― 逆腹式呼吸か、普通の深呼吸か。氣功が見ているのはそこじゃない
気功に興味のある方なら、逆腹式呼吸という言葉を耳にしたことがあると思います。
実際に、日々の実践に取り入れている人もいるでしょう。
私も、皆さんとの実践の場において”呼吸”をいつも取り入れています。
その日の状態によって、
逆腹式呼吸をすることもあれば、
普通の深呼吸をすることもあります。
できないなら無理をせず、今できる呼吸をします。
そのうちに皆さんの中にはこんな疑問が湧いてきます。
「今日はこの呼吸にするという
何か基準があるんですか?」
「逆複式呼吸と普通の深呼吸で
何か違いがあるのですか?」
この疑問に対する答えをこのコラムでは書いていきたいと思います。
でもそれは、
呼吸の「やり方」の話をしているようでいて、
実は気功とどう関わっていくのかの話です。
第1章|逆腹式呼吸と普通の深呼吸、どっちがよい?
逆腹式呼吸と、普通の深呼吸。
どちらが正しいのか、どちらをやったほうがいいのか。
気功に少し触れたことのある人なら、
一度はこの問いにぶつかったことがあると思います。
何が違うかといえば、役割が少し違うだけです。
逆腹式呼吸は、
丹田を意識し、氣を集め、巡らせる呼吸。
一方、普通の深呼吸は、
身体をゆるめ、受け取り、落ち着かせる呼吸。
そう説明されると、
「目的によって使い分けたほうがいいかな?」
「自分はいま、どちらの段階なのだろう?」
そんなふうに考え始めるかもしれません。
その感覚自体は、とても自然です。
なぜなら私たちは、
何かを学ぶとき、
まず「正しいやり方」を知ろうとするからです。
でも、ここで少し立ち止まってみたいのです。
この問いは本当に、
呼吸法の違いを問うものなのでしょうか。
それとも、
「正しくやろうとする私でいたい」や「正しくあらねば怖い」
そこから生まれた問いではないでしょうか?
逆腹式呼吸ができているかどうか。
深く呼吸できているかどうか。
意外に思う方もいるかもしれませんが、
それ自体は、気功においては本質的な問題ではありません。
気功の中で本当に問われているのは、
どの呼吸をしているかではなく、
どのような意識、態度で呼吸しているかです。
正解を選ぼうとしているのか。
それとも、
今の身体の状態に耳を澄ませているのか。
この違いは、とても小さく見えて、
実は大きな分かれ道になります。
なぜなら気功は、
方法を積み重ねて上達していく道ではなく、
氣の流れとどう関係を結ぶかが
少しずつ変わっていくプロセスだからです。
この先の章では、
逆腹式呼吸と普通の深呼吸が
それぞれどんな性質を持っているのか、
そして、なぜ「どっちでもいい」と言えるのかを
順を追って見ていきます。
でもその前に、
ひとつだけ覚えておいてほしいことがあります。
気功において大切なのは、
「正しく呼吸すること」ではなく、
氣より前に出ないこと。
呼吸は、氣との関係を結んでいくきっかけにすぎません。
第2章|呼吸は、氣の流れがいちばん分かりやすく現れる場所
気功では、なぜこれほどまでに
「呼吸」が大切にされてきたのでしょうか。
それは、呼吸が
氣を動かすための特別な技術だからではありません。
呼吸は、
氣の流れが、もっとも分かりやすく現れる場所だからです。
私たちの身体の中で、
呼吸ほど不思議なものはありません。
意識すればコントロールできる。
でも、意識を外せば勝手に続いている。
緊張すれば浅くなり、安心すれば自然に深まる。
呼吸は、
意識と身体、
意思と無意識、
その境目にあります。
だから気功では、
呼吸を「操作の対象」としてではなく、
今、氣がどう流れているかを知るための窓口として扱います。
呼吸が浅いとき、
それは「悪いこと」ではありません。
氣が浅い層に集まっているだけ。
呼吸が深くなるとき、
それは「良いこと」ではありません。
氣が自然に下り、広がっているだけ。
どちらも、
ただの状態です。
ここで、
大切なことをひとつ。
気功において、
呼吸は
氣を動かすための原因ではありません。
呼吸は、
氣の流れが変わった結果として
変化しているもの。
だから、
呼吸を変えようとすればするほど、
氣のほうが先に逃げていくこともあります。
「もっと深く呼吸しよう」
「正しい呼吸をしよう」
その瞬間、
呼吸の奥にあったはずの
自然な流れが、
少し固まってしまう。
気功が最初に教えるのが
呼吸である理由は、ここにあります。
身体の動き、呼吸のリズム、氣の流れ、これらが調和する、
その感覚を最初につかんでいきます。
呼吸は、
整えるためのものではなく、
すでに起きている流れに気づくためのもの。
だからこそ、
逆腹式呼吸も、普通の深呼吸も、
その役割や効果そのものが重要なのではありません。
第3章|陰の呼吸と、陽を立ち上げる呼吸
ここまで読んでくださった方なら、
もう「どっちが正しいか」
「どちらを選ぶべきか」という問いが、
少し力を失ってきているかもしれません。
それでもやはり、
逆腹式呼吸と普通の深呼吸には
