情報空間はどこにある?
私が師匠から三和氣功を引き継いでから6年がたちますが、その間に「情報空間の書き換え」という概念の認知度が急激に高まってきました。
お問い合わせをいただく際も、「情報空間の書き換えを学んだことがある」とか「情報空間の書き換えを学びたい」という方が最近はほとんどです。
これを読んでいるあなたももしかしたら「情報空間の書き換え」にご興味をもっている方かもしれませんね。
私たちが「情報空間」を書き換えることに注目し始めたのは、個人の体験する現実は「情報」でできているというパラダイムを受け入れ始めたからです。
私たちは情報空間を書き換えたいと思っていますが、情報空間のことをどれくらい把握しているのでしょうか?
たとえば書き換えようと思っている「情報空間」はどこにあるのか、真剣に考えたことがありますか?
書き換えようと思っている対象がどこにあるのかすらわかっていないとしたら本当に書き換えることができるでしょうか?
氣功のワークでは「情報空間」をイメージ化してとらえることがありますが、それはその方が情報をとらえやすく操作しやすいからです。
でもそれは本質的に情報空間をとらえることとは少し違います。
結論を言うと、情報空間は目の前にあります。
目に見える次元から見えない次元に至るまで、すべてが目の前にあります。
「あります」と言ってしまうと相対的に「ない」という状態があるように感じてしまいますが、それは私たちの意識が物理的な次元に縛られているからにすぎません。
情報空間においては、本質的には「ある」も「ない」もなく、ただ情報であるだけです。
もっと言うと、私たちがあると思っている時間や空間もいわばこの世界における「設定」、映画の撮影に必要なセットにすぎません。
物理次元に制限された意識では、物事を自分と他人、時間と空間、あるなしといったスケール(ものさし)なしには認識のしようがなく、情報空間をとても限定的にしかとらえることができません。
そもそも情報「空間」という表現も人間ならではのとらえ方なのです。
情報空間の書き換えについて学ぶときには、私たちの認識そのものがとても限定的で制限されたものであることを私たちはもっとよく理解しようとする必要があります。
現実とはなにか?
情報空間の書き換えで何が変わるのかといえば「現実」ですね。
では「現実」とはいったい何でしょうか?
現実とは「リアリティ」です。
私たちにとっては「リアリティ」が世界のすべてです。
不幸せな人は不幸せなリアリティを感じているし、自分がダメな人間だと思っている人は自分がダメな人間だというリアリティがあります。
私は美しいというリアリティがあればその人は美しいし、世界は素晴らしいというリアリティは素晴らしい世界を作りだすのです。
例えば、あなたが自分がリンゴを手の中に握りしめていることをリアルに認識していたとしても、それは脳内情報にすぎません。
仮にあなたの脳の神経回路を意図的に操作できたら、リンゴの形や色を変え、リンゴの存在を消したり、自分とリンゴの境界線を消したりすることが可能でしょう。
つまり、リアリティは操作ができるし、操作可能なのであればこの世にはリンゴがあるとか、あなたとリンゴは別物だとか、リンゴとは○○だといった事実すら、幻影にすぎません。
もっといえば自分という認識さえも脳内情報なのですから、「自分」すら幻影です。
それが「色即是空 空即是色」の意味です。
リアリティとは目の前に何かがある、またはないと確信を持つことですが、その確信をもって感じていることが情報であるという前提によって成り立つのが情報空間の書き換えですね。
つまり、情報空間の書き換えとはリアリティの書き換えなのです。
リアリティとは、潜在意識下にあるその人の信念や思い込みにより成り立っています。
私はダメな人間だという信念を持っていれば、その人の世界は自分がダメな人間だということを証明するための情報で埋め尽くされていきます。
情報空間を書き換える鍵は現実とは何かを高い抽象度から理解することです。
幸せになりたい、もっと能力を伸ばしたい、自信を持ちたいと思っている人が情報空間をかきかえて理想の自分になるために最も大切なことは、リアリティは情報にすぎないという認識を腑に落とすことです。
罪悪感や劣等感を持っていると、罪悪感や劣等感のためにあなたは自分をすぐに責めたり、卑下したりしてしまいます。
そのため、幸せを感じることができなかったり、辛い思いをすることになります。
でもそれはマインドの働きによって罪悪感や劣等感を感じているに過ぎない、罪悪感や劣等感は単なる一つのリアリティであり情報なのだとしっかりと理解することです。
すべては幻想であり空なのです。
あなたがどれほど自分のことを責めて苦しめようとも、どれだけ世間があなたにひどい仕打ちをしようとも、残念ながらそれはすべてただの情報であり、幻想です。
たまたまあなたが採用したリアリティが辛くて不幸なものだったというだけだということを潔く受け入れることです。
それとも、それを受け入れると何か困ることがあるのでしょうか?
そうでなければ、いつまでたっても「リアリティ」が作った制限の中にとらわれ、不幸で辛い「リアリティ」に支配され続けるだけです。
抽象度をあげて「現実」をとらえるのです。
あなたにとっての現実は、本当はあなたの支配下にあるべきものなのです。
なぜならあなたは「この世界は情報でできている」ということを本当の意味で理解できる立場にあるからです。
幸せになるのは本当に難しいのか?
とはいえ、現実を動かすのはとても難しいとまだあなたは信じているかもしれません。
でもリアリティとはそんな確固たるものではありません。
そもそも私たちは現実というものをしっかり認識しているようでいて実は見えていないものの方が圧倒的に多いのです。
氣功では目に見えない「情報」を扱ったりしますが、そもそも五感でとらえられる情報ですら、私たちは認識できていないことの方が多いのです。
脳はその人が見たいと思っているものしか目に入らないし、聞きたいと思っている音しか耳に入らないようにリアリティを制御しています。
この脳の機能をRASと言いますが、この働きのおかげで私たちの現実は自分にとって何かしら重要な情報を優先的に選んで構成された世界になっています。
例えば、あなたは間違い探しゲームをしたことがあるでしょうか?
最近ではとても精巧に作られた間違い探しゲームもあるので、難易度の高いものもありますよね。
最初は同じように見える二つの絵も、間違いを探すという目的によってだんだんと間違いが目に入ってくるようになります。
そして一度間違いを認識してしまうと、その後に何度見ても、そこには歴然とした二つの絵の違いを認識できるようになります。
すてきだなと思っていた相手も、些細なことで幻滅したり、馬鹿にして侮っていた相手も一瞬ですごいと思えたりする。
10年前には常識だったことも今は全く通用しない。
見えているのに見えていないもの、聞こえているのに聞こえていないものはたくさんあるし、正解や不正解、善悪の基準も変化します。
このように、リアリティというのは常に揺らいでいるものです。
いとも簡単に揺らぐのです。
現実はそれくらい不確かなもの。
であれば、あなたが不幸であるという現実も、あなたには能力がないというような、自分には不都合に感じられる現実も常にゆらぎの中にあります。
リアリティとは、それがあなたを取り巻く状況であっても、あなた自身のことであってもすべてはゆらゆらゆらゆらした陽炎のようなものだという視点を持ってみてください。
いかに物理的に確かな感触を得ることであったとしても、本質は情報です。
だとしたら、不幸な人が幸せになることはそんなに難しいことではありません。
間違い探しゲームと同じく、不幸せな人には幸せな世界が見えていないだけだからです。
情報空間を書き換えるために最も大事なのは、私たちが情報空間として認識しているものは陽炎のように揺らぐ不確かなものであるという、物理空間よりも上のリアリティを持つことです。
自分らしく人生を創造するための気の力を高めるための気功講座
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。