この世界は「氣」でできている
この世界は「氣」で成り立ち「氣」によってできている、これを大前提として受け入れることから氣功の学びはスタートします。
もちろん最初はそういうものかというレベルでしか受け入れることが出来ないと思いますが、
時間をかけて、そのことが「真理」であると理解できるようになると世界は本当に違ったものに見えることでしょう。
氣の世界は、現代の概念を使って表すなら「情報空間」です。
「情報空間」は「無限」なので、あらゆるものが存在し、あらゆる次元、あらゆる世界が存在しています。
なので、「情報空間」は物理的な刺激によって引き起こされる五感だけでは捉えきれません。
そこで必要なのが「言語」です。
「情報空間」は「言語」と「五感」の「共感覚」で認識します。
これが「氣」を感じるということです。
言語を使って認識をするということは、ただ「言葉=WORD」を使って認識することに限定されず、「知性」をもって理解するという意味です。
言葉にならない声、言葉になる前の言葉、これらを認識するのは私たちに「知性」があるからです。
言葉とは知性の象徴です。
言葉で表現しがたい感覚を感じるということも、実は私たちに言語を理解する能力がないと不可能なのです。
この世界を成立させている目に見えない次元を人間は知性によって認識し、それを「言葉」という形で表現することによってこの世界に実現させている、
これが現代風にとらえてた「氣」の世界観です。
現実などない
この世界は「氣」でできているということが腑に落ちれば、そもそもそこに「現実」などないということが理解できます。
「現実」とはここからここまでは「実在」であると区切った世界のことです。
「氣」を理解すると、その区切るということ自体が意味をなさないことがわかります。
ところが、私たちは自分が見て聞く世界を「現実」と呼び、そのようにして自分が認識している世界を「真実」だと信じて生きています。
でも「氣」のことを本当に理解するということは、この世界のどこにも、そしてどの次元にも「真実」は存在しないということを受け入れることなのです。
だから、自分が認識している世界や自分自身を真実であると思っている私たちは、この世界は「氣」でできているということを受け入れられず、理解しがたいと感じます。
氣の使い手になるには?
古代の「氣」の使い手である仙人たちはこの世界が「氣」によって成り立つことを深く理解していました。
だからこそ龍に乗り雲を操り、不老不死の存在と呼ばれていたのです。
氣の世界はファンタジックです。
神仙が存在し、数々の奇怪な動物も存在しています。
要は「氣」の世界はなんでも存在していてよいし、どんな世界もどんな次元もあってよい。
その本質は「氣」なのだから。
これを非科学的だというのは時代遅れすぎます。
人間の認知なくして世界は存在しないということがわかっているのですから、あなたが神の声を聴いたというのなら、それは事実です。
あり得ない世界などない。
すべてある、それが氣の世界です。
でもなんでもありだからこそ、森羅万象世界を支配する絶対的普遍の真実がないということになります。
あなたが見て聞いて触れていること、あなたが信じて疑わないことはすべて「真実」ではありません。
何かが本当で何かが嘘、何かが正しくて何かは間違っている、そんなことはないのです。
それはあらゆる物事、あらゆる存在に特別な意味などはないということです。
この世界に真実などない、そのことを心から理解できるように氣功を学び実践していきます。
何かが絶対だと思い込むほど、私たちは自らの言葉で自分を縛り、本来持っている力を発揮できなくなるのです。
「氣」の使い方を洗練するためには、あらゆる物事の重要度を下げ、すべてを「氣のせい」だとらえられるようにならないといけません。
これが「氣功」を使う際のポイントであると同時に、あなたがこの世界の何事からも自由になって『本当の自分』を生きる秘訣でもあります。

気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。