良くならなきゃ、が体を追い詰めるとき
体の不調や病気が続くと、
多くの人はまずこう思います。
「このままじゃいけない」
「早く良くならなきゃ」
「何かしなきゃ」
それは、とても自然な反応です。
苦しさがあるなら、終わらせたいと思うのは当たり前だから。
病院に行く。
薬を飲む。
生活を整える。
ヨガや瞑想、気功、いろいろ試してみる。
ちゃんと向き合ってきた人ほど、
“良くなるために”できることを、もう十分やっています。
それでも、思うように変わらない。
むしろ、がんばるほど体がこわばったり、
前より疲れやすくなったり、
症状がぶり返したりすることもある。
そんなとき、
「やり方が間違っているのかな」
「もっと努力が必要なのかな」
と、自分を責めてしまう人も少なくありません。
そして、
さらに別の方法を探したり、
健康に対して、ストイックになりすぎてしまう。
でも、ここで一度立ち止まって
考えてみてほしいことがあります。
もしかすると、
「良くならなきゃ」という思いそのものが、
知らないうちに体を追い詰めている
そんなタイミングに来ているのかもしれません。
それは、あなたが弱いからでも、
努力が足りないからでもありません。
むしろ、
ちゃんと良くなろうとしてきた人だからこそ
この状態に入りやすいのです。
病人を辞めるという話
病気や不調を、
「固定されたものではなく、状態やプロセスとして見る」
という考え方があります。
つまり、病気の正体というのは、その時のフェーズにすぎないのだから
自分を病人だと決める必要はないということです。
自分に病人だというレッテルを貼ることで、
人は病気を自分のアイデンティティとして固定化します。
だから、病人でいることを辞めればいい。
この話を聞いて、なるほど!と
ふっと肩の力が抜ける人もいます。
「今の状態が、ずっと続くわけじゃないんだ」
「自分は壊れているわけじゃないんだ」
そんなふうに感じられて、
少し呼吸が深くなる人。
この場合、この見方は
体にとっての助けになります。
この話が重くなる人
でも、同じ話を聞いて、
かえって重くなる人もいます。
「病気を治すには病気を受け入れなきゃいけなんだ」
「病気を治すには病人でいるのを、やめなきゃいけないんだ」
「ちゃんと前向きにならないと、治らないってこと?」
そんなふうに、
新しい課題が生まれてしまう。
このとき、身体には
もう一段、圧がかかってしまいます。
この違いは、
理解力や意識の高さの問題ではありません。
無意識のレベルで起きる
反応の話です。
ずっと、
- 良くなること
- 変化を見せること
- 前に進むこと
- 成果を出すこと
を、求められてきた人ほど、
治ることや楽になることでさえ
ちゃんとできているかどうかを
無意識に確認してしまいます。
このような人にとっては
病気に対する見方や考え方を変えろ、
そうすれは良くなるはずだと言われると
「ちゃんとしなきゃ」というスイッチが入って
新しいプレッシャーになります。
これは、これまでの人生で、
どれだけ“何かを起こすこと”を期待されてきたか
の履歴が反映されています。
「効いたか・効かなかったか」で体を評価してしまう構造
何かを試したあと、
自分の体をチェックしてしまうことがあります。
薬を飲んだ
治療を受けた
ヒーリングや氣功を受けた
瞑想をした
運動をした
食事を変えた
問題を解決し、自分を良くするためにいろんなことを
試します。
「少し楽になったかな」
「変わったかな」
「効いたのかな」
それ自体は、自然な反応です。
良くなりたいと思っているなら、
変化を確かめたくなるのは当たり前だから。
しかし、
人から常に、
何かを起こすこと(結果を出すこと)を
期待されてきた人や
何かを起こすことが、
自分が安全に生きることの条件になっていた人は
やったことが
効いたか、効かなかったかで
自分の身体を評価してしまいます。
効いたらOK、効かなかったらダメ。
「何かが起きること」を期待された身体は
今のままでは、足りない
何かが起きないと、ダメ
そんな風に
常に緊張をするようになります。
たとえば、
瞑想をしても、
ヨガをしても、
治療を受けても、
はっきりした変化が感じられなかったとき。
「今日は何も起きなかった」
そう思った瞬間に、
