心(マインド)と気功

本当の自分を生きるための氣功の使い方~自分の世界に自分を閉じ込めていないか?

2024年9月28日

気の力が強い人とは?

私は気功と関わってもう10年以上になるのですが、その間に生まれつき気の力がずば抜けて強いなと感じる気功師以外の人と2人くらい直接にかかわったことがあります。

ここで気の力が強いという意味は、「自ら無意識に強い変性意識を生成して、周りの多くの人をそこに引き込むことができる人」です。

こういうのを「カリスマ」というのかもしれません。

強い変性意識を生成することを「意識的」にやるのが氣功師ですが、それを素で(無意識に)やっている人がいます。

氣の知識や心に関する知識のない人や、自己価値がとても低い人や依存心の強い人などの目には、こういう人は「すごい人」「特別な人」「選ばれた人」「超人的な人」に見えます。

人を自分の世界に引き込む力を上手に使えるので、知識のない人や自己価値が低く依存心の強い人はそこに引きこまれて、その人の価値観の内側で生きるようになってしまうからです。

一方、自己肯定感のある自立した人から見えればこういう人は独特の世界観を持った人、どっちかというとめんどくさい人に見えるかもしれません。

気のことを理解したうえで物事を単純化してみると、気の力が強い人は「相手に強い影響を与えることが無意識にできる思い込みの強い人」であるといえます。

自分の世界観がこの世の真実であると寸分の疑いもなく思い込める人の気は強いのです。

想いや感情はエネルギーとして物理に影響を与えるので、聖痕現象(イエスキリストが磔刑を受けた時と同じ体の部位に傷が現れ出血したりすること)が起きたり、お告げが聞こえたりするわけですね。

例えば、自分は神に選ばれしものであると寸分の隙もなく思い込めたらめちゃくちゃ強くなるに決まっていますよね。

気の力、心の力とは、本当に不思議で計り知れないものがあります。

(ミラジョボビッチ主演の映画『ジャンヌダルク』を観るとわかりやすかもしれませんね)

 

強い光と強い闇の葛藤の物語

こうした強い思い思い込みが良いとか悪いとか、おかしいとか間違っているとかいう話をしているのではありません。

私は神の生まれ変わりだと思い込むこと自体は、本人が幸せなら別にそれでいいのです。

まずいのは、自分の世界観の中にどっぷりはまることによってそれ以外の世界やそれ以外の真実がこの世には無数にあることに気が付けないこと、それを受け入れられないことです。

ここで取り上げているような気の力がとても強い人の特徴として、「壮大な人生のシナリオを持っている」ということがあげられます。

世界を救う使命をもって生まれてきた、自分は神に選ばれた存在である、自分自身が神の生まれ変わりであるといった、壮大な物語を生きていることが多いです。

そして、壮大であるがゆえに、彼または彼女の壮大な物語に引き込まれてその中で生きることを選ぶ人たちも少なくありません。

それだけでは大きな問題にはならないかもしれないのですが、壮大な物語を生きる本人が葛藤を抱えている場合が大変です。

人が抱える葛藤はだいたい自分を無条件に愛せないこと、または死ぬことの恐怖が根底にあります。

自分を神や神に選ばれたものとして信じている人が自分の影の部分との間に葛藤を抱えると、それはとても受け入れがたいめちゃくちゃ重苦しいエネルギーとして体験されます。

表、つまり光が当たっている部分(陽)がそもそも人より何倍も強いので、その裏である影の部分(陰)も激しく強いのです。

そして、この本人の影響下にいるすべての人がその葛藤の影響を多かれ少なかれ受けますし、外側に大きな葛藤的な現実を作り出します。

私は、こうした人がエネルギー的に何かと戦っているのを実際に見てきました。

自分と敵対する闇の勢力、自分が力を発揮して生きることを阻止しようとする(目には見えない)闇の勢力との間で、時として周りの人を巻き込んで、本気で戦っているのです。

でも、自分の外側に観ている敵は、実は自分の内側にいる自分が否定している自分自身なので実は闇の勢力との戦いは、自己葛藤を投影したものに過ぎません。

気の修行の過程ではこういうのを「闇落ち」と言ったりします。

自分の内の闇を外側の幻想に投影することで苦しむのです。

 

物語から自由になるために

なぜこうしたことが起きるのかというと、結局は受け入れがたい自分を強く否定して認めまいとするからです。

気が強い人というのは、ふつうの人よりも心のエネルギーが大きいです。

良くも悪くも動かせるエネルギーが大きいので、心の中に葛藤があるとその葛藤は普通の人より何倍も大きく、反転して自分を神だと思い込むくらいめちゃくちゃ自己価値が低いとも言えるのです。

そんな人が自分を無条件に受け入れ、自己の本質を悟るとめちゃくちゃ大きなプラスの影響力を社会に対して持つことになるでしょう。

ただ、往々にしてこうした人たちは、分析的で科学的な言葉を使った客観的な自己認識が苦手です。

自己価値の絶対性が覆り、自分の生きている人生が単なるストーリーであり幻想であることを受け入れなければならなくなるからです。

自己葛藤を手放そうと思うまでは、特別な価値のある自分の存在や人生が、単なる思い込みであり、沢山ある物語のうちの一つであるとは到底受け入れられないでしょう。

何度も言うように、こうした生き方やこういう人が悪いといっているのではありません。

一つ上の抽象度から観るとそのように見えるということをお話ししているのです。

自分の強い気がゆえに、気の使い方を知らないと、自分を(場合によっては周りの人も)自分の思い込みが作っているその世界の中に閉じ込めて出られなくしてしまうことがあることを知ってもらいたいのです。

なぜなら、気功とは、その上の抽象度からでないと使えないからです。

本当の意味で「気」を使えるということは、この世のどこにも絶対的な真実などない、すべては「空」であるという理解の上にしか成り立たないものです。

自分の生きている世界は、自分が選んだ一つの世界であり物語に過ぎません。

あなたはその世界に自分を閉じ込めてはいませんか?

多くの人は情報空間を書き換えることだけに意識を向けがちですが、書き換えたいと思うその情報から自由になる術を身につけることが本当に大切なことであり、気功の本質的な価値であるともいえるのです。

気は強いだけではだめで使い方を知らないともろ刃の剣になる可能性があり、使う人の抽象度が大事なのです。

 

-心(マインド)と気功

© 2024 三和氣功