心(マインド)と気功

悪魔との対峙の象徴的な意味~『本当の自分』を生きるための氣功

2025年3月17日

氣功から見た「悪魔」

「悪魔」は普通に生きている人にとっては

忌避すべきものであり、自ら進んで関わる必要のないものでしょう。

 

でも、氣功師を志すなら話は違うかもしれません。

氣の観点から見て「悪魔」は一つの「氣」の形態でしかないし

認知科学の観点から見ても悪魔はやはり自分の内部表現に過ぎません。

 

内部表現、即ち自分の内的世界なのだからこそ、自分にそれを書き換える権限と力があるのだとするのが現代における氣功の考え方です。

また、氣功とは「氣」をコントロールするための方法論なので、悪魔も「氣」の一形態であると知覚できれば、氣功を使ってコントロールし支配することが可能です。

 

しかしながら、「悪魔」とは人間の根源的な恐れを非常に揺さぶる存在なので安易に接すると、逆にこちらが書き換えられて痛い目にあいかねないので、そこは注意が必要です。

そんな理由もあり、三和氣功の氣功師養成講座では専門課程にて扱っています。

 

私の師匠である馬先生も、昔このように教えてくれました。

「鬼」(中国では幽霊とか悪魔の意味があります)と関わるなら、まず恐怖心を克服しろ、恐怖を感じるなら「鬼」の領域には手を出してはいけない、と。

恐怖を感じた時点で負けて自分が乗っ取られてしまうからです。

 

なので自分の「氣」を圧倒的に高めた状態を維持できないと「悪魔」を支配下には置けません。

つまりそれなりに修行が必要であるということです。

 

たとえば「悪魔祓い」と言われる場面をテレビや何かでみたことがあるでしょうか?

悪魔や悪霊がついている人はかなり深い変性意識に入っており、自分を見失っているような状態ですが、

変性意識が深いほど「氣」は強いので、これに対峙して悪魔や悪霊を祓う、封じる際には、こうした深い変性意識にこちらが負けてしまわないだけの氣力と体力が必要になります。

つまりこちらの「抽象度」をかなり高く維持しておかないと無理です。

 

そして圧倒的に「氣」を高めた状態こそが『本当の自分』に目覚めた状態であると三和氣功は考えています。

 

「悪魔」の正体

ではどうしたら「悪魔」を支配する力を手にすることが出来るのでしょうか?

それにはまず「悪魔」の正体を見極めることです。

 

人間は知らないものは「扱う」ことが出来ません。

自分が「扱える」範疇にないということは、対処のしようがない、コントロールできないということです。

逆に知っているなら、その対象を「扱う」ことが出来ます。

原因不明の病は扱いようがないですが、原因がわかって治療法がわかっている病氣であれば扱えます。

なのでまずは「悪魔」が象徴しているものを知らなければなりません。

 

結論から言えば「悪魔」とは「自我の恐れ」の象徴です。

 

「自我」とは、通常私たちが自分であると信じている「自分」ですが、

「自我」が最も恐れていることは「自分の消滅」です。

 

「自我」は自分の存在そのものがないことにされることを最も恐れているのです。

自分という存在の消滅への恐れ、これが悪魔の正体です。

 

これは、私たちの誰もが心の奥底に抱えている恐れです。

この根源的な恐れによって、「自我」は自分の存在を証明するための必死の努力を続けていると言えるでしょう。

ですから、誰の心にも「悪魔」は存在し、陰で自分を操っているといえます。

 

しかし「悪魔」が象徴している根源的な恐れは普通は潜在意識深くに抑圧されています。

そしてわざわざそれと向き合うことは、本人にとってリスクでもあります。

なので、「悪魔」と対峙する機会を誰もが持つ必要はないかもしれません。

 

修行者が時にリスクを負って生死をかけたような過酷な修行を行うのは、この人間の根源的な恐怖を越えるためです。

 

しかし問題の本質は、「悪魔も情報にすぎない」と腑に落とせるかどうかで、生死をかけた修行が大事なのではありません。

恐怖が「情報」であり、氣の一つの形態であると淡々と認識できれば、恐怖を支配することは可能です。

 

