気功について

止まっているように見える時間に、何が起きているのか

第1章|進めていない自分を、私たちはすぐに問題にする

何も変わっていない気がするとき、
人はすぐに、自分を疑い始めます。

「止まっているのではないか」
「前に進めていないのではないか」
「このままでいいのだろうか」

外から見て、特に大きな変化がなければ、
私たちはその時間を
“何も起きていない時間”
として扱ってしまいます。

学んでいても、
感じるものがあっても、
日常が淡々と続いているだけだと、
どこかで焦りが生まれる。

もっと動いたほうがいいのではないか。
何か決めたほうがいいのではないか。
このまま止まっている自分は、
どこか間違っているのではないか。

そう思ってしまうのは、自然なことです。

私たちは長いあいだ、
「成長すること」
「前に進むこと」
「変化が見えること」
を、良いこととして教わってきました。

だから、
進めていないように見える時間を、
無意識のうちに
“問題”として扱ってしまう。

けれど、その判断が、
今の自分に本当に合っているのかどうか。

そこには、
少し立ち止まって眺めてみる余地があるのかもしれません。

止まっているように見える時間に、
本当に何も起きていないのか。
それとも、
外からは見えないかたちで、
何かが静かに進んでいるのか。

この問いを、
答えを出すためではなく、
ただ置いておくだけでいい。

ここから先は、
「進めていない自分」を
少し違う位置から見ていく話です。

 

 

第2章|「止まっている」と感じるとき、実際に起きていること

私たちが
「止まっている」と感じるとき、
本当に人生が止まっていることは、
実はあまりありません。

多くの場合、
外から見える変化がない
それだけです。

仕事や人間関係、環境。
目に見える出来事が動いていなければ、
人はその時間を
「進んでいない時間」
として認識します。

けれど、
私たちが普段「動き」と呼んでいるものは、
とても限られた範囲の変化です。

選択したか。
結果が出たか。
何かが始まったか。
何かが終わったか。

その基準で見るかぎり、
静かな時間は、
どうしても“無”に見えてしまう。

でも、
呼吸が深くなるとき。
身体の力が抜けるとき。
人生との距離感が変わるとき。

そこでは、
外から観測できる動きは、
ほとんど起きません。

それでも、
外からは観えないところで、
何かが調整されていることがあります。

前に進んだわけでもなく、
後ろに下がったわけでもない。

ただ、
人生に対して立っている場所が、
少しだけ中央に戻っている。

「止まっているように見える」時間とは、
多くの場合、
何も起きていない時間ではなく、

評価や判断の届かないところで、
調整が進んでいる時間
です。

それは、
頑張って起こすものではなく、
待つことで得る成果でもありません。

ただ、
動かそうとしないことで
起きてしまう変化。

次の章では、
この「外からは観えない動き」が、
なぜ止まっているように見える時間にしか
起きにくいのかを、
もう少しだけ深く見ていきます。

 

第3章|人生には、外からは観測できない動きがある

人生の変化というと、
私たちはどうしても
外側に起きる出来事を思い浮かべます。

環境が変わる。
関係性が変わる。
役割が変わる。

けれど、
それらが動く前に、
必ず起きている変化があります。

それは、
人生との距離感が変わることです。

自分をどう扱っているか。
出来事とどう向き合っているか。
無意識に、どこから人生を見ているか。

この距離感は、
努力や決断で変わるものではありません。

むしろ、
何もできなくなったとき。
判断が止まったとき。
進めなくなったとき。

そういう時間に、
自然に緩んでいきます。

外側から見れば、
ただ静かな時間です。

でも内側では、
これまで当たり前だった
緊張や前のめりが、
少しずつほどけています。

何かを掴もうとする手が、
無意識に力を抜く。

人生に対して、
構え続けていた姿勢が、
一度、座り直される。

それは、
次の一歩の準備ではありません。

すでに起きている人生に、
もう一度触れ直している時間
です。

だからこの動きは、
外から観測することができない。

結果にも、
達成感にも、
すぐにはつながらない。

それでも、
この「見えない動き」が起きないまま
次に進んでしまうと、
人はまた同じ位置から
同じ探し方を始めてしまいます。

止まっているように見える時間に、
人生が静かになるのは、
偶然ではありません。

次の章では、
なぜこの動きが
「変われない時間」にしか
起きにくいのかを見ていきます。

 

第4章|変われない時間が、中心を取り戻す時間になる

進めない時間。
決められない時間。
何を選べばいいのか、わからなくなる時間。

こうした状態は、
私たちの感覚では
「止まってしまった」
「遅れている」
と受け取られがちです。

けれど、
人生の中には、
進めないことが前提になっている時間
があります。

無理に動けば、
また外側の基準に引っ張られてしまう。

何かを決めれば、
以前と同じ位置から、
同じ選び方を繰り返してしまう。

だから、
動けなくなる。

それは、
怠けているからでも、
能力が足りないからでもありません。

人生が一度、
中心に戻ろうとしている状態
とも言えます。

これまで外に向いていた力が、
いったん引き戻される。

何かを掴もうとしていた手が、
自然に離れる。

すると、
前に進むことも
後ろに下がることもできなくなる。

でもその場所は、
何もない場所ではありません。

評価も、
比較も、
正しさも、
まだ持ち込まれていない場所。

ただ、
自分の人生と
同じ高さで並んでいるだけの場所です。

変われない時間とは、
何かを失っている時間ではなく、

人生と、自分の距離が
いちばん近づいている時間

なのかもしれません。

 

第5章|それでも、大きな変化は起きないかもしれない

ここまで読んでも、
状況が急に変わるわけではないかもしれません。

何かが解決した感じが
はっきりあるわけでもない。
新しい答えが見つかるわけでもない。

相変わらず、
日常は続いていて、
外から見れば、
特別な変化は起きていないように見える。

それでいいのだと思います。

止まっているように見える時間は、
何かを起こすための時間ではありません。

気づきや成長を
実感するための時間でもない。

ただ、
外に向かい続けていた力が、
いったん静まっているだけ。

それは、
「次の段階に進むための準備」
というよりも、

これ以上、
自分を外に差し出さなくていい状態

に戻っている、
という感覚に近いかもしれません。

だから、
手応えがない。
成果が見えない。
前に進んでいる感じがしない。

でもその静けさは、
何かが欠けている状態ではなく、
余計な力が抜けている状態です。

 

第6章|止まっている時間も、人生の内側にある

私たちは、
人生を「進むもの」として
捉えがちです。

前に進み、
変化し、
更新されていくもの。

けれど、
人生にはもうひとつの側面があります。

それは、
戻ることです。

何かを足すのではなく、
何かを達成するのでもなく、
ただ、元の位置に戻る。
これは後退ではありません。

自分の人生と、
同じ高さで並び直す。

止まっているように見える時間は、
人生が止まっている時間ではありません。

人生が、
こちらを急かすのを
やめている時間です。

だから、
無理に意味を見つけなくていい。
この時間を
うまく使おうとしなくていい。

止まっている自分を、
評価の外に置いたまま、
しばらく一緒にいられたら、
それで十分です。

何も起きていないように見える時間は、
人生が静かに
あなたのそばに戻ってきている時間。

それ以上でも、
それ以下でもありません。

 

-気功について