私たちはしばしば、「自分」という枠の中に自分を閉じ込めて生きています。
たとえば、
「私はここまで」
「あの人はあの人」
「世界は自分とは切り離されたもの」
そうやって、自分と他者や世界を別々に分けて、自分の存在が自分によってのみ成り立っているのだという感覚に無意識に陥ってしまいます。
けれど実際には、私たちの存在は無数の関係性に支えられているのです。
呼吸は空気とつながり、食べ物は大地の恵みから与えられます。
心の動きや感情は、人との関わりの中で生まれ、響き合っています。
つまり「完全に独立した自分」というのは幻想であり、私たちは本来「つながりの中」に存在しているのです。
縁起の智慧──相互依存の世界観
仏教において「縁起(pratītya-samutpāda)」は最も重要な教えのひとつです。
縁起は釈迦が悟りそのものであり、古い仏教哲学(原始仏教)の文献であるパーリ語経典『相応部経典』にはこう説かれています。
「これがあるから、あれがある。
これが起こるから、あれが起こる」
と説かれています。
すべての存在は単独で成立するのではなく、原因と条件の連鎖によって現れます。
存在は単独ではなく、必ず因果と条件のつながりの中で成立する。
それが「縁起」の真理です。
花が咲くためには種や土や水や太陽が必要であり、ひとつでも欠ければ花は生まれません。
同じように、人の心の感情も、環境や人間関係、過去の経験といった条件がそろってはじめて芽生えます。
縁起とは「つながりの構造」を見抜く智慧なのです。
空の智慧──固定性からの自由
「空(śūnyatā)」は、ナーガールジュナ(龍樹, 2〜3世紀)の『中論』で徹底的に論じられた概念です。
彼は「すべては縁起であり、ゆえに空である」と述べました。
空とは「無」という意味ではなく、固定した実体がないことを意味します。
存在は関係性によって成り立ち、常に変化し続けているため、「絶対に変わらない実体」など存在しないということです。
花が咲いても、やがて散り、土に還り、新たな芽へとつながっていく。
人の感情もまた、湧き上がっては移ろい、次の感情へと変化していきます。
この「変わり続けること」そのものが、「空」の表す真理なのです。
- 川の流れ
川は常に流れていて、に流れていて、昨日と今日で同じ水は存在しません。
しかし私たちは「この川」と呼びます。
「固定された川」という実体はなく、ただ変化し続ける流れがあるだけです。 - 人の身体
私たちの細胞は毎日生まれ変わり、数年でほとんど入れ替わります。
それでも「私は同じ私だ」と感じますが、実体としての「不変の身体」は存在しません。 - 感情
怒りや悲しみも、永遠にとどまることはありません。
強い感情も時間とともに移ろい、新しい感情に変わっていきます。
固定した「怒り」や「悲しみ」は存在せず、常に流れ変化しているのです。 - 人間関係
友人や家族との関係も、時とともに形を変えます。
関係が終わることもあれば、新しいつながりが生まれることもある。
それは消滅ではなく「変化」としての継続なのです。
人生に苦しみを抱く人の多くは、「空」を理解せず、世界の流れとぶつかってしまいます。
しかしそれは流れる川の中で石を抱えて動けなくなり、沈んでしまうようなものです。
「空」を真に理解することは、「変わらない自分」や「絶対的な何か」握りしめる苦しみから解放されることでもあります。
その握りしめている何かを手ばなすことで人は真の自由を手に入れますが、それは自分が世界と響き合って存在している、全体の中の一部なのだと気づくことなのです。
氣功と縁起・空の交差点
氣=情報という視点
氣功では、認知科学の観点から「氣は情報である」と定義されることあります。
この言葉は、氣が単なる「エネルギー」や「生命力」ではなく、状態や関係を伝えるものであることを示しています。
たとえば、人の身体に触れたとき「温かい」「緊張している」「柔らかい」といった感覚を受け取るのは、肉体的な(物理的な)感触にとどまらず、その人の心の状態や在り方を「情報」として感じ取っているからです。
