気功について 病気と気功

🌙治癒=身体的修復を超えた変容

2025年11月7日

── 痛みを受け入れるとき、魂は本質に還る

人は、病や苦しみを通して変わっていくことが出来ます。
治癒の本質は、外側に起きることではありません。内側で起きる“意識の変容”です。

単なる肉体の修復ではなく、心の中で何かが和解し、赦され、再び一体になること。
このとき人は、古い自分を捨て、本当の自分へと目覚めていきます。

それは、恩師宗教心理学者・松本滋先生が説いた「内的宗教体験」──宗教という枠を超えた、人間の内側で起こる“聖なる出来事”であり、それこそが治癒の本質、真の癒しです。

内的宗教体験とは、神との直接的な関係性を通じて自己の深層に触れる、個人的で実感的な宗教体験を指します。
これは、特定の宗教の教義の信仰や、特定の神への宗教的なつながりを意味せず、自分を越えた「大いなるもの」との内的で直接的な、深層体験のことです。

ユングが「個性化」と呼び、道家が「返照」や「還虚」と語ったように、癒しとは、魂が自らの本質へと還っていく内なる統合のプロセス

🌿 内側で起きる静かな革命

本当の治癒とは、内側を感じ、観るという内的な行為の中で起こります。

だから、外側から見てとれる修復や回復は結果の一つでしかありません。
もし、外側に見える修復や回復だけに注目していたら、本質的な治癒やその痛みなりをを通してその人が本当の自分へと還るプロセスは失われれうかもしれません。

 

内的な行為とは、病や心理的痛みを“否定せずそのまま認める”こと。

その痛みや病と闘うことを辞め、和解するのです。
それは否定してきた自分の一部を赦し、無条件に愛するという選択をすることでもあります。

内側と向き合うということは、痛みや苦しみに埋没することを意味しているのではありません。
苦しみに屈服するのではなく、苦しみを拒絶するのでもなく、ただ見守り、寄り添うという在り方の中で、初めて真の癒しが始まります。

このプロセスの果てに、内側での深い自己受容と内的な統合が起きます。
これは、冒頭でご紹介した松本滋先生の「内的宗教体験」であり、ユングが「個性化」と定義した体験です。

神学者ルドルフオットーが提唱した「神聖な体験=ヌミノース」であり、ユングはこれを、それが起きた時には、人が「抗いようのない」普遍的な体験だと述べています。

それは、魂が「運命的な意味」に触れる瞬間であり、人生の転機や危機に現れることが多く、「意志によって引き起こせない、主体を圧倒する力動的な作用」として、人生に現れ、自己の深層で変容を起こすプロセス。

ユングはこれを人生の後半に、人が生涯をかけて真の自己(Self)へと成熟していく心理的プロセスととらえていました。


もしも今、あなたが困難に直面し、苦しみの中にいるのなら、それは魂が自らの本質に還り、内なる聖性と再び結び直そうとする、真の癒しのプロセスの中にあると言えます。

そうしたプロセスの中で、私たちに必要なことは、「楽になること」や「逃避」ではなく、その体験に「開く」こと。
静けさの中で痛みと共に在る勇気なのです。

それは、時として難しいと感じることもあり、恐れのために抵抗したくなるものですが、実際に、そうすることでしかこのプロセスは完了しません。

 

「癒す人」と「癒される人」の幻想を超えて

現代では、スピリチュアルや、セラピーが「癒し産業」として成り立っています。

そこでは、快適さや即効性、慰安が求められがちです。

それ自体が悪いわけではありませんが、身体的、精神的痛みや苦しみを“排除すべきもの””わるいもの”とみなす構図は、「癒す側」と「癒される側」の役割を固定化し、共依存のループを生み出します。

そこでは「癒し」は神聖で深遠な人生の体験としては扱われず、痛みや苦しみの本質と向き合わず、表面的な体験を追い続けるだけになります。

三和氣功の立場から言えば、それは「本当の自分」へと還るための道の喪失です。

真の癒しとは── 誰かに“してもらう”ことではなく、自分の内側で起きる聖なる再統合です。それは誰に変わってもらうこともできないじぶんだけのプロセスなのです。

 

痛みを通して、魂が本質へ還る旅。
それは、冬の森で凍った枝にそっと手を添えるように、「痛みを抱きしめる」という個人的で静かな革命なのです。

 

✨ 氣功哲学との響き

 ユングにとって癒しとは、無意識との対話を通じて自己(Self)と統合される「個性化」のプロセスです。

その過程では、心の中にある「影(シャドウ)」や抑圧された感情と向き合い、苦しみの中にある意味を見出すことが求められます。
癒しは「苦しみを消すこと」ではなく、「苦しみを通じて自己とつながりなおす」こと。

あなたが今抱える悩みも痛みも、それはあなたが本当の自分とつながるための鍵。内なる自分の本質と統合されるための扉なのです。

その扉を開くのであれば、否定と拒絶を繰り返すのをそっとやめてみましょう。

人は痛みを手放そうと言いますが、多くの人は手放そうとしてただその痛みに抵抗しているだけです。

本当は、抱きしめ、受け入れることによってしか手放すことはできません。

 

そしてこのプロセスは、三和氣功のような「内的変容型の気功」が目指す「還虚(空に還る)」と、「外的神」ではなく“内なる聖性”を体験する道として重なっています。

道家の言葉である「還虚」は、“空(くう)”に還ることで本来の自己を取り戻す教えであり、三和氣功の言葉で言えば、「本当の自分」に変えること。

ここで大切なことは、──痛みを抱えたままでも、私たちは空なる自己に戻ることができるということ。痛みを抱えることを自分に赦すことが、「環虚」の道なのです。

なぜなら、痛みを拒絶せず、受け入れることで自己の境界が溶け(自己の対立がなくなり)、宇宙的な広がりと一体化するからです。

氣の哲学の概念である「虚」は無ではなく、すべてを包み込む創造の源。

よって、痛みもまたその「虚」の一部であり、それを排除しようとする心が分離を生み、「虚」に還ることから遠ざけます。

だからこそ、痛みを抱えたまま静かに在ることで、心は抵抗を手放し、虚に溶けていきます。

そこにこそ、治癒の本質があるのです。

 

 

 

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