道の文化
2025年、戦後80年を迎える今。
日本人はもう一度、自らの精神を問い直す時期に来ています。
日本には古来より「道」という文化があります。
武士道、茶道、華道、書道──いずれも単なる技術や作法ではなく、人生を深め、人として成熟するための道でした。
そこには、調和と美(母性)と、規律と責任(父性)が、同じ「型」の中に共存していたのです。
厳しい鍛錬や規律の中に、やわらかな美や調和が息づいている。
その両輪が揃うことで、人は内面の深さと外の強さを同時に育むことができました。
日本人は「道」を通して、生きることそのものが人間としての成熟を促すのだと捉えてきたのです。
心理学的に見る父性と母性
心理学的に見ても、母性と父性は人間の成長に欠かせない二つの柱です。
- 母性は無条件の受容。感情を癒し、存在を認める力。
- 父性は自立を促す力。善悪を判断し、責任を引き受けさせ、外の世界へ踏み出させる力。
人は母性と父性の両方を経験しながら、やがてその二つを内面に取り込み、統合された自己へと成熟していきます。
ユング心理学ではこれをアニマ(女性性)とアニムス(男性性)の統合と呼びました。
無意識の奥にある異性の要素を認め、受け入れ、統合することで、人は「自己(セルフ)」というより大きな存在へ近づいていきます。
東洋思想における陰と陽の統合も、同じ智慧を示しています。
受容と決断、優しさと厳しさ。
この二つが調和するとき、人は自己を超えた広がりを得るのです。
日本の近代史に重ねて
日本の近代史を振り返ると、この心理的成長のプロセスと相似しています。
- 戦前の日本は、父性が強く前面に出ました。
規律、忠誠、責任、決断──これらは力を生んだ一方で、恐れを基盤に暴走し、弱いものを傷つけました。 - 敗戦後の日本は、逆に父性が排除され、母性が前面に出ました。
安心、優しさ、共感──人々を癒したけれど、自立や責任を育む機会を失わせ、依存や被害者意識に偏る社会となったのです。
日本の近代史は、父性の偏りから母性の偏りへと、大きく振れ動いてきたと言えるでしょう。
戦争の苦しみを越えて見えるもの
戦争では、多くの人が深く傷つきました。
傷つけられた痛みも、傷つけてしまった痛みも──
誰もが望まなかったにもかかわらず、日本人の集合意識には深い傷が残りました。
けれど、その痛みもまた、私たちを「愛と調和」へと向かわせる大きな流れの一部なのです。
苦しみを通してしか見えない真実があり、悲しみをくぐり抜けて初めて芽生える優しさと強さがあります。
だからこそ、私たちはこの傷を「終わり」としてではなく、新しい日本人の精神を育むための土壌として受け止めていく必要があるのです。
新しい日本人の使命
今こそ必要なのは、どちらか一方ではありません。
母性と父性の統合。陰と陽の調和。
受容と癒し(母性)と、決断と責任(父性)を統合したとき、日本人の精神は次の段階へと拡大し、未来を創造する力を取り戻します。
この統合を果たした日本人は、過去の「傷つけた/傷つけられた」という被害者意識を超え、成熟した民族として世界に立ち上がることができるのです。
世界への貢献
今、世界は分断と対立に苦しんでいます。
力による支配、過剰な自己主張、あるいは依存や逃避──どちらに偏っても調和は生まれません。
だからこそ、母性と父性の統合を果たした新しい日本人の精神は、世界に大きな貢献をもたらすでしょう。
力と優しさの両方を知り、陰陽を超えて調和を生み出す民族として。
結び
日本は、個人が成長するように、国としても成長してきました。
父性の偏りと母性の偏り、その両方を経験したからこそ、次に歩むべき道が見えているのです。
その道とは──父性を再構築し、母性と統合し、自己を拡大すること。
それは日本全体の選択であると同時に、私たち一人ひとりの選択でもあります。
だからこそ、最後にあらためて問い直したいのです。
「あなたは、自分の命をどの道に生かしますか?」

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。