なぜ「空」から創造するのかるのか
現代では「現実を創造する」という言葉が、
あらゆる自己啓発やスピリチュアル分野で
語られています。
コーチング、引き寄せ、潜在意識、アファメーション
──それらはいずれも「思考」や「感情」を操作し、
現実を意図的に変化させようとする方法論です。
けれど氣功の世界から見れば、
それらは創造のごく表層にすぎません。
なぜなら、思考や感情そのものもまた、
氣(情報)の波の上に浮かぶ現象だからです。
真の創造とは、波を操作することではなく、
海そのものに還ること。
思考の力で現実を動かそうとする段階から、
「現実そのものが自らの意識を映している」
と気づく段階へ。
そして最終的にたどり着くのが、
「空(くう)」──あらゆる形の根源、
まだ現れていない無限の可能性の場です。
空とは「何もない」ではなく、「すべてがまだ在る」場所。
そこに還るとき、あなたは操作ではなく、共創の流れに乗ります。
思考で創る世界 ― 現代的創造法の限界
多くの人が行うアファメーションや
ビジュアライゼーションは、
「望む未来の映像を
強く思い描くことで現実を変える」技法です。
これは確かに、
脳の可塑性(ニューロプラスティシティ)や
潜在意識の選択的認識機能(RAS)など、
科学的裏付けを持つ
“現実への影響力”を発揮します。
しかし、その方法が効果を持つのは
あくまで“思考が現象を選び取る範囲”
においてです。
思考の枠を超える現象
──たとえば予期せぬ出会いや、
内的シフトに伴う世界観
そのものの転換──は、
その操作領域の外にあります。
そしてもう一つの問題は、
「変えよう」という意図そのものが、
同時に“まだ足りない現実”を
強化してしまうということ。
意図の根には常に二重構造があり、
「叶えたい」には「まだ叶っていない」
が共存しています。
だから、操作的な創造法は
多くの人にとって
無限の努力と不足感のループを
生み出すのです。
氣功的な創造は、これとは
まったく異なる地点に立っています。
それは「望む現実をつくる」のではなく、
すでに在る全体の調和に“還る”ことによって、
現実が自然に変化していく流れに
身を置く方法です。
変えようとする力を手放すとき、
世界はあなたの内側から再び流れ出す。
それが“空から創造する”ということ。
氣功的創造 ― 操作ではなく共鳴
氣功における創造は、
コントロールではなく共鳴です。
「何かを動かそう」とする
意図を越えて、
すでに在る宇宙の秩序に
自分の波を合わせること。
氣は、力ではなく情報。
そして情報は「関係性」
としてのみ存在します。
つまり、私たちは常に世界と
“共振”しながら現実を形づくっている。
氣功修練において「整える」とは、
自分を宇宙のリズムに
同調させることに他なりません。
姿勢、呼吸、意識
──三調が一つに融けるとき、
個の意図は自然の意図に戻り、
そこから生まれる行為は
「無為自然」の流れに乗ります。
この状態で現れる創造は、
「思考で組み立てる」ものではなく、
“起こるべくして起こる”出来事の連鎖です。
操作を手放したとき、
すでにあなたを通して世界は動いている。無為とは、無関心ではない。
むしろ、最も深い共鳴のかたちである。
氣功師にとっての創造主とは、
世界を操る存在ではなく、
世界が自己として
創造されている事実に目覚めた存在なのです。
空と情報 ― 科学的な視点から
では、この「空」と「共鳴」は
どのような構造を持っているのでしょうか。
ここで現代科学が提供する鍵の概念が
「情報」と「ゼロポイント」です。
🧬 1. 氣=情報の秩序
神経科学や生物電磁学の分野では、
人体は数十兆の細胞が
電位差をもとに微弱な
電磁フィールドを形成していることが
知られています。
この生体電場は
単なる物理現象ではなく、
情報の秩序を保つためのネットワークです。
氣功における「氣を整える」とは、
この電磁的情報場の
自己組織化を促すプロセス。
混乱した情報が静まり、
秩序が回復するとき、
生命は自然に治癒・再生へと向かいます。
ここで重要なのは、
秩序を“作る”のではなく、“思い出す”
ということ。
情報場は本来、全体調和の原型を
すでに内包しているのです。
🌌 2. ゼロポイント ― 空の物理的比喩
量子論における
「ゼロポイント・フィールド」は、
宇宙のあらゆる粒子が
誕生する基底のゆらぎ。
そこでは完全な静止が存在せず、
常に微細な振動(量子揺らぎ)
が満ちています。
この状態は、
氣功でいう「空」に非常に近い。
なぜなら、
どちらも“何もない”ではなく、
あらゆる可能性が
まだ形を取っていない状態だからです。
氣功の修練において、
意識が深い静けさへ沈むとき、
脳波はα波からθ波へ、
さらにδ波へと移行し、
感覚は“動と静のゼロポイント”に
留まります。
その瞬間、身体は宇宙の