また、言葉を交わすときも、文字や音声だけではなく、発する人の意図・感情・在り方が「氣」として伝わります。
つまり、氣とは 関係性をつなぐ情報の流れ なのです。
縁起との関係──氣は相互依存のネットワーク
縁起は「すべては相互依存で成り立つ」という智慧です。
氣を「情報」と捉えるなら、縁起とは「情報のネットワーク」とも言えます。
私の氣は、呼吸を通して大気とつながり、言葉や感情を通して人とつながり、食べ物や大地を通して自然とつながります。
この相互依存のつながりが絶え間なく更新されることによって、私という存在が維持されているのです。
したがって「氣=情報」という理解は、縁起の教えを身体レベルで実感できる切り口となります。
「氣」を感じ取ることは、そこにある「縁起」を感じることなのです。
縁起を抽象的な哲学ではなく、「氣の交流=情報のやり取り」として捉えれば、縁起が私たちの日常そのものであることが見えてきます。
空との関係──氣は固定されない情報の流れ
次に「空」との関係です。
氣が「情報」であるなら、それは常に流れ、変化し続けています。
たとえば呼吸は一瞬ごとに新しくなり、感情や思考もとどまらずに移り変わります。
そこに「固定された氣」は存在せず、常に「更新される氣」しかありません。
「氣は流れるもの」ということはそのことを意味しています。
ここに「空」の真理が現れます。
つまり氣=情報の視点に立つと、この世界に固定的な実体はなく、情報が絶えず変化し続ける場があるだけだとわかるのです。
たとえば、怒りの感情は永遠に固定された「実体」ではなく、状況や関係によって生じ、やがて消えていきます。
氣功の呼吸を通して意識を整えると、その怒りの情報は和らぎ、安心や慈しみへと変化して いく経験をしたことがあるでしょう。
氣は固定されず、常に変化している──これこそ「空」の体感であり、「氣」の最も重要な性質なのです。
縁起・空・氣をつなぐ視点
こうして見てみると、氣=情報という視点は、縁起と空を理解するための大きなヒントなります。
また逆に言えば、縁起を空を理解できれば「氣」のことを深いレベルで理解できるということです。
- 縁起:氣(情報)が「相互依存的につながっている」ことを示す
- 空:氣(情報)が「固定されず常に変化する」ことを示す
つまり氣の働き(性質)そのものが、縁起と空を同時に体現しているのです。
- 氣が情報だとすると、私たちは常に氣を受け取り氣を発している存在になる。呼吸、感情、言葉、姿勢…すべてが情報のやりとり。
- これはまさに縁起の世界。何かがあるから、何かが起こる。氣の流れも、関係性の中で変化していく。
- そしてその「関係性の網の目」に実体のないことを見抜くと、空の智慧が立ち上がる。つまり、氣の流れそのものが「空」の現れとなります。
氣功の実践は、この哲学を身体で理解するための方法です。
氣の感覚が深まると、「あ、自分って固定された存在じゃないんだ」って体感することになり、 空や縁起の理解が進むと「氣」は関係性そのものを感覚として認識することだとわかります。
たとえば、呼吸と意識を通じて氣の循環を感じるとき、
- 「私は世界から切り離されていない」=縁起
- 「私の感情や状態は固定されず、変化し続けている」=空
この二つの智慧を、理論ではなく体感として学ぶことができるのです。
まとめ
氣を「情報」として捉えるとき、縁起と空の智慧は抽象的な思想から「身体で体感できる真理」へと変わります。
氣は、相互に依存し合う縁起のネットワークとして流れ、氣は、固定されない空の性質をもって常に変化しています。
そして氣功は、その両方を日常の呼吸と身体を通じて実感させてくれる実践です。
縁起と空を「氣=情報」の観点から捉えるとき、私たちは世界とのつながりと、変化を恐れない自由を同時に取り戻すことができるのです。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。