今年、私は様々なご縁から、四度、大阪の万博会場を訪れる機会に恵まれました。
人の波、強い日差し、長い待ち時間。
国際的なイベントとしての意義はもちろんある一方で、現場ではさまざまな課題も感じました。
それでも――どうしても心惹かれるものがあったのです。
それが、あの大屋根リングでした。
喧騒の中で、そこだけがまるで時が緩むように穏やかで、万博に込められた“祈り”や“人類の希望”が息づいているように思えました。
木の香りと光の陰翳が織りなす空気は柔らかく、美しい。
木のぬくもりと円環の形が、歩く人々の心の奥に「和」の響きを投じていたのではないでしょうか。
それは単なる建築物ではなく、世界がこれから向かっていく未来の象徴として呼吸する、「氣の通った生命体」のように思えました。
技術を支えるもの ― 建築を御神事とする心
大屋根リングは、世界最大級の木造建築として、大阪万博の象徴となっています。
日本の建築技術の粋を示す壮大な構造は、確かに世界への誇りです。
けれども――本当に日本が誇るべきものは、その技術そのものではなく、その技術を支えてきた精神なのだと思います。
実は、世界最古の企業といわれる金剛組は、私の住む地域のすぐ近くにあります。
この会社は飛鳥時代、聖徳太子の命を受けて四天王寺を建立するために創業され、以来一四〇〇年以上、神社仏閣の建築と修繕を担い続けてきました。
その根底にあるのは、建築を御神事とする心です。
木を伐る前に山の神に祈り、一本ごとに氣を込める。
木を“資材”ではなく、“生きた存在”として扱う。
古代の日本人にとって、建てるとは、神を迎え、人を自然へ還すための祈りの行為だったのです。
金剛組の家訓のひとつに、こう記されています。
「人のためになることをせよ」
これは単なる道徳ではなく、愛と調和の循環の教えです。
人のために建てるということは、天と地、過去と未来の氣を整え、世界の秩序を調えること。
だからこそ、日本には千年を超えて息づく企業が数多く存在しているのではないでしょうか。
日本人にとって、それがどのような生業であっても、仕事とは神に仕えること、つまりご神事だったのです。
神と人の世界、人と人との間をつなぐ祈りと氣の循環を絶やさずに、私たち日本人は現代までその精神を受け継いできたのだと思います。
宮大工の精神と「間(ま)」の哲学
この「建てることは祈ること」という精神は、宮大工たちの手と心の中で、今も静かに息づいています。
日本の建築文化は、古来より宮大工たちによって支えられてきました。
彼らは木の「癖」や「流れ」を感じ取り、木と対話しながら、最も自然な形で組み上げていきます。
そこには、木の氣を感じる文化があります。
そしてもう一つ、日本の建築を特徴づけるのが「間(ま)」の美学です。
間とは、空(くう)であり、氣が流れる余白。
床の間の静けさ、庭の石や苔のあいだ、何も置かれていない空間にこそ、氣が満ちている。
西洋が「形ある構築の美」を追求したなら、日本は「氣の流れる空(くう)の美」を磨いてきたといえます。
空間(くうかん)とは本来、“氣の通う間”のこと。
少なくとも日本人は、空間をそのように捉えてきました。
日本建築における「空間」は、ただの構造体ではなく、氣の通路であり、人と自然をつなぐ呼吸の場なのです。
大屋根リング ― 現代に甦る祈りの建築
藤本壮介氏が設計した大屋根リングは、「つなぐ」「ひらく」「包み込む」ことをテーマとしているそうです。
彼はこう語ります。
「僕が設計させてもらった建築では、内部と外部が曖昧につながっていたり、自然と人工がヨーロッパとは違った方法で共存していたりする。」
その言葉のとおり、大屋根リングは“境界をつくらない”思想で設計されています。
天と地、人と自然、内と外――
それらがひとつの氣の流れの中で溶け合うように設計されているのです。
そして、その構造体が木であることは、とても象徴的です。
木は天地をつなぐ生命体。
根は地の氣を吸い、枝葉は天の氣を受け取ります。
三和氣功では、大樹の氣の流れと一体となる「採大樹之氣(さいたいじゅのき)」という氣功があります。
これは天地をつなぐ大樹との循環の中に、自分自身を溶け込ませる氣功です。
大屋根リングは、現代に甦った巨大な氣の循環の場であるともいえるでしょう。
建築が単なる「構造物」を超えて、「生命」として呼吸している。
