凪の本質 ― 静けさに還る勇気
現代の私たちは、いつも「動くこと」「結果を出すこと」に追われています。
けれど、氣功の真髄は──
動きの中に静を見いだし、静けさの中に氣の高まりを感じること。
凪とは、その“静と動の交差点”。
陰と陽が再びひとつに戻る場所です。
調和とは、つくり出すものではなく、もともとそこに在る秩序に還ること。
その還り道の入口こそが、凪なのです。
陰陽のリズムと凪の瞬間
陰が極まれば陽に転じ、陽が極まれば陰に転ず。
──これが古来より伝わる「陰陽消長(いんようしょうちょう)」の原理です。
その転換点に現れるのが、凪。
嵐の前後、季節の変わり目、息と息の“間(ま)”。
そこでは、陰陽が交わり、再び無極(むきょく)へと還ります。
それは、停止ではなく生成の場です。
氣功の修練においても、呼吸の終わりや動作の静止の中に凪を感じ取ります。
その“間”にこそ、新しい秩序と流れが生み出されるのです。
凪の思想的系譜 ― 空・無極・中今・和
東洋の智慧は、この「凪の場」をさまざまな言葉で表してきました。
概念 | 由来 | 「凪」との対応 |
空(くう) | 仏教 | 有無を超えた存在の源」。凪=すべての分別がほどけた空の場。 |
無極(むきょく) | 道家 | 「陰陽が生まれる前の静寂」。凪=陰陽が一つに戻る瞬間。 |
中今(なかいま) | 神道 | 「過去未来を離れ、天地と調和して在る今」。凪=永遠の“今”に還る感覚。 |
中庸(ちゅうよう) | 儒教 | 「偏らない徳」。凪=動静の中心に立つ生き方。 |
和(やわらぎ) | 日本的感性 | 「対立を包み、すべてを融和させる力」。凪=自然と一体化した安心の場。 |
どの教えも、ひとつの真理を指し示しています。
「静寂こそ調和であり、そこからダイナミックなリズムと動きが始まる」ということ。
凪は、宗教や思想を超え、人間の根源的な“いのちのリズム”を映す鏡なのです。
調和とは、還ること
氣功で「氣を整える」とは、何かを意図的に作ることではありません。
乱れた波を静め、自然の秩序へ還ること。
調和もまた、追い求めて得るものではありません。
外側を変えようと焦るほど、内なる陰陽は乱れていきます。
けれど、一度立ち止まり、凪に身をゆだねたとき──
氣は再び中心へと集まり、自然の流れが蘇ります。
調和とは「還る」こと。
人が本来もつ自然治癒と自己調整の創造的な力は、凪の静けさの中に戻った時に再び目覚めます。
凪にとどまる勇気
いまの社会は、あまりにも“陽”に偏りすぎています。
スピード、成果、刺激──。
私たちはあたかも、より早くより多くより引き立つことが力の証明だと思い込んでいます。
けれど、本当の力は、止まる勇気・待つ智慧・空白を抱く胆力に宿ります。
動かないことで氣は満ち、焦らないことで、次の流れが自然に立ち上がる。
それが、氣功的な「力」の在り方です。
今、世界が求めているのは、動き続けるおとではなく──
凪の中から新しい秩序を生み出していくことなのかもしれません。
凪に還る
現代社会は、恐れを基盤に動いています。
失うことへの恐れ、遅れることへの恐れ、評価されないことへの恐れ。
だから私たちは、立ち止まることをいけないことのように感じ、もっと多く、もっと早くもっと正しく、と自分を追い立ててしまう。
けれど氣の世界では、動と静が拮抗するとき、最も大きな創造の力が生まれます。
そこが、凪。
今私たちに必要なのは、その境目に立つ勇気です。
すべての力がゼロに戻り、そこから新しい秩序が立ち上がる瞬間。
それは停滞や無駄、喪失に見えるかもしれません。
でもそれは真実ではありません。
今こそ、恐れという力を手放し、静けさの力に還るとき。
凪に還るとき、あなたは天地とひとつの氣の流れとなります。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。