根源的振動と同調し、
外界と内界の区別が溶ける。
静けさの奥では、
無限の情報が、次の創造を待っている。
☯ 3. 情報空間と現象空間の往還
苫米地英人博士の理論では、
私たちの現実は「情報空間の構造
(内部表現)」に基づいて展開しています。
氣功はまさにその情報空間を
直接整える技法。
ただしそれは操作ではなく、
“観照と共鳴”によって
秩序を再生する行為です。
ここで空と氣功が交わります。
空とは、情報空間の究極の基底。
全ての波動と形の源であり、
そこに還ることで、
現象界のあらゆる歪みが
自然に調い始めます。
空とは、最も高い抽象度の情報場。
そこに還ることが、最も深い癒しであり、
最も穏やかな創造である。
無為自然 ― 操作を超えた創造の原理
氣功の哲学の根底には、
古代中国の道家思想があります。
その中核をなす概念が
「無為自然(むいじねん)」です。
1. 「無為」とは何もせぬことではない
老子は『道徳経』でこう語りました。
「無為にして為さざる無し」
これは“何もしない”という
怠惰の勧めではなく、
「意図的な作為を手放すことで、
自然の働きが自ら成る」という原理です。
現代的に言えば、
「自己の制御を超えた
全体の調和的知性に委ねる」こと。
心理学的には、
これは“フロー状態”に
極めて近いものです。
人が過剰な意図を手放したとき、
脳内では前頭前野の活動が静まり、
全体脳的なネットワーク
(特にDMNと運動野の協調)が
活性化します。
この状態では「自分がやっている」
という感覚が薄れ、
“行為そのものが
自己を通して起こる”体験が現れます。
氣功の熟練者が語る
「氣が自分を動かす」という感覚は、
まさにこの状態を指しているのです。
操作を止めた瞬間、
世界の方があなたを動かし始める。
2. 自然(じねん)とは宇宙の意志
「自然」は、“自ずから然り”と書きます。
つまり、「他によってではなく、
自らの本性によってそう在ること」。
この“じねん”の思想は、
東洋的世界観において
宇宙が自己調整的に秩序を生む力として
理解されてきました。
たとえば、風が吹く。
それは誰かが命じたからではなく、
温度・湿度・圧力といった関係が整ったとき、
自然に生じる。
同じように、私たちの心身も、
世界のあらゆる出来事も、
見えない「氣の関係性」によって
自然に成り立っています。
だから氣功における創造とは、
その“自然な秩序”に還ることによって、
最適な流れを再起動させること。
意図を離れた瞬間、
全体の意志が働き始めるのです。
3. 「為(する)」と「無為(なさぬ)」の相補構造
老子は「人為」を
過剰に用いることを戒めました。
なぜなら、世界を「自分が作る」と思う瞬間、
人は自然の循環から切り離されるからです。
しかし、無為自然は
「なにもしない教え」ではありません。
むしろ、“行為が自己の意志を超えて
自然の流れと一体化する”地点を目指す。
それは「操作者」から「共創者」への転換です。
心理学的には、「意図的注意」が消え
「自動化された統合意識」が働く状態。
宗教哲学的には、
「道」と一体化した人間の働き。
氣功的には、「氣が自ずから動く」境地です。
行為をやめよとは言わない。
ただ、行為の中に“私”を置かないこと。
そのとき、為さざるに為す力が現れる。
4. 無為自然と創造
では、この“無為”はなぜ
創造とつながるのでしょうか。
それは、「空」の状態で初めて、
宇宙の情報(ポテンシャルエネルギー)が
純粋なまま現象化できるからです。
人間の意図は、
しばしば「過去の経験」と「未来の不安」に
制限されます。
そのフィルターの中で
世界を動かそうとすると、
創造は小さく閉じた円環の中で
終わってしまう。
けれど、無為自然の心で在るとき、
意識は空(ゼロポイント)と同調し、
現実はそこから新しく立ち上がります。
このとき創造は「自己の欲望」ではなく
「全体の必然」として起こる。
それは努力でも、偶然でもない。
宇宙と調和した“自ずからの成就”です。
5. 結論:無為は究極の能動
無為とは、
単なる静止ではなく、最高の能動性です。
意識的な努力を超え、
自然の意志に完全に開かれた状態。
そこでは「自分が創る」ではなく、
「創造が自分を通して起こる」。
その体験こそが、氣功における“真の創造”。
そして静功・動功の両輪を通じて
体現される「空の働き」なのです。
あなたが手放した瞬間、
宇宙の呼吸が、あなたを通して始まる。
静功と動功 ― 空と現象をつなぐ二つの柱
氣功の修練には大きく二つの柱があります。
それが 静功(せいこう) と 動功(どうこう)。
静功は「空」への還帰、
動功は「現象」への顕現。
この二つの往還が、
氣功を単なるリラクゼーションや鍛錬から、
宇宙的創造の実践へと昇華させるのです。
1. 静功 ― 空に還る行