がっかりしたり、焦ったり、
ときには腹が立ったりすることもあります。
逆に、
何も分からなかったけれど、
「きっと良かったはず」と
自分に言い聞かせてしまう人もいます。
効かなかったこと、何も起きなかったことは受け入れられず、
効いたこと、何かが起きたことは正解として受け入れられる。
そういう構造の中で
扱われることは、
身体にとっては常に評価され続ける緊張から
抜けられないことを意味します。
身体は、
「効いたかどうか」で見られていると、
無意識に緊張します。
何かを起こさなきゃ。
変化を見せなきゃ。
良くならなきゃ。
そうやって、
また力が入る。
ここで起きている問題は
病気そのものではなく、
身体がどう扱われているのかという
関係の問題です。
良くならないのは、
身体がダメだからではなく、
体が評価される関係の中に
長く置かれてきた、ということ。
これは、
身体が、ありのままでいることを
許されることがない
という状況なのです。
回復に必要なもの
もし、
「何も起きなかった日」が
そのまま通り過ぎていったら。
良くなっても、
悪くなっても、
変わっても変わらなくても、
取り立てて意味づけされなかったら。
体は、
ようやく
「今のままでいていい」
というメッセージを受け取れます。
回復に必要なのは、
何か優良な方法や
何か特別な変化よりも、
評価されない時間
結果を求められない関係
なのかもしれません。
でも、
「効いたかどうかを気にしないようにしよう」
とは言いたくありません。
それもまた、
新しい努力になってしまうから。
ただ、
「そうやって身体を見てきたんだな」
と気づけたら、それで十分です。
体が“勝手に”バランスを取り始める余地
では、
どうしたらいいのだろう?
そう思った人もいるかもしれません。
でも、
はっきりした答えを出そうとすると、
また正解を
身体は要求されることになります。
今いちばん身体に必要なのは、
答えを急がない時間です。
体の不調が続くと、
人はどうしても
「正解」を探してしまいます。
この治療が合っているのか。
このやり方でいいのか。
続けるべきか、変えるべきか。
その気持ちは、
自分を大切にしようという姿勢の表れでもありますが、
答えを急ぐ必要はありません。
どれが正しいか分からないまま
迷って、
立ち止まっている時間は、
間違いでも、停滞でもありません。
それは、
身体がこれ以上
追い立てられないように
ブレーキをかけている状態でもあります。
何も起きない日。
良くも悪くもない時間。
手応えが分からない状態。
これまで
「何かを起こすこと」を
期待され続けてきた体にとって、
その時間は
とても不安で、
とても怖いものかもしれません。
でも同時に、
はじめて安全になれる時間
でもあります。
体は、
評価されなくなったとき、
指示されなくなったとき、
期待を向けられなくなったとき、
ようやく
自分のリズムを思い出します。
バランスを
「取ろう」としなくても、
整えようとしなくても、
勝手に調整を始める余地が
生まれます。
それは、
その場で分かることもあれば、
あとから気づくこともあります。
分からなくても、
何も感じなくても、
意味がないのではないし、
失敗ではないのです。
おわりに
このコラムで伝えたかったのは、
病気を治す方法ではありません。
身体を評価しない関係
結果を求められない時間
そんな関わり方が、
回復の入口になることもある、
ということです。
もし今、
「良くならなきゃ」という思いに
疲れてしまっているなら。
少しだけ、
体にこう言ってみてもいいかもしれません。
「今日は、何も起きなくていい」
「分からなくても、責めない」
「今のままでもいい」
それだけで、
体は少し楽になります。
三和氣功が
大切にしているのは、
治すことでも、
変えることでもなく、
身体が、これ以上
がんばらなくていい関係です。
この文章が
あなたの身体が安心を感じてくれたり、
何かのヒントやきっかけになれば
それで十分だと思っています。
氣功師・ヒーラー
頑張ることを手放し、ありのままの状態に戻ったとき、
人はもともと備わっている力や調和を自然と思い出していく。
氣功を人生を操作するための方法ではなく、自然体で生きるための智慧として提案している。