そして――
氣の流れを感じ、それと一体となろうとする祈りの精神が、現代の形を通して静かに息づいているのです。
氣 ― 感じる心、意識の媒体
氣とは、特別な力ではなく、感じる心であり、意識の媒体です。
人が他者と響き合い、世界とつながるための――“場”。
だから、氣は世界中のどんな文化にも、そして私たちの日常のどんな瞬間にも流れています。
西洋建築の傑作にも、光と影の氣が宿っている。
しかし、日本人が特に優れているのは、その氣の流れを感じ取り、意識的に活かす感性を磨いてきたところにあります。
茶道、華道、書道、香道――
それらはすべて「氣を調える道」であり、建築もまたその延長線上にあります。
日本文化とは、生活そのものや言葉に至るまで、氣を意識的にデザインする文化なのです。
何もないところに“ある”を感じる心
日本の伝統家屋にある床の間、庭の余白、言葉の間(ま)――
そこには、何も置かれていないようでいて、最も氣が満ちています。
日本人は、その“何もないところ”に生命の息づきを感じ取る民族です。
それは、形ではなく、氣の響きを聴く心。
つまり「無の中に“有”を見出す」意識。つまり、空(くう)を感じる感性です。
何もないように見えるところにこそ、氣が満ち、世界をつなぐいのちの気配があり形のない可能性が息づいているのです。
それは、無限の可能性に開く感性であり、円環の流れを感じとる知性でもあります。
この繊細で知的な感性こそ、これから日本が世界に貢献できる大きな力となるでしょう。
物質や効率ではなく、力で支配する秩序や、力で推し進める改革でもなく、氣の調和と循環によって世界をつなぐ時代が始まっています。
そして、日本の感性は、そのための羅針盤になります。
2025年の大阪万博は、そのことを静かに、世界に、そして日本人である私たち自身に教えてくれているのです。
愛と調和の循環としての建築
金剛組の宮大工の家訓につたわる「人のためになることをせよ」という言葉。
それは突き詰めれば、愛と調和の循環を生み出すことにほかなりません。
ものづくり、創造とは、愛を形にし、氣を通す行為。
建てること、創ること、生きること――
その根に流れているのは同じ“いのちの循環”です。
大屋根リングの木のぬくもりは、愛と調和の循環を生み出す心の在り方を示しながら、世界をつなぐ架け橋として息づいています。
私たち一人ひとりの仕事の在り方、働き方、そして生き方もまた、“氣の循環”の中にあってこそ意味があります。
日本人が育んできた智慧――
自然のながれと共に在る心、祈りとしての創造、氣の流れを尊重する生き方。
今こそそれを、この時代の世界にどう開いていくのか。
私たちは、その問いを静かに受け取る時を迎えています。
結び ― いのちの氣はめぐり続ける
――この国の木々が呼吸するように、私たちの内にも、生命の氣が流れています。
良いことも悪いことも、生きることのすべてが同じ円環の中にあります。
静かに耳を澄ませば、大屋根リングを歩きながら感じた夏の風のように、世界をめぐる氣の響きが聞こえてくるでしょう。
今日という日もまた、その循環の中に、静かに在ります。
参考・引用文献
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藤本壮介氏の建築理念について
出典:「建築家 藤本壮介 インタビュー」
Medium, 2019年
https://medium.com/fraze-craze/藤本壮介-インタビュー-217ce2049e05
※引用文:「僕が設計させてもらった建築では、内部と外部が曖昧につながっていたり、自然と人工がヨーロッパとは違った方法で共存していたりする。」 -
金剛組の歴史と理念について
出典:「100年企業研究所:金剛組」
https://100years-company.jp/column/article-010472/
および「Housing Bazar:金剛組インタビュー」
https://housingbazar.net/communitybuilder/2016/09/08/post-1094/
※家訓「人のためになることをせよ」および企業精神に関する内容を参照。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。