問題に見えているだけで、問題は無い
この世界は矛盾でできています。良いことも悪いことも起きるし、幸せを感じたり不幸のどん底に落ちたりする。得したり損したりもするし、幸運に恵まれる人も、不運にばかり遭う人もいる。
自分の前途や身の回りには問題だらけに感じているかも知れません。
でも出来事はただ起きているだけで、実は問題はないのです。問題に見えるのは、みる人の視点から見ればそう見えると言うだけで、出来事はただ起きて流れていくだけです。
それを運が悪いとか不幸だと思うのは、一人一人の視点によって違います。
物事はただ生じては消えていくものです。
だからもし、そこに問題を見いだしても放っておけば本当は済むことなのですが、不安とか恐怖とか、そういったものに突き動かされて、私たちはそれを何とかしようとしてしまいます。
何が正しい、何が悪いと言って、その問題や悩みに挑もうとしてしまう。
その結果、その問題が解決するかというと解決はしません。問題に意識を向ければ向けるほど、そこに「気」が集まることになり、問題のエネルギーは大きくなるだけです。
問題とはただの概念です。概念に過ぎないのに、私たちはそれを乗り越えるべき壁とか、取り除かないといけない厄介な物のよう認識してしまう。
その結果、実際に「問題」という幻に押しつぶされたり、追い詰められたりしてしまうのです。
問題は幻です。
ただ出来事が起きただけ。
だから、避けたり、なんとかコントロールしようとせずに起きたことを淡々と受け入れて向きあうしかないのです。そうすれば出来事はただ自分を通り過ぎていきます。
それは、不幸ではありません。不運でもありません。そこに不運だとか不幸だとか、悪いことだといった意味づけをしてエネルギーを注ぐのでそれがまた現実となってしまうだけです。
ただ起きたことなのです。
そして、たとえそれが辛いことであったとしても、それが起きたことは素晴らしいことなのです。
あなたにしか味わえない体験だから。
出来事が重たくて大きいほど、あなたはそれだけのエネルギーを消化できる器があるとも言えます。
だから、自分を運が悪いとか何かの罰が当たったとか、私だけ不幸だとか、私が悪いんだとか、そんな風に責めたり追い詰めたりしないでください。
そうやってありのままの流れを否定して自分を否定し続けると病気になります。
体験をちゃんと味わおう
体験はどんな体験でも味わいましょう。
嫌なことや苦しいこと、怖いことだからと避けたり、否定したり、無視したり、なんとかコントロールしようとすればするほど、流れの滞りが生まれ、先に進めなくなります。
怖くても、辛くても、目を開けてしっかり出来事と向き合うことです。
自分が感じる恐怖、絶望、苦しみ、不幸… 全部いったん受け入れないと先には進めません。
そこをしっかり受け入れずして、こうなりたい、ああなりたいと思っても、それはプロセスにはならないのです。
人生は長いプロセスです。
体験はそのプロセスの一部としてやってきます。
だから、不幸な出来事がやってきたら、怖がらずに堂々とまず不幸になればいい。不幸とはなにかを味わうのです。
その体験に付随する辛い感情も、怒りや憎しみも、さみしさも切なさも、全部味わいましょう。
それは人間の特権です。
そうすれば自然と次の波がやってきて、いつの間にか、不幸のどん底からは脱して違う世界に移動しています。
恐怖に支配されていると、そんなことは信じられない!と思うかも知れませんが、万事は常に揺らいで移ろっていくのものです。
その流れをよりスムーズに過ごしたければ、抵抗をやめること。それも自分の人生には必要な体験だと、良しとして歓迎するのです。
否定したり拒絶したり、誰かを責めたり、自分を責めたり、なんとかコントロールしてやろうとせずに、起きることを受け入れ、身を任せ、ただ見守るのです。
体験を受け入れる身体を作る
体験を味わい、受け入れるには、実は器としての「身体」が必要です。
体験を受け入れるのは「心」の問題だと思われがちですが、実は身体の問題です。
どんな不幸も、闇も、苦しみも、柔軟に受けいれ、消化し、そして手放すことができるのは、感性の整った身体です。そしてその身体から生まれる精神性です。
逆に言えば、ガチガチで緊張しきった身体では、不幸や闇を受け止める器が育たず、心も身体も折れてしまうでしょう。
あなたが問題に対していつも不安や恐怖に駆り立てられて行動してしまったり、逃げたくなったりしてしまうのは、あなたの心が弱いからではなく、身体が体験の器としてうまく機能していないためです。
だから、もしあなたが不安や恐怖にとらわれ、
起きることのすべてを自分で把握しないといけない強迫観念や、
未来に足して万全の備えをしていないと安心できないとか、
~ねばらならない、~あるべきだという価値観にがんじがらめになって、
問題を何とかしようと躍起になっていたり、生きづらさを感じたり、地に足が付いていない感覚を覚えているのであれば、まず、身体をケアし感性を整えて行くことに力を注ぐ方が良いと思います。
身体性が整えば恐怖や不安に支配されることがなくなります。
気功では、例えば丹田を整えたり、軸を整えたり、大周天や小周天といった気功で身体性を磨いていきます。
身体が整えば、どんなことにも耐えうる元気で柔軟性のある心と身体が手に入るのです。
物事をよりニュートラルに観る感性が整うと言ってもいいでしょう。つまり、高い視点で自分や世界を見渡せる知性です。
ニュートラルとは心の状態だと思われていますが、実はそれを裏付けているのは身体のあり方、身体の感性なのです。
未来への祈り
そうやって現状を受け入れ、現状を良しとした先に、未来への祈りが自然と生まれてきます。
私はこのようにありたい、このように生きたいという祈りです。
目標を持つことの大切さはよく説かれますが、現状をよしとすることの重要性にはあまり目が向けられません。
でも、未来の目標を心から欲しいと思うには、実は現状や現状の自分を良しとして受け入れる必要があるのです。
そうでなければ、コインの表側だけ見て、裏はいらないと言っているのと同じだからです。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。