気功について 無為自然な生き方~三和氣功

『本当の自分』に目覚める氣の使い方~錬金術と気功

2025年3月6日

錬金術とは?

錬金術とは、古代のギリシャやエジプト周辺に起源をもつ、卑金属から黄金を作り出すための技術のことで、化学、薬学、医学など様々な学問がのちにその影響と恩恵を受けることになりました。

 

錬金術は中世のヨーロッパで大流行しましたが、実は気功の起源をたどると、錬金術とも深いかかわりがあります。

但し中国では錬金術とは呼びません。

「金」ではなく「丹」を作り出すことを目的としていたので「錬丹術」と呼びます。

 

あとでも述べますが、「丹」とは、不老長寿の霊薬のことで、これを手にすると限界を持つ「人間」を超えられるわけですね。

「錬金術」は気功師養成講座の後半部分で扱うテーマですが、もちろん物質的なレベルにおける「金」の生成を取り扱うわけではありません。

 

錬金術の背景には哲学(ヘルメス哲学)があり、錬金術は、広義には、あらゆる物質と人間の肉体や魂をも対象としてそれらをより『完全な存在』に錬成する試みを意味します。

 

錬金、錬丹とは、この世界におけるあらゆる領域における卑金属的なものが貴金属=「金」に象徴されるものへと変容していくプロセスへの人間の取り組みを指しているといえます。

ここで、卑金属が象徴するものとは、不完全、病、偽物、限界、無価値なもの、すなわち『偽りの自分』ですし、一方「金」とは、完全無欠な本物、『本当の自分』のことです。

 

あなたは自分を卑金属だと思いますか?金だと思いますか?

 

錬丹とは?

錬丹とは、中国における錬金術といってもいいのですが、「丹」とは何でしょうか。

「丹」とは、あらゆるものを変容、再生させる力を持った霊薬だと考えられています。

 

不完全なものが完全になるために、病んでいるものが健康になるために、偽物が本物になるためには、「丹」が必要なのです。

私たちが『偽りの自分』から目覚めて『本当の自分』へと変容を遂げるために「丹」が必要なのです。

 

この「丹」は、西洋の錬金術における「賢者の石」に相当するものだと考えられます。

「丹」や「賢者の石」は、錬金の過程において不完全性(卑金)が変容し完全性(金)が現れ、成就するたの触媒のような存在です。

 

そしてこの「丹」を文字通り物理的な薬として生成しようと試みる方法を「外丹術」と呼びます。

外丹は、まさに錬金術のイメージそのもので、鉱物や草木を鼎炉(釜のようなものと焼却炉)にて火にかけて焼煉(加熱)することで「丹」を生成します。

 

気功は「丹」を得るための内的なプロセス

一方、錬丹には「外丹」に対して「内丹」と呼ばれるものがあります。

「内丹」とは、自分の内側において「丹」を得ようとする試みです。

そのため、身体的精神的な内的プロセスが必要となります。

 

その意味では気功は「内丹」そのものと言えるでしょう。

例えば「丹田」とは、言うまでもなく体内において「丹」が生成される場所、「丹」を得ることのできる場所という意味です。

氣功の修練において丹田を活性化することは、その人の内的外的変容を促すために重要なことだと考えられてきたのです。

 

三和氣功では基礎的な段階で「身体性」という概念を使って「丹田」について説明します。

「丹田」と言われる物理的な組織や臓器があるわけではないので、わかりやすく「身体性」という概念を使ってとらえるようにしています。

 

物理的な過程で丹を得る外丹とは違い、「内丹」は非物理的な領域=情報次元における取り組みなので、身体の感覚、イメージ、意図などを駆使して、「共感覚」によって行う必要があります。

内丹術が発展していく過程で、気の修行法として洗練されていきました。

 

たとえば、錬金術においては物事を生み出すためには「聖なる炎」が必要なので、金を生み出すためにアタノール(炉)を炎で加熱しますが、

内丹では炎は「意念」であり、それによって引き起こされる共感覚を増幅させることによって丹田に気が満ちたり、特定の経絡を気がめぐりだします。

伝統的な気功はイメージや意図と共感覚を駆使して、内的な感覚に変容を起こし、洗練していく(丹に変えていく)ために行うといってもよいでしょう。

 

