とは「氣」を扱う人という意味ですから、氣功師になりたい人は、

どうしたらもっと氣を扱えるようになるかということをいつも考えながら学んでいくと良いと思います。

 

氣の力が強い人とは?

現実を創る力、即ち「氣の力」というのは認知科学や認知心理学的な観点から言うとマインドや潜在意識の力ですが、

マインドの力が強い人のこと、思い込むのが強い人、そういう感じの人を一般的に「氣」が強いと言ったりするようです。

 

認知科学や機能脳科学的には、その人の信じていることが現実を生み出すという論理が成立していますので、

思い込む力(念のようなもの)が本人の自覚のあるなしにかかわらず強い人は、思った通りの現実を創ることが出来る

ということになります。

 

たとえば、自分を思いっきり不幸にできる人は、自分を思いっきり幸せにもできる力があるのです。

なので、今自分がめちゃくちゃ不幸だと思っている人はあきらめないでください笑

(使い方を変えれば自分をめちゃくちゃ幸せにできるからです)

 

さて、私は氣功と関わってもう12年以上になるのですが、

今お話ししている意味で、氣の力がずば抜けて強いなと感じる、氣功師以外の人と数名くらい直接にかかわったことがあります。

氣を自覚的に使う人を氣功師というので、この場合、無自覚で使っているという意味です。

 

天性で氣の力が強い人は実際にいます。

ここでいう氣の力が強い人は「自ら強い変性意識を生成して、自分と周りの多くの人をそこに引き込むことができる潜在意識の力の強い人」のことです。

簡単に言うと思い込む力が強い人のこと。

強い変性意識を生成することを「意識的」にやるのが氣功師ですがそれを素で(無意識に)やっている人のことです。

こういうのを世間では「カリスマ」というのかもしれません。

自分の価値観や自分の世界観を寸分の疑いもなく思い込める人の氣はとても強いのです。

氣の力とはある側面から見るとそれは「思念」の力と言ってもよいでしょう。

 

たとえば想いや感情は情報的なエネルギーとして物理に影響を与えるので、

聖痕現象(イエスキリストが磔刑を受けた時と同じ体の部位に傷が現れ出血したりすること)が起きたり、

お告げが聞こえたり、天使や悪魔が見えることだってあります。

そしてこれを不思議な神の力ではなく、強い変性意識によって起きる潜在意識のなせる業であるというのが、

「現代氣功」が採用している認知科学をベースにした解釈となります。

「思念」や「感情」は現実を実際に動かす力なので、自分は神に選ばれしものであるとか、自分は英雄だと寸分の疑いもなく思い込めたら

氣の力はめちゃくちゃ強くなるに決まっています。

 

実は私の知人の中には何人かこういう人がいるのです。

 

彼らを見るにつけ、氣の力、人の心の力とは、本当に不思議で計り知れないものがあるなと、私はいつも興味をそそられるし感心します。

(ミラジョボビッチ主演の映画『ジャンヌダルク』を観ると臨場感わくかも)

 

人生は「物語」である

こうした強い思い思い込みが良いとか悪いとか、おかしいとか間違っているとかいう話をしたいわけではありません。

氣というものを通して世界を見ると何もおかしなことなどないのです。

私がよく講座でお話しするように「氣」の世界では何でもあり、です。

 

どの人の人生も世界もその人の「氣」で成り立っているということは、

 

すべての人間にとって、どんな人生であれ自分の人生を生きるということは

自分の解釈や意味づけで成り立つ自分の「物語」を生きるということと同じ意味です。

 

自分は神の生まれ変わりだと思い込むことや、私は○○の生まれ変わりだと信じることでそういう物語を生きること自体は、

本人が幸せなら別にそれでいいし、周りの人が幸せならそれで全く良いのです。

そう意味で私たちは本当に自由なのです。

ただし、あまりに思い込み、つまり氣の力が強い場合に問題になるのは自分の世界観の中にどっぷりはまることによって

それ以外の世界やそれ以外の真実がこの世には無数にあることに氣がつけないこと、受け入れられないことです。

 

自分の世界の絶対性を信じてしまうと、そこから自由になることは難しくなります。

また、自分以外の人の物語や真実を受け入れることが出来ないと、自分自身だけではなく周りの人たちをも自分の世界に引き込んで

そこから自由になろうとする他人の権利や能力をも奪うことになりかねません。

 

