1. 三和氣功のはじまり ― それは特別ではなく、“ひとりの人間”から生まれた道
氣功というと、多くの人は「特別な才能を持つ人が使うもの」と思い描きます。
痛みを瞬時に消す、難病を治す、奇跡のような現象を起こす──
そんなイメージが先に立つことも多い。
でも、三和氣功のはじまりは、そうした“超人性の物語”ではありません。
もっと静かで、もっと素朴で、もっと人間らしいところから生まれました。
三和氣功は、
特別な修行者ではなく、
不思議な力を求める人でもなく、
「ただ、人を元氣にしたい」と願ったひとりの氣功家から始まった道です。
そしてその流れを受け継いだのも、
選ばれし聖者のような人物ではありませんでした。
三和氣功とは、魔法や超能力ではなく、
“ひとりの人が歩いてきた道そのもの”である。
弱さを否定せず、
複雑さを抱えたまま、
それでも静かに気を整え、人と向き合い、世界と調和していく。
道はいつも、特別な者ではなく、
歩き続けた人の足もとから生まれる。
三和氣功もまた、そんな「歩き続けた人生」の延長線上で育った氣功です。
2. 馬先生の歩み ── 約束された未来より、誠実な生き方を選んだ人
三和氣功の物語は、
ひとりの中国人男性の「誠実に生きたい」という決断から始まります。
馬先生はもともと国家公務員で、
周囲からは「出世する」と期待されていた人でした。
仕事も評価され、将来は安定して保証されていた──
そんな立場にあったのです。
けれど同時に、先生の内側には
“本当の自分の心を曲げないで生きたい”
という静かな感覚がずっとありました。
仕事の中で、自分の誠実さを押し殺さなければならない場面が続き、
それは先生の魂にとって、大きな痛みの種になっていきました。
そして人生のある時点で、
先生は静かに、しかし決定的な選択をします。
「自分の心を曲げて生きる道」を降りる。
公務員としての安定した未来も、
築いていた会社も、
家族からの期待も──
すべてを人に譲り渡し、
ただ“自分が正しいと思う生き方”を選んだのです。
家族には理解されませんでした。
「将来の道が約束されているのに、なぜ?」
「なぜ日本なんかに行ってしまうの?」
そう言われ続けたと聞いています。
けれど先生にとっては、その選択は逃避ではなく、
魂の方向へ戻るための道でした。
その頃ちょうど中国では、
氣功師の国家資格制度が廃止され、
氣功師が公に活動しにくい時代に入っていきました。
先生は氣功師として
“人を元氣にするために氣功を使いたい”
と願っていた人。
制度が失われていく中国では、
それを実現する未来が見えにくくなっていった。
だから先生は静かに決めたのです。
「氣功の力をまっすぐ届けられる場所へ行こう」
その直感が導いたのが、日本でした。
日本には──
静けさ、自然、丁寧な暮らし、
人を大切にする文化、
そして “氣が息をしやすい空気” があった。
そこから、三和氣功の30年にわたる歴史が始まります。
日本へ渡るという決断は、
外から見れば「安定を捨てた大胆な選択」のように映るかもしれません。
けれど先生にとっては、
もっと静かで、もっと本質的なものでした。
“自分の心に誠実である”
その一点だけに従ったのです。
この決断に、派手な奇跡や特別な力はありません。
ただ、真っ直ぐな心で「自然な方向」へ歩いた人間の姿があるだけです。
そしてこの “誠実さの選択” こそが、
後に三和氣功が「静けさと調和の氣功」へ育っていく核心になりました。
日本で先生が出会ったのは、
技でも、達人でもなく、
“静けさ” という氣の本質でした。
ここから三和氣功は、
陽(力の氣功)から陰(調和の氣功)へと形を変え、
新しい道を歩み始めます。
3.日本で芽吹いた氣功:陽から陰へ、そして「自然」へ
馬先生は武術の人であり、氣の扱いに長けた“陽の氣功師”でした。
威圧の氣、治療の氣、場を整える氣──
そのすべてを瞬時に切り替えられる。
けれど同時に、本質は
ピュアで、柔らかく、まっすぐで優しい人でした。