 

内的な体験として鉛を金へと変容させる

内的な体験として錬金術を捉えてみると、私たちを過去にしばりつけ、自らに制限をかけさせる思い込みやネガティブな感情こそ卑金属であると言えます。

辛くて苦しい情動が湧く時には、私たちはそれらを感じたくないと見て見ぬふりをし、臭いものに蓋をするがごとくなかったことにし、ごまかしたり、逃げたりします。

 

それは防衛としては成り立っていますが、防衛ばかりをしていても何も変わることはなく、そこに錬金的な変容の余地が生じることはありません。

もしも、錬金のプロセスを成し遂げようと思ったら、どこかでしっかりとその「鉛」のような感情や信念を鼎炉(アタノール)にかけ、意念による聖なる炎によって溶かし、変容を起こす必要があります。

これは講座やセッションの中で実際にやるともっとわかりやすいですが、そうした感情や信念を内丹のプロセスにかけると、エネルギー的な変容が起きます。

「解放」が起きるということもできるでしょう。

 

いずれにしても、自分の内的な体験として錬金術を試みようとしないと、私たちは成長できず他人の価値観に縛られ、誰かの作った枠の内側でしか生きられない「鉛(卑金属)」のままで終わってしまいます。

 

錬金術と人生

錬金術は卑金属的なものを貴金属へと変容させることです。

人が親や社会の作った枠組みを壊して『偽りの自分』から『本当の自分』へと向かっていく人生における私たちの内的プロセスは錬金のプロセスにたとえることができます。

卑金属から不純物を取り除きより純粋なものに近づけることが錬金の方法です。

 

『本当の自分』とは不純物のない純粋なる自分のことです。

「自分」という存在から不純物を取り除き、純粋で完全な、本来の在り方へと戻すことが人生における錬金のプロセスです。

不純物とは、たとえば信念、感情、自己中心的で依存的な考え方、など「自我」が作り出す「分離感」であるといえます。

「分離している」という幻想によって、私たちは『本当の自分』を見失っています。

 

密閉された容器の中である物質が死に、その後完全に新しいものに変容を遂げて再生することが錬金のプロセスですが、

これは金へと「変容」するためには必ず「死と再生」のプロセスが必要であることの象徴しています。

死と再生の象徴といえば、ヨーロッパのキリスト教文化の背景においては「イエスの死と復活」ですが、イエスが死に際して語った言葉の中にこのようなものがあります。

 

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(神よ なぜ私を見捨てたのですか?)

(マタイ27‐46)

 

これは、イエスが人間として最も受け入れがたかったこと、すなわち人間が最も受け入れがたいと感じているものを表しています。

 

「人間の弱さ」、「痛み」、そして「死」。

 

処刑されるという最も残酷な形で示された『偽りの自分』が最も恐れる「死」を

イエスは受け入れ変容させ、復活という錬金術が成就したわけです。

 

神の子であるイエスが神の力を振りかざして復活を遂げたわけではなく、

人間の最も恐れている「死」を受け入れることで復活を果たすという象徴的な物語は

 

『本当の自分』とはどこか自分とかけ離れたところに見出すものではなく、自分の内に見出せるものであることを示してくれます。

 

同時に、私たちが内なる神と一つになろうと思う時、根源的な「恐れ」をありのままに受け入れることが重要なステップであることも教えてくれます。

 

自分の悩みや苦しみを材料にして、自分の恐れの本質を知る。

これが「死と再生」の変容のプロセスを起こし、やがて自己の本質『本当の自分』へと目覚めるためには必要です。

 

〈大いなる作業〉は、あなたとともにあり、あなたの中にあり、次のように存在する。それは、あなた自身の中に常に存在するのであるが、あなたがそれを一度見いだしたならば、陸であれ海であれ、あなたがどこにいても、あなたはいつでもそれを持っている

有名な錬金術師であるとされるヘルメス・トリスメギストスの言葉

 

ヘルメスの言葉を借りるとすれば、自分の人生に「錬金術」を見出す人だけが『本当の自分』に目覚めることが出来ます。

 

氣功とは、まさに錬金術として古代から受け継がれてきたものなのです。

 

 

 

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