最近、三和気功でご自身と向き合うことを
始められたクライアントさんが
こんなことをおっしゃっていました。
「以前は気功というものを、なにか「特別な力」だと思って、
勉強しようかなと考えたこともあった。
そのまま突っ走っていたら間違った方向へと
行っていたかも知れない。」
とても良い気づきだなと思います。
気功は特殊能力なんかではなく、
もっと普通のものなのだという理解は、
気功を習得し、活用していこうとする方には
絶対に必要です。
確かに、気功が不思議なもの、超能力として
もてはやされた時代もあったし、
中には本当のインチキもあったにせよ、
何千年という歴史のを経てなお存続しているということは、
そうしたインチキや不思議に見えるようなことが
実際に本当に効いてしまうからで、
端から見ればそれが魔法や、奇跡のように
見えてしまうことは否定はしません。
でも、「気功」でなにが起きるのか
科学的に説明が出来るようになった
現代という時代の抽象度においては、
「気功」はもはや脳と心を操る技術の一つとなりました。
それは、認知行動心理学や機能脳科学、
脳神経科学等の学問による
洗脳のメカニズムの研究の発展によって
見えてきたことなので、
気功は洗脳研究の賜物と言えるのかも知れません。
洗脳という言葉を使えば少し怖い印象を受けるかも知れませんが、
結局、洗脳という一つの技術の開発や研究を通して、
人間の認知や行動、脳機能への理解が深まり、
人間とは何かということへの学問的な研究や理解の抽象度が
高まったことも事実です。
重要なことは、
気功というものが、
認知科学や脳科学の視点から捉えれば
一つの技術に過ぎないということです。
自己の能力を引き出していくために有効な
無意識を書きかえるスキルであるということです。
科学的に説明がつくと言うことは、
即ち再現性があるということであり、
再現性があるということは、
誰にでも扱える技術であり、
誰に対しても効力がある技術だということです。
実際に気功を学んだり、
気功を通して自分自身と向き合っていく過程で
こうしたことの理解が深まっていくべきだなと
私は考えています。
気功は科学であると、私の伝統気功の師匠は東京にいた頃
よく言っていましたが、
それは、方法論があり、再現性がある、
だから誰にでも出来るよっていう意味でした。
気功とは何かを知らずに気功を習得したり、
気功に頼ってしまうことは、
気功はなにか特別な力で、
それを使える人間は特別な人なのだという
方向性へ進んでしまう危険性をはらんでいます。
気功はインパクトのある技術であると言えるのですが、
インパクトがあるだけに、盲目的に使えば
自分や他人の成長や進化を止めてしまったり、
心と身体を大きく傷つけてしまうことも
可能であるということです。
そして、一度そこへ入り込んでしまうと、
抽象度が低いだけになかなか出てこられなくなる可能性が高いのです。
でも、学問として気功を学び実践するということは、
自分の人生を生きることの喜びや楽しさに目覚めていくことであり、
心も身体も豊かになる道であることも確かです。
気功を学ぼうとしていらっしゃる人達は、
自分が手にしているもの、これから手にするものが
どういうものなのか、しっかり見極めながら、
気功を実践し続けていただければ良いなと思います。
要は、技術ですから、変に期待もせず、変に恐れもせず、
楽器を習得するときのように
気楽に淡々と学び、楽しみながら練習する、こんなスタンスが
一番適切ではないかと私は思います。
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認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。