間とは?
一つの事象とまた別の事象の間には必ず「間」があります。
時間や空間という言葉が示すように、時間や空間は、そして人間も、字のごとく、「間」を内包して存在しています。
日常をよく観察すればわかるように、一瞬一瞬、この世界は移ろって揺らぎながら存在しています。
その一瞬一瞬のゆらぎに「間」があります。
例えば吸う息と吐く息の間には必ず「間」ができますし、自分と世界、自分と誰かの間には「間」があります。
間とは、物事と物事の合間に意識に上がる「無為」な場であるといえます。
無為とは、何もない「空」を指し、ゼロ地点とも言えます。
関係性で成り立つこの世界(縁起)においては、関係性においてのみ存在しているこの世界はすべて仮のものであり、本質ではありません。
逆に言えば、物事の本質は常に「間」に存在するということができます。
すなわち、仮のものであり、幻想である私たちの現実に本当の意味で変容や作用を起こすためには、目に見え手で触れることのできる目の前の状況そのものに手を加えるよりも、「間」にアクセスし「間」を活用するしかないのです。
「間」を活用する
日本の芸事は「間」をとても大事にします。
何もないということ、何もしないということに、目に見える物事を生かす力があることを知っています。
例えば、一輪の花を生けるとき、日本人はその花を生かすための空間を使います。
空間ありきの花なのです。
一方西洋的な花の生け方は、花自体をいかに華やかに際立たせるかというように、花そのものに注目をします。
「間」は次の展開(変化、進化、成長、発展、再生など)を創造するために必要不可欠な要素であり、「間」を無視したり、活用できないと勢いや流れを失います。
芸事であれ武道であれ、すべては「間」の中に成り立っています。
間が悪いと、うまくいかないのです。
しかし、こんなにも「間」を大事にする文化を持つ日本人なのに、日常生活や人生において、私たちは「間」のことを忘れ去ってはいないでしょうか?
何もない空白にエネルギーが満ちている
「間」とは、空白であり、なにもない時間的また空間的余白です。
「無」といってもよいですが、それは有るということに対して無いではなく、仏教でいうところの「空」です。
プラスでもなく、マイナスでもなく、そのどちらも潜在的に内包している「ゼロ」を指しています。
そしてそれは、有る無いの「無い」ということとは真逆の、エネルギーの最も満ちている場です。
この空虚なる場のエネルギーを活用するからこそ、物事は洗練され、創造性が引き出されます。
物事を創造し、物事の流れを生み出すために、最も重要なのは「間」なのです。
普段、あなたはどれくらい「間」を意識して生活していますか?
どれくらい「間」を意識して人生に向き合っていますか?
ゆとりや余裕、あるいは休息、といった言葉で表現される、「何もしない」時間や空間を、現代社会では非生産的なもの、無駄ととらえてできる限り排除しようとします。
何もしないことに対して、不安や罪悪感を感じるというくらい、現代社会は「間」を押し殺して回っています。
考える間も、息をする間も、感じる間もなく、機械のように奴隷のように生きる人間に、本当の幸せや本当の豊かさが生み出せるでしょうか?
何もしない空白の時間や空間こそエネルギーの根源、創造性の源であることを、どれくらいの人が意識して生きているでしょうか?
本当の自分の力をつかう秘密は「間」にある
私たちは人生に起きるあらゆることを自分で決めて自分でコントロールしすぎです。
その結果として、自分の想定内の力しか使えず、想定内の可能性しか受け入れることができません。
思いがけない幸運や、思いがけない展開、思いがけないご縁、思いがけない自分自身との出会いも、実は「間」が生み出してくれます。
上級者の氣功では、無意識の力をいかに使うかを考えることが必要になります。
なぜなら、自分が意識的にできることなど、たかが知れているからです。
自分が意識できること、自分が想定できるようなことは、ごくごく限られた範囲であることを知って、自分を越えた自分の力を使うことを訓練していきましょう。
そのために、自分は何もしない、無意識にまかせるという感覚をつかむ練習をしましょう。
これは人生においても同じように考えることができます。
自分の人生に対して、自分が意識的にできることは、ただどうなりたいかを真剣に考え決めることだけです。
あとは、自分を越えた自分の力が働く余白を十分作ることを意識しましょう。
そしてその最も基本的でで最も重要なことは、「間」を意識に上げることなのです。
難しくはありません。
何もせず何も考えない時間を作るだけでいいのです。
例えば、仕事を一切しない時間を過ごすことや、カフェでお茶をして一息入れる、散歩するなど、そんな時間を意識的に持つようにするだけでもいいでしょう。
ほっと一息する時間、だらだらと過ごす時間、何もせずに過ごす時間が、実は人生を大きく変えていく重要な要素なのです。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。