静功とは、動きを止め、呼吸と意識を静め、
氣の流れそのものと一体化していく修練です。
姿勢を整え、呼吸を見守り、
何かを起こそうとせず、ただ「在る」に還る。
やがて「氣を感じる私」と「氣そのもの」が溶け合い、
主体と客体の境が消える。
このとき、意識はゼロポイント
──空の中心に沈みます。
そこでは、外界の刺激も、内なる思考も、
ただ静かな波として存在している。
その静けさの中に、まだ形を取らぬ無限の力が息づいている。
静功は、
創造の源(ソース)に還るための道。
行為を止め、意図を超えることで、
氣が自然に整い、
生命が本来の秩序を取り戻します。
2. 動功 ― 空を現す行
一方の動功は、呼吸・姿勢・
意念を伴って氣を動かす実践です。
立禅(りつぜん)、八段錦、太極拳──
いずれも身体を通して氣の流れを感じ、
自然界のリズムと調和していく技法です。
動功において重要なのは、
「動くために動く」のではないということ。
動作は意識の延長であり、
意識は空の延長です。
空で生まれた静けさが、
呼吸となって形を持つ。
その呼吸が筋肉と骨格に波及し、
動作となる。
つまり、動功とは空の顕現そのものなのです。
氣功師は、動作を通して
宇宙の波を地上に写し取ります。
だから動功は、
「空を生きる」行為でもあるのです。
動きの中に静を観よ。
静けさの中にこそ、最も深い動きがある。
3. 両者の統合 ― 無為自然の循環
静功と動功は対立ではなく、
陰と陽のように互いを補い合う。
どちらか一方に偏れば、氣の循環は滞ります。
静功ばかりでは、氣は満ちても現象化されず、
動功ばかりでは、氣が消耗して静けさを失う。
氣功とは、この二つを循環させること。
静けさに還り、動きに顕し、
また静けさに戻る。
その往還の中で、
氣は枯れることなく流れ続けます。
この循環こそが、「無為自然の創造」の根幹。
天地のリズム、呼吸の波、人生の流れ──
すべてがこの動静のリズムで動いています。
静功は空を学び、
動功は空を生きる。そして両者がひとつに統合されるとき、
あなた自身が“道”となる。
4. 実践 ― 現象世界における「空」の表現
私たちが現実の中で氣功を生きるとは、
単に瞑想することでも、
身体を動かすことでもありません。
たとえば──
怒りが湧いた瞬間に呼吸を見つめること。
判断しそうになった時に、身体の重心を
感じること。
そのわずかな間(ま)こそが、静功の入り口です。
そして、
静けさの中から自然に生まれる行為──
ふと誰かに言葉をかけたくなる、
急にアイデアが降りてくる、
その「自然な動き」が動功の現れ。
このとき、あなたの行為はすでに
空から生まれている。
そこには「正しい・間違い」という判断もなく、
ただ生命の流れが自然に形をとっている。
それが、氣功のいう「創造」なのです。
静功と動功は、空と現象をつなぐ呼吸のようなもの。
静まるほどに氣は満ち、動くほどに生命は輝く。両者を往還しながら、あなたは“空を生きる存在”へと変わっていく。
結び 空に還る者は創造主である
創造とは、なにかを
「起こす」ことではありません。
それは、すでに在る秩序に氣づくこと。
私たちはいつも、
世界を変えようとしてきました。
正そうとし、治そうとし、
成し遂げようとしてきました。
けれど、その努力の奥で、
世界はもうすでに
「調っている」のです。
氣功の道は、
そのことを思い出させてくれます。
静功で空に還り、動功で空を生きるとき、
私たちは“宇宙の呼吸”の中で
生かされていると知る。
空とは、何もないことではなく、
すべてが今、ここに生まれ続けていること。
あなたの内なる静けさが世界の秩序と共鳴し、
あなたの息が天地の流れをつなぐ。
その瞬間、
あなたは「創造する人」ではなく
「創造そのもの」になります。
無理に動かなくていい。
焦って形を作らなくていい。
ただ静寂に還るだけでいい。
すると、氣は再び満ち、
生命は自らの意志で流れ始めます。
それが「無為自然の創造」。
変えようとする力を手放したとき、
あなたはすでにすべてを変えている。
この宇宙のすべてが、
あなたを通して息をしています。
あなたが静まるほど、
世界は静まり、
あなたが整うほど、世界は調っていく。
だから、恐れずに静寂へ還ってください。
空へ還り、和へ還ってください。
そこに、あなたのすべての答えがある。
そして今、こう言葉にして伝えたい──
あなたは傍観者ではない。
あなたは、この世界を生み出している存在だ。
創造主として生きるとは、
力を誇示することではなく、
愛と調和の中で自然に還ること。
静寂は、和に還る道。
和は、すべての生命をつなぐ輪。
あなたが和に還るとき、
世界はあなたを通して
新しく息づき始めます。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。