中国の氣功師たちの多くが、黄金の龍や赤・金をまとい、
“超人的な技” を強く打ち出すなかで、
馬先生はそれを全く好みませんでした。
派手な宣伝も、誇張も嫌いで、よくこう言っていました。
「氣功は科学だよ。自然の学びだよ。」
当時の三和氣功のホームページが「緑」「蓮」「水」など、
自然を象徴するビジュアルで作られていたのも、
先生の感性がそのまま形になったものでした。
先生の氣功は表面的には、他の中国の気功師たちと同様に、
力の氣功に見えたかもしれませんが、その実は
自然と調和した氣功でした。
達人の誇示ではなく、人の痛みをともに背負おうとする
人の弱さを包む氣功。
技の圧倒ではなく、
静けさの底にある愛の氣功。
その方向性は中国よりむしろ日本という土地と驚くほど相性が良かった。
そして──
馬先生は心からこう言う人だった。
「中国人より日本人が好きだよ。」
これは単なる文化的好みではなく、
彼の魂が 自然・静けさ・調和 を求めていた証のように思えます。
日本の陰の文化、
自然を敬う感性、
柔らかい人間関係、
空や間を大切にする価値観──
そのすべてが、馬先生の本質に合っていたのだと思います。
だからこそ、馬先生が日本を選び
日本という地で三和氣功が芽吹いたのは、
偶然ではなく「魂の帰郷」に近かったのではないでしょうか。
そして、私が三和氣功を選んだのは、
自然を愛し、飾り立てることのない馬先生の氣功の本質にを感じたからでした。
あのときはただ偶然が重なっただけのように感じたけれど、
今思えば、それは必然の出会いだったように感じます。
セラピストとして、
そして一人の人間として悩み迷いながら生きていた私の道と、
三和氣功の道が重なったのは、偶然ではなく“導き”でした。
気づけば私は、
三和氣功という場で、馬先生の背中を見ながら新しい氣功のかたちを育てていて、
その流れはどこか、最初から決まっていたようにも思えるのです。
4.三和氣功と私──“技”ではなく“道”として育っていった軌跡
馬先生が三和氣功を教え始めたのは、施術を受けたクライアントさんから
「氣功を教えてほしい」と言われたことがきっかけでした。
私もまた、セラピストとして施術の質を高めたくて
氣功を学び始めましたが、
最初から氣の世界がよく理解できていたわけではありません。
むしろ──
他の生徒さんたちと比べると虚弱で氣も弱く、
“氣を感じる”ということが全然わからなかった。
上達が早かったわけでもなく、特別に才能があったわけでもない。
ただ、氣功という世界観や感性が私の性に合っていて、気づけば毎日のように練習していました。
どうして氣功を使うとコリが早くほぐれたり、
痛みがすっと消えたりするのか。
その仕組みが知りたくて、
先生の氣功を学びながらも、私はいつも自分で理解しようとしていた。
先生は氣功のことをたくさんのことを教えてくれえましたが、
見せて学ばせる人だったので、多くの言葉を語ってくれたわけではありません。
だから、馬先生のそばで学びながらも
苫米地博士の認知科学を独学で学んだり、
認知科学ベースの氣功を学んだり、心理技術やカウンセリングを学んだり、
癒しとは何か、人間とは何か──
子どもの頃から探してきた問いを深め続けていました。
そうしているうちに、
三和氣功という場の中で、
私は自然と子供のころから歩んできた探求の道を歩き、
そして“自分なりの氣功の観方”を育て始めたのです。
先生が日本を離れて中国へ戻ったあと、
私は三和氣功の場を、先生に言われたわけでもないけれど、そのまま引き継ぎ、
自分の理解と言葉で再構築していきました。
ありがたいことに、
先生は私のやり方に一切口出しをしませんでした。
自分の氣功lを私が正しく継承しているか、そんなことも全く気にかけていなかったように思います。
私を信頼し、何も言わず、
自由にやらせてくれた。
氣功は誰かのものではなく、
本来は「道」なのだということを、
先生はわかっていたのかもしれません。
