心(マインド)と気功

本当の自分を生きるための「氣」の使い方~悟りたい人が悟れない理由

2024年7月27日

なぜ悟れないのか

三和氣功にご興味をもってくださる方の中には少なからず、覚醒したい、「無」を体得したい、悟りに至りたい、と考えておられる方がいらっしゃると思います。

そういう人たちはなぜ悟りを求めるのでしょうか。

悟りたくていろいろやっているわりにあんまり進展のない人のほとんどは、だいたい「悟る」ということをまず難しく考えすぎです。

ものすごく厳密なことを言うと、覚醒や悟りを求める多くの人の目的は実は危機回避か承認欲求を満たすためになっている場合が割と多いです。

悟ることができたら、あるいは覚醒することができたら、きっと苦しみから解放される、楽になれる、自由になれる、輝きの世界に移行できる、または今の自分をはるかに超えた何者かになれると思っていないでしょうか?

そもそも、危機回避や承認欲求をみたすというモチベーションだと、人は(というか脳は)本気にはならないし、危機回避や承認欲求があるとそもそも悟りに至るのは難しいです。

悟りたい人が悟れない大きな問題は、今の自分ではいけない、今の自分では苦しい、今の自分は変わらなければ… 悟らなければ… と思っていることです。

それだと悟れないのです。

なので、まず悟れないという自分をどうにかしなければなばならないとか、悟るために何かを頑張らないといけないという発想から自由になることを意識的にやっていかないと、先に進めないのです。

 

どうしたら悟れるのか?

悟りとは、認識のレベルのことです。

どれくらい物事を深く広く理解しているのか。

いわゆる「抽象度」の問題です。

認識のレベルにおいて抽象度の高いことを「悟り」というのです。

悟ることは難しいと思っているかもしれませんが、今の時代、実は誰でも簡単に悟れます。

少なくとも人生の大半を山にこもって修行しなくても悟れる時代です。

「色即是空 空即是色」はもはや学問的(科学的)に理解できる時代だからです。

要は「この世界は幻想だ」と理解しさえすればいいのです!

認知科学、機能脳科学、分析哲学といった学問を使えば、この世は幻想であることを裏付ける科学的根拠は十分すぎるほどそろっています。

なので、実は、悟ること自体にあまりにもこだわっている人はもう時代の流れについていけないといえます(笑)

現代人は勉強すれば悟れる!なので、悟って何をしたいか?悟って何して遊ぼうかな?ってとこまで考えると良いです。

なぜなら、悟って何がいいって、悟ると自分の好きなように現実を創れるようになるからです!

本当はもっと大事なことやもっと楽しいことがあるのに、悟りたい!悟りたい!と思う人ほど何かにこだわって、楽に生きられていない可能性があります。

参考までに『超悟り入門』を読んでみてもいいかもです。

そんなに悟りたいならば、なぜこの世界は幻想なのか、きちんと人に説明できるように自分で勉強してみれば、自然に悟れているのではないでしょうか?

そしてそれはお寺で修業なんかしなくても大学で講義を受けなくても「気」についてきちんと学べば済む話です。

要は、この世界は自分すらも幻想の中にあることをどのレベルで理解できるようになるかが大事なのです。

悟るとは、本当にただそれだけです。

 

気功と悟りの関係は?

気について知ることは悟ることにつながるといえます。

気について理解が深まると、直感的に「色」と「空」の関係がわかるからです。

悟りとは「すべては気のせいである」ことを知ることなのです。

ただし「無」のような感覚、覚醒的な体感が得られたら悟れると思っている方も多いですが、残念ながらそうはいきません。

氣功をやって「無」のような感覚を得ること自体は可能です。

それは特別なことでも難しいことでもなんでもなくて「気」の感覚を感じていれば誰でもそうなります。

気を感じていれば勝手に変性意識に入るからです。

でもその感覚が得られたからといってそのまま悟れるわけではありません。

「無」になることそのものが悟りではないし、本当の意味で、無とか空ということを「体感」するのはまあ不可能だからです。

そもそも、空というのは、物理的な領域を超えたところにあるので、結局、死んでみないと無理なのです。

それよりも、感じたこと、得られた体感から何を認識できるのかが大事だからです。

(だから、気功習得においてフィードバックは大事です)

積極的に観察することによって世界、宇宙への認識が深まります。

何を見るか、何を感じるか、何を意識に上げるのか、その気づきの力、観察する力を高めることにより気とは何かということへの洞察が深まり、それがこの世界の真理に気づく体験的な悟りにつながるのです。

悟るための実践と学びのバランス

昔の人は、悟るために山にこもって修行ばかりしていていました。

それで一生かかって悟れるか、悟れないか、だったと思います。

気功も、一生かかって気のことがわかるかわからないか、だったと思います。

なぜそんなに時間がかかっていたのかと言えば、知識が圧倒的に少なかったからです。

なので空海みたいなごく一部の天才的な人だけしか、悟れなかったのです。

「知は力なり」というように、知識(情報)を知っているということは圧倒的に気づくことの質や量に影響を与えます。

例えば肝臓のことを知らない人に肝臓を感じ肝臓についての気づきを得ることは無理です。

色即是空、空即是色を、現代人は学問的な言葉で理解が出来ます。

そして理解が出来るがゆえに、実践を通して腑に落としやすいのです。

なので、実践と知識の習得を同時に行っていくのが、現代人が悟るための王道だと言えるでしょう。

 

悟りを妨げるものとは?

悟りを妨げるものは一言で言うと「過去」です。

悟ることとは、世界をありのままに観ることです。

ありのままに観るということは、何の意味付けも何の条件付けもせずに物事を認識することです。

言い換えれば同じ重要度であらゆることを観るということです。

しかし、人間はものごとを無条件に感じることも観ることもなかなかできません。

自分が認識したいようにしか認識することができません。

喩えていうと自分の色眼鏡を通してしかものごとを観ることができないのです。

それどころか、ありのままを観ることに対して時に抵抗が起き苦しくなる可能性もあって、人間はどうしても無条件に物事を観ることができません。

なぜか。

それは、過去の感情と思考と身体のために現実を歪んで体験するからです。

これが原因で、私たちは承認欲求や危機回避ばかりを求めてしまい、苦しむことになります。

私たちは過去の感情、思考、身体に縛られているのです。

その詳しいからくりはここでは取り上げませんが、このため、私たちはこの世界をありのままに観ることができず、今体験していることを幻想だとは到底思えないのです。

自分が大事にしている過去の自分自身がすべて幻想だと認めることはできない、怖いという部分もあるでしょう。

これは、悟りたい人にとって悟りのための大きなヒントです。

結局その葛藤や抵抗が、悟りから自分を妨げていることに気づけるかどうかは大事です。

いずれにせよ、悟りたいなら、自分をとことん観て、知り、手放すことです。

そのためにはまず過去から自由になるための知識と術を理解しましょう。

悟ることを妨げるのは常に過去の情報だからです。

過去の情報から自由になって悟りを得たい人は「気」について本気で学び、過去の自分からどんどん自由になっていくことに真剣に取り組んでみると良いです。

過去の自分から自由になればなるほど、軽くなり、悟りに近づくことが出来るでしょう。

すべて気のせいだと笑ってうなづける日が来るわけです。

 

初めての方はこちらをお読みください。

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