静けさの中にある力
風が止まり、空気がやわらかく澄む瞬間。
世界の“間(ま)”が現れ、すべてが一度、静止する。
氣功の修練とは、このような静寂の中へ入っていくことです。
けれど、その静寂は“無”ではありません。
そこには、まだ形を持たない、無数の可能性が息づいています。
私たちは普段、現象(結果)を「現実」だと思い込んでいます。
けれど、氣功の視点では、その奥に広がる“情報空間”こそが原因であり、本質です。
つまり──
世界はまず情報として存在し、物理はその投影として現れる。
この一文が腑に落ちたとき、氣功の本当の面白さが見えてきます。
風水と氣功 ― 外の氣と内の氣
古代中国では、天地の氣の流れを「龍脈」と呼び、その流れを読む術が風水として発展しました。
風水は、山や川、建物や方位など──
外界に刻まれた氣の情報構造を観察し、その秩序に人の暮らしや社会を合わせていく学問です。
つまり、風水とは外なる情報空間の翻訳技法なのです。
しかし氣功は、その外界の氣を「内界の情報」として扱います。
呼吸、姿勢、意識、感情──
それらはすべて、身体という“情報場”に刻まれたデータ。
氣功の修練とは、それらの情報を再配置し、秩序(=氣の流れ)を整える行為なのです。
風水が「自然界の氣」を扱う学問であるなら、氣功は「心身の氣の再構成」を洗練する学問。
そして、この2つは本来、対立するものではありません。
同じ氣の原理を、外と内という異なるスケールで扱っている──
それが風水と氣功の関係です。
情報空間の法則 ― 「意味」が現実をつくる
現代の情報理論や認知科学でも、「情報は物理に先行する」という考え方が注目されています。
苫米地英人博士の理論では、人間の脳は外界を直接見ることはできず、内部表現(=情報構造)を通して世界を知覚しているとされます。
つまり、私たちが「現実」と呼ぶものは、実際には(脳による)情報の翻訳結果であり、その意味づけの仕方によって現実は変わる。
氣功はまさに、その“意味の秩序”に介入する技法です。
氣を感じるとは、不思議なエネルギーを掴むことではなく、情報空間の構造を観察すること。
氣を整えるとは、乱れた情報の秩序を再編すること。
そして氣が流れるとは、全体の情報がひとつの調和に向かって自己組織化すること。
この視点を持つと、「氣を動かす」とは「情報を動かす」ことに等しくなります。
結界とは、情報の秩序を創ること
「結界」という氣功技術があります。
もともとは陰陽師の使う術として伝わり、今では一般にも広く知られた言葉です。
多くの人は、「結界」と聞くと“防御”のイメージを持ちます。
けれど、氣功で扱う結界はまったく異なります。
それは、外からの攻撃を防ぐ盾や壁ではなく、情報の秩序を生み出す空間構造なのです。
恐れや不安をもとに張られた結界は、「攻撃される前提」の情報を増幅し、結果的にその現実を引き寄せてしまいます。
守ろうとして張られた結界は必ず破られます。それがその結界の前提だからです。
逆に、愛と調和の意識から結界を形成すると、その情報が場全体に波及し、静かでやわらかな“共鳴場”が生まれます。
つまり、気功師にとって結界とは「何を防ぐか」ではなく、「どんな秩序を生み出すか」と言う目的のもとに張るもの。
外界を変えるのではなく、自らの意識が放つ情報によって“場”を創造する。
それが氣功における結界の本質です。
氣功師は情報空間の翻訳者、そして創造主
氣功師とは、氣を“情報”として読み解き、再定義する存在です。
風水師が龍脈を読み、土地を整えるように、氣功師は意識の龍脈──情報の流れ──を観て整えます。
言葉、呼吸、意図、そして臨場感。
それらはすべて、情報空間を再構成するためのツールです。
氣功師は、現象を直接操作するのではありません。
現象を生み出す情報場を整えることで、現実が自然に調っていくのです。
外界の氣は「意味づけの情報」である
氣功師にとって、外界の氣──龍脈の流れや方位、日時──といった要素ですら、すべて再定義の対象になります。