いかに自分の思い通りに世界を作り出し、人をその世界観に引き込めたとしても、自分の絶対性を信じ自分の世界にとらわれる人は、「氣」を使えているとは言えません。

それが一流の氣功師と、そうでない思い込みだけで成り立っているカリスマとの決定的な違いです。

 

氣功師になりたいならこのことをよく覚えておいてください。

 

氣はこの世界を成り立たせる力ですが、絶対性はない、氣のせいにすぎないということが重要なポイントです。

それは、陰陽理論などの哲学や量子力学などを使えば理解ができますが、それについては講座では詳しくお話ししています。

 

ここで私がとりあげている、氣の力がとても強い人とは、宗教の開祖になったり○○神の生まれ変わりとして生きている人なのですが、

そういう人は当然普通の人が考えないような壮大な人生の物語を生きています。

そして、壮大であるがゆえに、彼または彼女の壮大な物語に引き込まれてその中で生きることを選ぶ人たちも少なくありません。

そういう物語はとても魅力的だからです。

 

先ほども書いたように、それ自体は氣功的には別におかしいことではないし、全然ありなのですが、

自分や人を幸せにする氣の使い方かどうか、という点からみると疑問を感じることが多いです。

 

周りの人を自分の世界観に大勢引き込むほどの氣の力の強い本人が幸せな物語を生きている場合は問題は起きないでしょうが、

壮大な物語を生きる本人が葛藤を抱えている場合や、社会的に危険な思想を含んでいる場合は大変です。

 

社会的に危険な思想を含んでいると「地下鉄サリン事件」のような事態につながります。

それについて興味がある人は『洗脳原論』を読んでお勉強してみてください。

 

人の不幸の原因、人が抱える葛藤はだいたい自分を無条件に愛せないこと、または死ぬことへの恐怖が根底にあります。

「氣」の強い人が、自分の影の部分との間に葛藤を抱えると、

それはとても受け入れがたいめちゃくちゃ重苦しいエネルギーとして体験されます。

光の部分がそもそも人より何倍も強いので、その裏である影の部分のエネルギーも強いのです。

人よりも何倍も高いセルフイメージは超ネガティブな別のセルフイメージに支えられているというとわかりやすいでしょうか。

そういう人の心の中に葛藤があるとその葛藤は普通の人より何倍も大きく、反転して自分を神だと思い込めるくらいめちゃくちゃ自己価値が低いとも言えます。

光と影、陰陽はつねにセットで存在するからです。

 

この人のストーリーに巻き込まれたすべての人がその葛藤の影響を多かれ少なかれ受けますし、外側に大きな葛藤的な現実を作り出します。

そして彼らは自分の物語の世界(情報空間)で、仮想敵を作り出し、本気で何かと戦っています。

たとえば自分と敵対する闇の勢力、自分が力を発揮して生きることを阻止しようとする(目には見えない)対立勢力との間で、

周りの人を巻き込んで、戦いの物語を作り出しています。

 

しかし、心の仕組みから言えば、自分の外側にみている敵は、

実は自分の内側にいる自分が否定している自分自身(「影」シャドウ) なので、

実は闇の勢力との戦いは、自己葛藤を投影したものに過ぎません。

結局は受け入れがたい自分を強く否定して認めまいとするため、大きな敵を外側に創り出すのです。

 

そのようにして、人は自ら物語を作り、その中で生きています。

 

わかりやすい例として、壮大な物語を生きている知人を例に出しましたが、

誰もが多かれ少なかれ、このような自分の物語を生きています。

 

あなたは自分の物語を氣に入っていますか?

氣に入っていないなら氣の使い方を変えて物語を変えてもいいのですよ。

 

自分の物語にどっぷりつかってそれが真実だと思い込むと、

その中に自分を閉じ込めて、そこから出て自分を自由にする新しい考え方やチャンスなども全く受け入れらなくなるのです。

 

氣功の学びは、まずそのことを理解することからはじまります。

「世界はすべて自分の氣で成り立っている」

このことをきちんと理解して初めて「氣」を「使う」側に立てます。

 

そのうえで、自分を幸せにする「氣」を使うための考え方や方法をお勉強していくと良いです。

さらに、「本当の自分」を生きていきたいなら、そのための氣の使い方や考え方があるので、それを学べばいいでしょう。

 

 

 

まずはお茶飲みながらお話ししませんか?
氣功について本当の自分についてご興味を持っていらっしゃる方ならどなたでも参加できます

 

 

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