❖ 表面的な静けさではなく「存在の静けさ」
静寂意識とは、部屋が静かであるとか、雑念が少ないという“状態としての静けさ”ではありません。
それはもっと深く、存在そのものが静けさで満ちている意識の層。
外の世界に反応する前の、“まだ何も起きていない場所”に触れているとき、人は静寂意識の中にいます。
この静けさは、消えたり現れたりするものではなく、本来いつも内側に流れている“生命の基底”です。
❖ 静寂意識の特徴
静寂意識に触れているとき、次のような感覚が自然に現れます。
- 中心がひらく
- 呼吸が浅くても深い静けさがある
- 時間感覚がやわらぐ
- 気配や空気の“質”が変わる
- 思考はあるが、巻き込まれない
- 身体の境界が薄くなる
- ただ観ている自分がいる
この意識の質は、努力ではなく“戻る”ことで自然に現れます。
❖ 三和氣功における静寂意識
三和氣功で扱う静寂意識は、単なるリラックスでも、空っぽになる瞑想状態でもありません。
それは
“生命がもっとも自然に創造を始める場”
としての静けさ。
静寂意識とは
「意図する前」
「考える前」
「評価する前」
の層にあり、氣の流れが最も精妙に動き出す領域です。
三和氣功ではこの静けさを“根源の調和とつながる意識”として扱います。
❖ 中点との関係 ─ 静けさに触れる入口
中点は“変えたい”と“変えたくない”のどちらでもない場所。
ここに戻ったとき、意識は自然と静寂意識へ開かれます。
つまり、中点 → 静寂意識 → Effortless Flow(自然な流れ)という順に、意識は深まっていきます。
中点が入口、静寂意識がその奥の“場”。
❖ 無為自然との関係 ─ 力みをやめると現れる静けさ
無為自然は「何もしない」ことではなく“余計な力みを手放して自然の働きを妨げない”という姿勢。
静寂意識は、その無為がもっとも安定する場所。
努力をやめた瞬間、静けさが浮かび上がり、生命は自然に立ち上がります。
❖ 観照との関係 ─ 判断を超えた“観ている意識”
観照は良い・悪いを超えて“ただ観ている意識”。
静寂意識は、その観照が深まった先で触れる“純粋な観照の場”。
観照が育つと、静寂意識が安定し、静寂意識が安定すると、観照がより深くなる。
この2つは相互に支え合う関係です。
❖ 玄との関係 ─ 静寂の奥にある根源
静寂意識がさらに深まると、個人の意識を超えた玄(げん)=陰陽を超えた統合の領域に触れ始めます。
玄は“静寂のさらに奥”に広がる創造の根源。
静寂意識は、玄への入り口でもあります。
❖ 静寂意識は「つくる」ものではなく「還る」もの
静寂意識は、訓練の結果ではありません。何かを足すのでも、何かを消すのでもない。
力みや意図をほどいたその先に、もともと在った静けさが顔を出すだけ。
誰の中にも、いつでもひらかれている場所です。
❖ 結び ─ 静寂から人生は自然に動きはじめる
静寂意識とは、人生を操作する意識から離れ、“ただ在る”ことそのものが力になる領域。
静寂が深まるほど、氣は精妙に動き、現実はより自然な方向へ流れていきます。
それが三和氣功でいう静寂意識の力です。