お知らせ

相手を心配するという支配

2019年4月9日

人は皆、誰もが完全に自由です。
にもかかわらず我々は他者の価値観の奴隷となって生きています。
そしてどれくらいそれに自分が無自覚でいるかに我々は無自覚なのです。

またそれと同じくらい、いかに我々は他者を奴隷にしようとしているかにも
無自覚すぎます。

そして何より、本当の「自由」とはなにかを我々は知りません。

イエスの言葉を借りれば、
「彼らは、何をしているか自分でわからないのです」
ということです。

自分でやっていることに対して我々はあまりにも無知なのです。

人は完全に自由です。
誰もが自由に選択し、自由に生きて良いのです。

にもかかわらず、我々は自分の自由が何かが見えないばかりか
他人の自由も見守ることが出来ません。
他者のためにとる行動の大半が余計なお世話であることが見えません。

たとえば「心配」という形で、
安易に他人の人生を支配しようとするのが我々です。

「あなたのことが心配で放っておけない」
「あなたのためを思ってやってるのよ」

本当に相手のことを尊重するなら
手を出さず見守ること、
放っておくことこそ我々にできる唯一のことでしょう。
そしてすべての結果に対して批判を挟むことなくサポートすることです。

でも、我々は平気で、心配という言葉を隠れ蓑にして
相手に脅しをかけて支配し能力を奪います。
「遊んでばかりで勉強をしないと将来あなたはダメになるわよ」
「芸術家なんてやっても食べてはいけないよ」

相手の選択を奪います。
「健康のために○○を食べなさい、○○は食べてはいけません」
「これをやったら運気が下がるからやらないほうがいいよ」

そして、他人の人生を自分がなんとか出来るかのようなことを
平気で口にします。
「私がなんとかしてあげる」

自分が他人を救える、他人の人生をなんとか出来ると思うのは
きわめて幼稚な愛であり、万能感です。

どんなに辛い生き方であろうと、どんなに苦しい状況であろうと
それを選んでいるのは本人であり、
その人の人生を救い、本当になんとか出来るのはその人自身のみです。

なぜなら、その人の生きている現実はその人本人が生み出しているから。

その人の人生におけるすべての出来事の意味や価値は
本人にしかわからないし、本人にしか作り出せないのです。

見方を変えれば、その人の人生に起きるすべての問題は
自分が自分に課したイベントであり、
必ずそれを乗り越えて成長する力がその人にはあるのです。
ただ、その力を発揮するかしないかも本人のゴール次第、自由意志です。

だとすれば、他者を心配するなどという行為は
あまり有意義なことではないことがわかります。

心配とは、過去からやってくるのであり、
過去の延長として現在と未来を封じ込めることであり、
誰もが持っている無限の可能性と力を抹殺することに等しいのです。

誰かのことが心配でたまらないのなら、本人には必ず乗り越えられると自らが
信じる能力と知性を手に入れる方が賢明なのです。
誰かのために自分が出来ることはせいぜいサポートすることか祈ることくらいです。
であれば我々は常に自分のゴールのために心身のリソースを割いている方が良いのです。

自分ではなく愛する人のために生きることを尊いとするのは
いわゆる古い価値観による洗脳です。
本質的には人は誰でも自分のためだけに生きているのです。
でもそれを知るからこそ、他人の自由意志を真に尊重できるのです。

賢い人は、誰しもが自由であることを知っています。
だから誰の心配も何の心配もしないものです。
執着をしません。執着することは自分の力を制限し
自由を手放すことに他なりません。

賢い人は自由であることの本当の力を知っています。
自由とは創造的な力です。
誰しもの中に眠っている万能の力です。

この時代、誰もが心の奥では自分が誰かの奴隷になっていることを感じていて
もう盲目的に生きることをやめたいと思っていると思います。
自分はこんなもんじゃない、自分の力をもっと発揮したいという
衝動にかられてしまうことが誰にもあると思います。
もしそうなら、まず本当の自由の意味を
自分なりに勉強することから始めると良いでしょう。

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