心と気功 思想と氣功

氣の観点から捉えた思考・感情・自我ー氣の表層に現れた形

私たちはよく、
思考や感情、自我を
「どうにかしなければならないもの」
として扱います。

考えすぎる思考。
振り回される感情。
恐れで暴走する自我。

けれど、
氣の哲学から見ると、
それらは敵でも欠陥でもありません。

思考も感情も自我も、
それぞれが根源の氣が表層に現れたときのひとつの“形”です。

 

氣は、根源ではまだ「私」がない

氣の流れが、
もっとも深いところにあるとき、

そこには
「私」という主語も
目的も
評価もありません。

ただ、
生命としての調和が
静かに動いているだけ。

この段階では、
まだ個は立っていません。

 

表層に近づくにつれて、個が立ち上がる

その氣の流れが深層から表層へと上がってくるにつれて、

身体に触れ
感覚に触れ
認知に触れ
言葉に触れていく。

そして、少しずつ”境界”が生まれます。

視点が生まれ、
位置が生まれ、
やがて
「私」という感覚が立ち上がる。

つまり、

個とは、
氣の流れが表層化する過程で
自然に生まれる“焦点”

最初から独立して
存在しているものではありません。

 

個は悪いものではない

個が立ち上がることは、
分離ですが、それは欠陥ではありません。

スピリちゅるな文脈では
分離を痛みや葛藤の象徴のように扱うことがありますが、
分離そのものは「自然」に生じるものです。

個があるから、

経験ができる
関係が生まれる
物語が立ち上がる

この世界を生きることができます。

問題が起きるのは、
個が「主役だ」と誤解したとき

 

思考や感情が苦しくなる理由

思考が暴れ、
感情が揺れ、
自我が必死になるとき。

(それは私たちの悩みの根源ですが、)

氣の観点から観ると、
それは多くの場合、

氣の流れが
深いところで先に動いているのに、
表層がそれを
一生懸命コントロールしようとしている状態です。

だから、

止めようとしても止まらない
理由を探しても分からない
どうにかしようとするほど苦しい

ということが起きます。

 

無為とは何か

無為とは、

思考が消えた状態でも
感情がなくなった状態でもありません。

個が、根源の氣の流れの上にそっと乗っている状態

思考はある。
判断もできる。
行動もする。

でも、

抵抗がない
無理がない
「私がやっている」感じが薄い。

三和氣功が大切にしているのは、
この位置です。

 

三和氣功の立ち位置

三和氣功は、

個を消そうとしません。
個を強化しようともしません。

ただ、

個が、根源の氣の流れと分離していない位置に戻る

それだけを大切にしています。

無為自然。
凪。
自然体。
Flow。

これらはすべて、同じ体験を指す
違う名前です。

 

思考や感情と戦わなくていい

もし今、

思考や感情を
どうにかしようとして
少し疲れているなら。

それらを直す必要はありません。

ただ、

「これは氣の表層に現れた形なんだな」

そう見直すだけで、
内側の力みがふっと抜けることがあります。

呼吸が少し楽になったなら、
それはもう、
氣が通り直したサインかもしれません。

 


三和氣功のメルマガでは、
こうした氣や意識の立ち位置の話”を、
ときどき静かにお届けしています。

何かを変えるためではなく、
もう無理に変えなくていい場所を
思い出すために。

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