氣功については、この十数年ほどの間で認知科学という視点を取り入れることで、一般の多くの人にも理解もしやすくなったと思います。
それまでは、(もちろん今でもその域を出ているわけではないですが)完全にオカルトやスピリチュアルの領域にある非科学的なものという扱いだったので、
社会とか、個人の(常識的な)人生においては単なる趣味や娯楽の一環としてのポジションに押し込まれていました。
それを社会において本気で扱おうとしたり、人生に取り入れようとしようものなら、ちょっと危険視されてしまうような、いわゆるタブー視の対象となるようなものでしたよね。
でも、本当はみんな気功や、氣功が扱っているような目に見えない領域のエネルギー」に関することに非常に高い関心を持っていたと思うし、
無意識的にそちらに人生の本質、自分と言う存在の本質の秘密に関する鍵があるんだとちゃんと認識していたはずです。
その証拠に、今私のところに氣功を学びたいとお問い合わせをいただく8割以上の方が50代以上の、一般社会的に気功が娯楽や趣味に貶められ(あえてそう表現しています)最もタブー視されていた時代を生きてきた方たちです。
いまでこそ、時代はバーチャルリアリティやAIがどんどん個人の生活の中にも入り込んできて、
また認知科学のみならず、量子物理学的な考え方が一般の方にも理解されるようになってきているので、気功の世界観や哲学にみんなが真剣に興味を持ってもOKな時代になってきましたが。。。
実際私が感じていることは、気功のことを理解しようとすればするほど、私たちの人生やこの宇宙、そして自分と言う存在そのものに関する本質的な部分に触れ、いまの段階では科学で完全に解明できるとはいえない『真理』というものを理解することになってしまうということです。
最近では、そのことを『本当の自分』という言葉を使いながら皆さんに伝えようと試みています。
『本当の自分』と言う概念を使うということは当然「偽りの自分」みたいなものを想定しているわけですが、この「偽りの自分」を生きている時には人生は生きづらく、収縮したり滞ったりしてしまうと解釈していただければよいです。
氣功のバックグラウンドにある哲学的な世界観では、森羅万象は氣の作用によって成り立つものなのですが、
そういう文脈の中で語るなら、偽りの自分の氣を使って生きている時には、私たちは他人が作った世界の中に閉じ込められていて「氣を使う」という意識すらもてないまま、自分の何たるかも知らないまま一生を終えていくということになります。
そして、それを「不自然」であるととらえます。
伝統的に奥義として認識されている「大周天」という気功は宇宙と自分との間の「大いなる循環」を会得するものですが、それそのものが、自分についての真実、この世界の真理を知るということに他なりません。
気功にはいろいろ、気の球の作り方、浄化の仕方、結界の張り方云々とやり方や方法があるのですが、そのやり方や方法そのものを覚えて習得すること自体が気功の目的ではないと私は思っているので、
最近ではそれについては、動画などで詳しく独学でも習得してもらえるようなシステムを作っています。
つまり、たとえば邪気を浄化する方法を知っておけば他人から嫌なものをもらっても大丈夫とか、結界を張っておけば安心とか、そういうことが気功の本質じゃないよってことをちゃんとわかってもらいたいし、そこに重点を置いてほしくないのです。
本質を理解しようとすることをすっ飛ばして、そういうテクニックだけをやっても効かない気功になってしまいます。
ではその本質って何なの?と言うのが、今回のテーマである「抽象的な視点」なのです。
これは講座の中では「変性意識」という言葉で説明したり、「抽象度」という言葉で説明しています。
これらは現代気功を少しでも勉強してこられた方ならなじみのキーワードでしょう。
気功をどれくらい「使える」のか、は気功にとっての変性意識や抽象度の重要性をどう理解しているかにかかわってきます。
現代氣功を学んだ方なら、気功が情報空間を書き換える技だと認識されていると思いますが、
情報空間を書き換えるエネルギーが高いほど書き換える力が強いということを知っていると思います。
だから、書き換えたい情報に対してより高い情報空間から書き換える必要があって、
その情報空間の高い低いというスケールを「抽象度」という苫米地英人博士の作った概念で表しています。
たとえば相手を書き換えたいという時には相手がいる情報空間より高い抽象度に自分を置かないと書き換えることが出来ないということですね。
要するに、気功のことを理論的に理解していて、気の感覚がわかって、気の球がつくれても、
抽象度の上げ下げが出来なければ、それは気功やヒーリングにはならないのではないか?
ということを考えてみて欲しいのです。
いくら浄化だ結界だといっても、自分の抽象度を上げられないのでは気功(情報空間の書き換え)として成立しにくいと言えるのではないのでしょうか?
「抽象的な視点」とは、抽象度を上げた視点のことを意味していて、抽象度をいかに上げるかの方法論や理論の方が、具体的な氣功技術よりも気功のコアな部分なのだということです。
そして三和氣功で言えば、その抽象的な視点の最終的に行きつくところが『本当の自分』の視点であり、『本当の自分』に近づけば近づくほど情報空間の書き換えは容易になると考えています。
なので、三和氣功では『本当の自分』の視点、その意識をどのように作り、維持するのかというところがレクチャーやプラクティスの中心になっています。
さらに『本当の自分』の視点にたって「氣」を動かすことを理解し、習得していくことこそが、実はあなたの個人の悩みを容易に超えさせ、偽りの自分から目覚めて、もっともっと大きな意味でのあなた自身の人生の目的を全うしていくことにつながると三和氣功は考えているので
あなたが気功を通して、本来の自分の力に気づいて、本来の自分の在り方や生き方を全うしていくことが三和氣功が最も重要だと考えていることです。
「抽象的な視点」をいかに作っていくのかについては、長期的な講座やプログラムの中で個別にご指導させていただいています。
この記事の続きはナチュラルハッピータオイズムオンラインサロンの中の【人生を動かす氣功講座】で確認できます。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。