性質の違いがあります。
それを理解しておくこと自体は、
決して悪いことではありません。
ただし、
それは「正解を決めるため」ではなく、
今、何が起きているかを感じ取るための理解です。
まず、普通の深呼吸。
お腹が自然にふくらみ、
胸や背中がゆるみ、
息が下へと落ちていく感覚。
この呼吸には、
・緩む
・受け取る
・沈む
・広がる
という性質があります。
気功的に言えば、
これは陰の方向に開く呼吸。
身体が
「いまは力を抜いても大丈夫」
「受け取る準備ができている」
と感じているとき、
この呼吸は自然に起こります。
一方で、逆腹式呼吸。
お腹が内側にまとまり、
中心がはっきりし、
軸が立ち上がるような感覚。
こちらには、
・集める
・締まる
・通す
・立ち上がる
という性質があります。
これは
陽の方向を立ち上げる呼吸。
集中が必要なとき、
内側に力が要るとき、
あるいは
氣が拡散しすぎているときに、
身体が自然と選ぶこともあります。
ここで大切なのは、
どちらも「意図して切り替えるもの」
とは限らない、ということです。
ある日は、
何も考えなくても
普通の深呼吸になる。
別の日は、
逆腹式呼吸のほうが
しっくりくる。
それは
あなたの身体が、
その日の氣の状態をそのまま表しているだけ。
陰の呼吸が必要な日もあれば、
陽を立ち上げたい日もある。
問題は、
どちらをするかではなく、
「頭(=思考)で別の呼吸を選んでしまっていないか」
という点です。
氣功の実践で
よく起こるズレは、ここにあります。
身体は緩みたがっているのに、
「今日は逆腹式をやるべきだ」と
力を入れてしまう。
あるいは、
内側に軸を立てたいのに、
「リラックスしなければ」と
無理に緩めようとする。
どちらも、悪意はないのはわかっています。
むしろ、真面目さの表れです。
でもその真面目さが、
氣の流れより
一歩前に出てしまうことはよくあります。
だから気功では、
呼吸法を「使い分ける」ことよりも、
呼吸が自然に変わっていくことを邪魔しない
という姿勢を大切にします。
逆腹式呼吸も、
普通の深呼吸も、
どちらも
氣の一つの表れ。
その日の呼吸は、
その日の氣の声です。
次の章では、
この話をさらに一歩進めて、
「どっちでもいい」という
一見すると曖昧に聞こえる教えが、
なぜ気功の核心に触れているのか。
三和氣功の創始者である馬先生から教わった
その“適当さ”について、
もう少し深く見ていきます。
第4章|「どっちでもいい」という教え
逆腹式呼吸か、普通の深呼吸か。
どちらを選ぶべきか迷ったとき、
私はいつも
「できる方でいいですよ」「どっちでもいいですよ」と伝えています。
この言葉を聞いて、
ほっとする人もいれば、
少し戸惑う人もいます。
「そんなに適当でいいんですか?」
「ちゃんとした基準はないんですか?」
そう思うのも、無理はありません。
またこれを読む人の中には
「そんないい加減で大丈夫なのか」と抵抗感を覚える人もいるかもしれません。
でも、この“適当さ”は、
私が師である馬先生から
繰り返し教わってきたことでもあります。
たとえば、小周天。
巡らせる方向については、
男性と女性で違うと教える流派もありますし、
気功の動作における右手や左手の違いについて
さまざまな理屈があります。
けれど馬先生は、
そうした理屈を並べたて説明したり、
細かい指示をほとんどしませんでした。
「迷うなら、どっちでもやれ」
「細かいことは、どうでもいい」
最初は、
その言葉が中国人ならではの適当さなのかと
思っていたこともあります。
でも実践を重ねるうちに、
だんだん分かってきました。
この「どっちでもいい」は、
投げやりでも、曖昧でもありません。
それは、
氣より前に出ないための教えでした。
人は、
「どちらが正しいか」
「間違っていないか」
を考え始めた瞬間、緊張が入り
思考が氣の流れを管理しようとしはじめます。
すると、
本来は自然に起きていた流れが、
どこかで固くなる。
馬先生の教えは、
その状態に入らせないための
むしろ、とても厳密なやり方だったのだと思います。
氣の流れや氣の働きは、
ただそこに起きるものです。
どちらかを正解にしない。
迷うなら、両方やる。
あるいは、できる方でやる。
そうしているうちに、
方向を意識していないのに巡り始める瞬間が
必ず訪れます。
自分が回している感覚が消え、
「もう通っている」
という状態になる。
そのとき、氣功は技法ではなく、
現象になります。
逆腹式呼吸と普通の深呼吸も、
まったく同じです。
どちらを選ぶかを考えている間は、
まだ「やっている私」が前にいます。
でも、
「今日はこれが起きている」
と受け取る側に立つと、
呼吸は勝手に変わり始める。
この“適当さ”は、
何も考えなくていい、という意味ではありません。
むしろ逆で、
氣の流れ以外の基準を手放す
という、とても厳しく、そして美しい姿勢です。
第5章|ほっとする人と、戸惑う人
「どっちでもいいですよ」
「できる方でいいですよ」
