― 無になろうとしない地点に、氣功が立っている理由 ―
「無になりたい」という言葉は、
どこか氣功や瞑想と
同じ方向を向いているように聞こえるかもしれません。
頭を静かにしたい。
感情の揺れから離れたい。
考え続ける状態を、いったん止めたい。
そうした願いが、
「無」という言葉に集約されることは、
とても自然なことだと思います。
けれど、
氣功が大切にしてきた立ち位置は、
無になろうとする方向とは、
少しだけ違います。
氣功は、
何かを消そうとする実践でも、
状態を作り出す方法でもありません。
むしろ、
無になろうとする力が
どこから生まれているのかを、
静かに見つめるところから始まります。
「無になりたい」という言葉を、
一度は口にしたことがある人は少なくないと思います。
頭が止まらないとき。
感情が揺れ続けているとき。
考えても考えても、何も進んでいない気がするとき。
無になれたら、楽になるのに。
無になれたら、静かになれるのに。
そんなふうに感じる瞬間は、
誰にでも訪れます。
けれど、
「無になる」という言葉を
そのまま追いかけ始めると、
不思議なことが起きます。
考えないようにしようとするほど、
考えている自分に気づいてしまう。
静かになろうとするほど、
うまくできていない感覚が増えていく。
無になろうとすること自体が、
いつの間にか
もうひとつの“頑張り”になってしまうのです。
無になることは、止まることではない
ここで、ひとつだけ
はっきりさせておきたいことがあります。
無になることは、
動かなくなることでも、
何も感じなくなることでもありません。
トイレに行きたくなったら行く。
考え事が浮かんだら浮かぶ。
身体が勝手に姿勢を変える。
それらはすべて、
「無」から外れている証拠ではありません。
むしろ、
生命がちゃんと働いている証拠です。
問題になるのは、
起きていることそのものではなく、
それに対して
どう関わろうとしているか。
止めようとしていないか。
正そうとしていないか。
管理しようとしていないか。
無になる、と 無為である、の違い
「無になる」と「無為(むい)」は、
似た言葉に見えて、
立っている場所が違います。
無になる、は
「こういう状態になりたい」という
目標になりやすい。
一方、無為は
「起きている流れに、余計な手を出さない」
という関わり方。
考えがあってもいい。
動いていてもいい。
感情があってもいい。
ただ、それを
どうにかしようとしない。
無為は、
何も起こらない状態ではなく、
操作が起きていない状態です。
観照が深まると、何が起きるか
観照とは、
何かを得る技法ではありません。
観照が起きると、
ときどき
思考が一瞬止まったように感じたり、
空白のような静けさが
立ち上がることがあります。
それは確かに、
「無」に近い体験かもしれません。
けれどそれは、
留まる場所ではなく、
通り過ぎる現象です。
観照が深まるにつれて、
無は
「目指すもの」ではなくなっていきます。
来てもいいし、
去ってもいい。
そのとき残るのが、
無為という立ち位置です。
「無になりたい」という言葉の奥にあるもの
無になりたい、と思う人の多くは、
悟りを求めているわけではありません。
もう考え続けたくない。
もう選び続けたくない。
もう正解を探したくない。
そういう、
疲れきった感覚を
言葉にした結果であることがほとんどです。
だから
「無になりたい」を否定する必要はありません。
ただ、
その方向に進まなくてもいい。
必要なのは、
無になる方法ではなく、
介入しなくていい位置に
一度、腰を下ろすこと。
答えは、前には置かれていない
無になるにはどうすればいいか。
多くの人が、
その答えを“前”に探します。
けれど、
無や無為に近づくとき、
答えは前にありません。
すでに起きていることの中に、
すでに含まれています。
やめようとしている自分。
正しくあろうとしている自分。
うまくやろうとしている自分。
それらに
気づけなくてもいい。
やめられなくてもいい。
ただ、
そういう位置から
人生に関わっていたんだな、
と後からわかるだけで十分です。
無はゴールではない
無は、
到達点ではありません。
そして、
手に入れるものでもありません。
緊張が抜けたとき、
介入が緩んだとき、
ふっと現れて、
また自然に消えていくもの。
その出入りを
問題にしなくなったとき、
無為が
日常の中に残ります。
何も掴まないまま、
生きている。
それが、
「無になる」という言葉が
本当に指していた地点なのかもしれません。
※ この文章を読んで
「よくわからない」と感じたなら、
それは失敗ではありません。
まだ探す力が残っているだけです。
そして探す力が静まったとき、
「あ、ずっと書いてあったな」
と気づく瞬間が、
静かに訪れることがあります。
氣功師・ヒーラー
頑張ることを手放し、ありのままの状態に戻ったとき、
人はもともと備わっている力や調和を自然と思い出していく。
氣功を人生を操作するための方法ではなく、自然体で生きるための智慧として提案している。