そして、私自身が氣功を自分の言葉で解釈し、自分の人生で深めていく中で、
初めて先生が伝えた氣功の本質がゆっくりと腑に落ちていったのです。
振り返れば──
三和氣功と私が出会ったのは、やはり
ただの偶然ではなく「必然の流れ」でした。
癒しとは、
誰かを変えることでも、何かをすることでもなく、
“ただ調和を見ること”だと気づけたのも、
本当の自分とは何か、自然体で生きることはどういうことなのかに気づけたのも、三和氣功に出会えたからでした。
三和氣功が示す未来の道──平凡な人生の中で深まっていく氣功
三和氣功は、技や能力を誇る氣功ではありません。
派手でもなく、
奇跡的な治癒を売り物にするわけでもなく、超常の力をアピールするものでもない。
むしろその逆で、
三和氣功は「自然体のまま深まる氣功」です。
それは、
特別な才能や霊性を持つ人だけが使える道ではなく、
ふつうに揺れ、悩みながら生きる誰もが静かに辿ることのできる道。
まるで水が下へ流れるように、
気づけば深まっていく“内側の自然”を思い出す道です。
奇跡ではなく、自然の力を信じる氣功
氣功の世界には、
「痛みが一瞬で消えた」
「気を出したら相手が飛んだ」
「念で治す」
といった派手な物語がたくさんあります。
けれど実際の人生は、
もっと静かで、もっと繊細で、もっと複雑です。
悲しむ日もあれば、揺らぐ夜もある。
自分の弱さを嫌いになってしまう瞬間もある。
三和氣功が大切にしているのは、その弱さや痛みを否定しないこと。
弱さのなかにこそ本当の力と愛があり、痛みの中にこそ「本当の自分に戻る入口」があるから。
癒しとは、
今の自分を否定して、無理に現状を変えることでも、
誰かに治されることでもなく、
ただ“自然の秩序に戻ること”。
その道を歩いていく場を与えてくれたのが三和氣功でした。
平凡な人生の中にこそ、氣功は宿る
三和氣功が今こうして形になっているのは、私が「平凡な人として生きてきた」からです。
私は、氣が強かったわけでも、
能力が優れていて特別だったわけでもありません。
馬先生のように武術の修練を長年積んだわけでもありません。
けれど、人として、当たり前に、揺らぎ、迷い、傷ついて、悩んで、
人としての弱さや痛みを抱えたまま氣功の道を私が歩いているからこそ、
三和氣功は“人間のための氣功”として形になっていると思います。
馬先生が力で導いた氣功は、
私とともに「道としての氣功」に進化していきました。
これは、むしろ弱さや迷いを抱えて“普通に生きる人”にしかできない変化だったと思います。
才能や特別な能力のある人が使う力でもなく、物事や人間現関係を制する力を求める人のための技でもなく、
ただ人の道を照らす氣功です。
三和氣功はいま「第三の道」を開いている
今、日本にはおおきく二つの氣功の流れがあります。
ひとつは、
能力・現象・テクニックを追求する氣功。
(陽の氣功)
もうひとつは、
癒し・共感・安心を求めるスピリチュアルな氣功。
(陰の氣功)
三和氣功はそのどちらでもなく、
そのあいだに立つ「第三の道」。
操作ではなく、観照。
変えるのではなく、在ることで変わる。
技ではなく、自然そのものを求める。
まさに“中点”の氣功。
この静かな道は、内なる自然を尊重し、
ありのままの自分を生きようとする誰にでも開かれています。
氣功は「あなた自身の物語」になる
三和氣功が教えてくれているのは、氣功は誰かの技でも流派でもなく、
人が生きることそのものが氣功だということ。
あなたが日々の中で悲しみを抱えながら歩くときも、
静けさに戻る瞬間も、
誰かに優しくする気持ちが生まれるときも、
未来に向けて希望の一歩を踏み出すときも、
それはすべて“氣の流れ”と関わっている。
そして今、
三和氣功はわたしとともに育ち、
あなたの人生そのものがこの氣功の「物語」になっています。
三和氣功はいつも静かに息づいて、
関わる人の歩みとともに育ち続けています。
それは、生命そのものが描く“調和の物語”なのだと思います。