この言葉に、
ほっとする人がいます。
肩の力が抜けて、
呼吸が自然に深まる人。
「それでよかったんだ」と、
身体が先に理解する人。
一方で、
戸惑いを感じる人もいます。
「それでは曖昧すぎるのでは?」
「ちゃんとした基準がないと不安です」
そう感じる人も、少なくありません。
この反応の違いは、どちらも、とても自然な反応です。
ただ、氣功に対する距離や、
立っているフェーズが違うだけ。
正解や方法が必要な時期があります。
型があることで安心できる時期もあります。
それによって、
身体や感覚が育っていく段階も確かにあります。
でもあるところまで来ると、
今まで支えになっていたはずの
「正しさ」や「基準」が、
かえって重たく感じ始める。
そのときに
「どっちでもいい」という言葉は、
救いにもなり、
同時に、少し厳しくも響きます。
なぜならそれは、
誰かに判断を預ける場所から、
自分で氣の状態に耳を澄ます場所へ
立ち位置を移してください、
というメッセージだからです。
ほっとする人は、
もうその準備が整い始めている。
戸惑う人は、
今まで大切に積み上げてきたものを
簡単には手放せないだけ。
どちらが良い、悪いということではありません。
気功は、
全員を同じ過程で同じ場所に連れていくものではなく、
今どこに立っているかを
自分で感じ取れるようになる道だからです。
このコラムを読んで、
もし少しでも
「力が抜けた」
「呼吸が楽になった」
と感じたなら、
それは、
あなたの身体が、次の自分との関わり方を
すでに知っているサインかもしれません。
第6章|氣功は、選ぶ技術ではなく、聴く姿勢
三和氣功の実践の場であるアクティブメディテーションでは、
私はいつも同じようなことを伝えています。
自然で楽な呼吸をしてください。
どちらでも自分が出来る方をやってください。
今日の気分で決めていいですよ。
これは、実は
自由にやってください、という意味ではありません。
ましてや、適当にやっていい、という話でもありません。
ここで大切なのは、
呼吸を選んでいないということ。
今日はどの呼吸を「やるか」ではなく、
今日はどんな氣の流れが「起きているのか」を
感じ取ってもらうため、
それに委ねてもらうためです。
呼吸が浅い日もあります。
思うように息が入らない日もあります。
身体が重く、
集中できない日もあります。
でもそれは、
何かが間違っているサインではありません。
ただ、
今日の氣がそういう状態だというだけ。
その状態を変えようとする前に、
まず、そこに耳を澄ませる。
ありのままをそのまま受け取る。
気功の実践で行っているのは、
この姿勢そのものです。
選ばない。
決めない。
無理に変えない。
でも、放置もしない。
今ここで起きている流れと、同じ位置に立つ。
起きることをそのまま許す。
そうしていると、
不思議なことに、呼吸は自然に変わり始めます。
緩むべきところは緩み、
立ち上がるべきところは立ち上がる。
こちらが何かを
「した」わけではありません。
ただ、
邪魔をしなかっただけ。
気功は、
何かを身につける’技術’ではなく、
氣の流れと対立しない姿勢を
身体で思い出していくプロセス(”道”)です。
逆腹式呼吸も、
普通の深呼吸も、
そのための入口にすぎません。
終章|呼吸から始まり、呼吸を越えていく
最初は、
呼吸を「する」ことから始まります。
次に、
呼吸を「使う」ようになります。
でも、
あるところまで来ると、
呼吸をどうこうしようとする意識そのものが
静かにほどけていきます。
呼吸は、
こちらが意識しなくても起こり、
氣の流れと一体になって
勝手に変化していく。
そのとき、
逆腹式か、普通の深呼吸か、
という問いは、
もう意味を持たなくなっています。
気功が見ているのは、
呼吸の型ではなく、
氣とどう関係を結んでいるか。
呼吸は、
その関係性がもっとも分かりやすく
表に出る場所にすぎません。
だから、
どの呼吸が正しいかを探すよりも、
今日の呼吸に、
少しだけ耳を澄ませてみてください。
そこにはすでに、
整えようとしなくても動いている
氣の流れがあります。
気功とは、
それと一つになることを
思い出していく道。
呼吸から始まり、
やがて呼吸を越えていく。
その静かなプロセスの中で、
人生のほうが、
自然に調っていくこともあるのです。
日々の中で氣の流れに耳を澄ませる場として、
アクティブメディテーションを行っています。
また、より静かな環境で、
その人の状態に合わせて氣の流れを観ていく場として、
伝統氣功のプライベートレッスンもご案内しています。
「選ばない」「操作しない」関わり方は、
自分自身の身体だけではなく、
生活や人生にも投影されて行き
自然とともにある生き方へとつながっていきます。
▶ タオ・アクティブメディテーションについて
▶ 伝統氣功プライベートレッスンについて
馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。