ちなみに人間だけが唯一恐怖を支配する能力を持っています。

バンジージャンプやホラー映画、お化け屋敷、絶叫マシーンの類は、人間は恐怖を支配し楽しむことさえできることを証明しています。

 

ただし、人間が最も恐れていることは肉体的な「死」を越えたところにあります。

これを身体で知覚できるかどうか、氣づけるかどうかが、「悪魔」を支配できるようになるかどうかのポイントになります。

 

 

「悪魔」と向き合うことの意義

氣功師が「悪魔」と向き合おうとすることの意義は、自らの「氣」を無敵のレベルにまで高めることにあります。

あなたが『本当の自分』に目覚めることを目指すなら、「悪魔」と向き合う価値があるということです。

 

『本当の自分』のことを知りたい、『本当の自分』に目覚めたい、そのような目的や欲求がなければ「悪魔」と出会う必要もないでしょう。

 

自分の内なる「悪魔」を祓い、「悪魔」を支配する側に立とうとするとき、私たちは『本当の自分』の存在を意識せざるを得なくなります。

徹底的に自分の弱さや恐れに向き合うことがないと自分の「本当の力」や「真実の自分」は見えません。

 

小我の消滅と大我への目覚め

 

「悪魔」とは「自我」がつくりだすものです。

「悪魔」とは「自我」そのものと言ってもよいでしょう。

これを「小我」と呼んでもよいでしょう。

 

「自我」は自分の存在の消滅を恐れるがあまり、私たちに「生き残り=サバイバル」のための欲求を生じさせて私たちを支配しています。

「自我」に支配されている間は、私たちは「自我」を自分だと信じて疑いません。

この時私たちはちっぽけな自分、無力で非力な人間を生きています。

 

でも、本当はそれは自分の真の姿ではないのでは?

そのように疑問を持つことによって、私たちは「自我」=「悪魔」との戦いを始めます。

 

『本当の自分』に目覚めていくことは、「自我」にとっては「自分の消滅=死」を意味するので、「自我」は私たちに何度も何度も訴え続けます。

『本当の自分』こそが偽りであり、信じてはいけないと。

そしてこれこそが私たちを「目覚め」から遠ざける「悪魔」のささやきなのです。

 

最終的には、私たちは「自我」が「偽りの自分」であり「幻想」であるということを真に受け入れ、「自分を消滅させないためのサバイバルエネルギー」を手放しますが、

それは「小我」が消滅し、大いなる自己である「大我」『本当の自分』が現れるということです。

すなわち、私たちの意識が「生死」を越えて「すべてはある」という次元にまで抽象度を上げることを意味します。

 

これも、そもそも「自分」が単なる情報の寄せ集めにすぎないことがわかれば済む話なのですが、

頭でわかるレベルでは不十分で、身体で知覚するレベルで理解することが大事です。

 

要するに、形ある「自分」も「氣」の現れであって、森羅万象を動かしている、この世界に遍在する「氣」こそが自分の本質であることに氣がつくことによってはじめて「氣」を自在に操れるようになります。

そしてこれが『本当の自分』の力です。

それでこそ「悪魔」を支配することも、解放することも可能になるのです。

 

「悪魔」を戦いによる勝利で支配することはできません。

戦えば必ず抵抗や報復があり、また負ける可能性が生まれます。

 

『本当の自分』は、生き残る必要性も恐れも感じることがありません。

自分の存在を証明するために対抗したり、戦う必要も感じません。

なので、負けることがありません。

自分の存在の優位性を得るために、支配する必要性も感じません。

なので支配されることもありません。

これが「無敵」の意味です。

二元性からの解放であり、すべては一つであることへの目覚めです。

 

私たちが『本当の自分』に目覚めようとするときには、自分の内に潜む恐れの象徴である「悪魔」と何度も対峙する機会が訪れることでしょう。

でもそのたびに、この世界が「氣」でできていることへの理解を深めて、ついには『本当の自分』を思い出せる瞬間がやってくることでしょう。

 

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