風水が「地の氣」を読み解くように、氣功は「情報としての氣」を扱います。
邪氣や吉方といった概念も、本質的には“意味づけ=情報”なのです。
たとえば、風水において西の方位に「金の氣が強い」とされるのは、長い年月の観察と信念が集合的に形成した情報フィールド。
このフィールドには確かに力があり、だからこそ馬鹿にはできません。
けれど、氣を理解している人は、その“意味づけの層”を超えて扱うことができるのです。
「方位そのものが運を決める」のではなく、
「方位にどんな情報(意味)を置くか」で世界は変わる。
これが、氣功師が行う「結界」や「場づくり」の根本原理であり、氣功師が最も大切にするべき世界に対する姿勢です。
整合 ― 「配置」よりも氣の調律へ
風水では「配置」が中心ですが、氣功では「整合(アラインメント)」が中心になります。
整合とは、自分の氣・場の氣・天地の氣をひとつの流れに合わせること。
配置や方位は、そのための“氣の調律装置”にすぎません。
重要なのは、
「どんな配置にするか」ではなく、「その場の氣に、どんな意図と情報を流すか」。
盛り塩も方位も儀式も、すべては氣の翻訳装置です。
けれど、本当に氣を理解する者は、その“翻訳元”──つまり意識の層そのものを整えます。
意識が現実を形づくる
氣功では、外の出来事や環境を「自分の意識が投影された情報」として観ます。
風水的に不利な土地も、他者の感情も、運命すらも──
すべては「情報=意味の構造」として現れている。
だから氣功師は、現象を変えようとはしません。
その背後にある情報(意味づけ)を観て、整え、書き換える。
それによって、現実の流れが変わるのです。
苫米地英人博士の言葉を借りれば、
「物理空間よりも情報空間が先にある」。
現実は結果であり、原因は意識(情報)の側にある。
氣功とは、その情報空間にアクセスし、意識の構造(臨場感)を変えることで現実の波動を変えていく技法。
氣功師とは、情報の構造を読み、再構成する存在なのです。
抽象度を上げる ― 創造主としての意識
意識の階層を上げるほど、現実への影響力は高まります。
この意識の階層を認知科学では「抽象度」と言う概念で説明します。
怒りや不安の階層で世界を見れば、現実はその周波数で形づくられる。
愛や調和の階層で情報を扱えば、現実はそれと共鳴して整っていく。
氣功師が“創造主”と呼ばれるのは、自分の意識を高い抽象度──愛・調和・静寂──の次元に置き、そこから情報空間を整える存在だからです。
創造とは、物理的に何かを作り出すことではなく、情報空間に新しい秩序を見出し、それを顕すこと。
氣功師は、世界の結果側ではなく、原因側に立って世界を創る存在なのです。
創造とは、無為自然のはたらき
氣功の理想的な境地は、「無為自然(むいしぜん)」。
それは「何もしない」ということではなく、
意図を超えた創造の流れと一体になるという意味です。
氣功師が本来の静けさに還ったとき、個人の意志と宇宙の意志がひとつになります。
この状態では、操作も努力もなく、思考より先に調和が生まれていきます。
創造主とは、世界を支配する者ではなく、世界と共に呼吸する存在。
氣功の道とは、その呼吸を思い出す旅なのです。
世界は情報として息づいている
風水が「外の氣」を整える学びなら、氣功は「内の氣」を整える学び。
けれどその奥で、両者はひとつに溶け合います。
私たちは皆、情報空間の中に生きており、意識の在り方ひとつで世界の意味を変えることができる。
つまり、氣功とは──
世界の翻訳を自らの手に取り戻す技法。
呼吸を整え、心を静め、あなたという情報場が調ったとき、外の世界もまた、その秩序に呼応して変化していきます。
そしてその瞬間、あなたはもう、この世界の主(あるじ)として存在しているのです。

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。