「うまくなる」から「深くなる」への転換
気功を始めると、多くの人がこう思います。
もっと強く感じたい。
もっとはっきり気を出したい。
もっと上手くなりたい。
とても自然な動機です。
「うまくなりたい」という気持ちは、
成長のエネルギーでもあります。
認知を整える。
情報を書き換える。
現実を動かす。
そうした文脈から入ってきた人ほど、
精度や結果を大切にします。
それ自体は間違いではありません。
けれど、ある段階で必ずぶつかる壁があります。
強さが上達だと思っていないか
続けていると、こんな揺れが出てきます。
今日はよく感じる。
今日はあまり感じない。
強い日と弱い日がある。
思ったほど安定しない。
すると多くの人は考えます。
やり方が間違っているのではないか。
まだ理解が足りないのではないか。
もっと理論を学ぶべきではないか。
でも、そこで起きているのは
技術の問題とは限りません。
ぶつかっているのは、
「うまくなりたい自分」と
「うまくいかない自分」
この内側の分離です。
認知を操作しようとする意識と、
今ここで揺れている身体とのズレ。
そのズレが、緊張を生みます。
氣感の強さと質は関係ない
私の先生はよく言っていました。
「氣は強けりゃいいってもんじゃない」
そしてこうも言っていました。
「問題は、どんな意識で使っているか」
氣感が強いことと、
氣の質が整っていることは別です。
焦りから出しているのか。
承認欲求から出しているのか。
書き換えてやろうという意識からなのか。
それとも、静かな中心の意識からなのか。
同じ“強い気”でも、
出どころが違えば質はまったく変わります。
逆に、氣感が弱くても、
呼吸が自然で、身体が静かなら、
質は整っています。
だから、
気が強く感じられない日があっても、
落ち込む必要はありません。
強さは指標ではないからです。
上達とは、分離が減ること
では、上達とは何でしょうか。
エネルギーが派手になること。
遠くに飛ばせること。
人を驚かせること。
それよりも本質的なのは、
自分の揺れに気づけること。
焦りに気づけること。
うまくいかない自分を切り捨てないこと。
つまり、
分離が少しずつ減っていくこと。
操作の精度が上がることよりも、
認知の深さが増していくこと。
自分の内側で何が起きているのかを、
誤魔化さずに観られること。
ここが土台になります。
なぜ「自然呼吸」と「リラックス」なのか
三和氣功の基礎は、
とても地味です。
自然呼吸。
リラックス。
それだけです。
強く出そうとすると、呼吸は止まります。
うまくなろうとすると、肩が上がります。
結果を出そうとすると、胸が固まります。
その状態でどれだけ強い氣感があっても、
質は荒れます。
自然呼吸に戻れているとき、
身体は分離していません。
認知と身体が一致しています。
だから上達とは、
より強くなることではなく、
より戻れるようになること。
自然呼吸に、何度でも帰れること。
それが基礎であり、最終形でもあります。
操作から、関わりへ
最初は「うまくなりたい」で始めていい。
でも、本気で深めていくと、
問いは変わります。
どうすれば動かせるか、ではなく、
どんな状態で関わっているのか。
情報をどう操作するか、ではなく、
情報と、どんな関係でいるのか。
相手との関わり方。
世界との関わり方。
自分との関わり方。
ここに意識が向いたとき、
気功はテクニックから在り方の探求へ移ります。
そして不思議なことに、
在り方が整うほど、
操作は必要なくなります。
深くなるほど、シンプルになる。
気功の上達とは、
強くなることではなく、
分離が減り、
自然に戻れる時間が増えていくこと。
そこから先に、
本当の安定が生まれます。
そしてここが、
多くの人がまだ気づいていない転換点です。
氣功師・ヒーラー
中国の伝統氣功と認知科学の知見をもとに、無理をせず、自然な流れに還るための氣功とヒーリングを伝えている。三和氣功が大切にしているのは、何かを変えたり、足したりすることではなく、本来の自分に還ること。
頑張ることを手放し、ありのままの状態に戻ったとき、
人はもともと備わっている力や調和を自然と思い出していく。
氣功を人生を操作するための方法ではなく、自然体で生きるための智慧として提案している。