守護霊や前世に関する古くからの認識や、
近年のスピリチュアルブームによって
守護霊の存在や前世の記憶やカルマみたいなものが
現代に生きる私たちの内部表現にも
意外とリアルに存在しているというのが
私の印象です。
そういう私も、前世の話や守護霊の話が嫌いではありません。
単純に、面白いので。
しかしながらそのために無用な混乱を引き起こしているケースにも
少なからず遭遇します。
例えば前世というものの存在がリアルなために、
現在の状況を前世に起因するものととらえていたり、
守護霊が言ったことに縛られていたり、
霊媒師やヒーラーが守護霊や過去世という世界観を強化するので
そこから自由になれずにいたりするのです。
何度も何度も繰り返しになりますが、
この世界はあなたが
「あると思えばある、無いと思えば無い」世界なのです。
何がありで何が無いのかは自分で決めて良い世界なのです。
ですから、守護霊や過去世、少し話を広げて
摩訶不思議な体験、神秘体験なども
あって良いのです。
そんなものは非科学的だ、嘘だと切り捨てるのは、
これはこれでむしろ科学的ではない判断です。
あると思えばある、無いと思えば無いのだから、
自分で自由に決めて良いのです。
あなたが何を信じているかがあなたの現実をつくり出すので、
何を信じるかは自分で決められるのです。
なぜならこの世界は、私たちの脳と心=内部表現そのものです。
私たちの観ている現実は自分の心=脳がつくりだしています。
だから「あると思えばある、無いと思えば無い」のです。
守護霊を信じている人にとっては守護霊はリアルであり、
真実ですが、信じていない人にとっては、
守護霊はいないのであり、おとぎ話程度の存在に過ぎないのです。
我々の体験している現実はモーダルチャネル(五感+言語)を介して
脳がつくりだしているという認識を持てば、
過去世であっても、守護霊であっても、神秘的な体験であっても、
いずれも、自分の内部表現の一部であるということが明確なのです。
ですから
過去世も守護霊も、神秘体験もあってしかるべきなのです。
でもそれはあくまでも自己の内部表現の一部であり、
脳がつくり出したものであるということです。
ただ、それを体験するものにとってはそれは非常にリアルなのです。
過去世、守護霊、神秘的な体験、いずれもそれを体験するときには
心と身体が反応するのです。
体験しないものにとってはわからないのですが、
そうした不思議でオカルティックなリアルな体験というのは実際に存在します。
しかし、すべては自己の内部表現の一部であり、
脳がつくり出して見せた幻想であり、情報にすぎません。
情報とは実在がないということです。
「1」というものを私たちは理解してます。
でも「1」そのものは実在はしていません。
情報とはそういうことです。
いかなる体験もすべて自分の内部表現の写像である、
脳のつくり出したものであるという抽象度を持っておくと
過去世や守護霊のような体験も必要に応じて楽しむことが出来、
その体験やパラダイムに縛られ支配され、踊らされる必要がなくなります。
そうすれば神秘的な体験や守護霊や過去世を体験する、
見る、聞くといった現象も、特別なものではなく、
脳がランダムに作り出した現象のうちの一つであり、
体験する人が情報空間に臨場感を持ちやすい場合には
非常にリアルな現実となりうるという解釈で決着がつくのです。
それを何か特殊なもの、人智を越えた力のように扱うので、
混乱を招き、オカルトのような危うさを持ち始めます。
オカルトやスピリチュアリズムが全く悪いというのではなく、
科学的な根拠によってそれらを理解した上で扱う必要があると
言っています。
少なくとも三和気功で学ぶ方にはそこはきちんと
理解していただきたい部分なのです。
そうすることで気功をスピリチュアリズムやオカルトではなく
高い抽象度から理解することが出来ますし、
自分で自分の人生に責任を持ち、決めること、そのために
ヒーリングをきちんと機能させることが出来るからです。
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認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。