すべての対立が溶け、
光も闇も、善も悪も、
ただひとつの静けさへと帰っていく。
それが、古代中国の宇宙論でいう
「無極(むきょく)」――
陰も陽も生まれる前の、原初の虚空です。
そこには、
動きも、形も、意味もありません。
しかし、その静寂の中にこそ、
すべてを生み出す「いのちの源」が
息づいているのです。
無極とは、“何もない”ではなく“すべてが在る”状態
私たちはふだん、
「ある/ない」「成功/失敗」「好き/嫌い」といった二元の中で世界を見ています。
けれども、氣の流れを観るとき、
その背後にはつねに「どちらでもない場」が存在しています。
それが、氣功でいう“虚(うつろ)”の空間です。
無極とは、何もない「空白」ではなく、
すべての可能性がまだ形を取らないまま宿っている“静かな充足”。
波が起こる前の海のように、
凪いだその中心には、力が満ちています。
凪の智慧 ─ 動的安定としての静けさ
「凪(なぎ)」とは、
風も波も止まり、海面が
穏やかに静まる状態を指します。
けれども、その静けさは決して
“停止”ではありません。
表面が静かに見えても、
海の底では潮が流れ、
生命の循環は絶えず息づいている。
それは、動きの中にある静けさ。
陰と陽が完全に溶け合い、
互いを打ち消すのではなく、
共に“ひとつの呼吸”として生きている。
氣功の深い実践では、
この「凪の意識」が自然と訪れます。
そこでは、“何かをしよう”という意図も、
“何かを変えよう”という意志も手放され、
ただ存在そのものが呼吸をしています。
観照 ─ 現象のすべてを見守る心
陰と陽を超えた静寂に立つとき、
私たちは「良い」「悪い」
という判断の外に出ます。
それは、無関心でも無感動でもなく、
むしろすべての出来事を
深く愛し、見守る心です。
悲しみの中にも愛があり、
怒りの中にも真実があり、
混乱の中にも秩序がある。
観照とは、それらを変えようとせず、
ただ見つめ、ただ受け入れ、
そこに
“存在のままの美”を見出す姿勢です。
この心の静けさこそが、
氣の世界でいう「調和」の究極形――
陰陽を超えた、愛の意識なのです。
これを三和氣功では
しばしば「静寂意識」と呼びます。
その“愛としての静けさ”を、
実際のヒーリングとして体験するコラムがこちらです。
→ be with ― 存在をともにするという癒し ~ 三和氣功におけるハートのヒーリングと、科学が語る静寂の力
無為自然 ─ 創造は静けさから生まれる
すべての陰陽が一つに溶けるとき、
世界は「静けさ=無為自然」へと戻ります。
無為とは、“何もしない”ことではなく、
自然の流れにまかせる智慧。
人の意志を越えた「大きな意志」に身をゆだねることです。
そのとき、行動は努力ではなく“自然な発露”になります。
考える前に身体が動き、
語る前に言葉が湧き、
生きることそのものが祈りとなる。
無極の中心に立つとは、
「私が動かす」のではなく、
「氣が私を通して動く」状態。
そこに至ると、人生はもはや“創造”そのものになります。
すべての陰陽は、愛に還る
陰陽の道を辿る旅は、
終わりではなく、はじまりです。
陽は行動の愛、
陰は受容の愛。
どちらも、もとをたどれば
同じ源に還ります。
この世界のあらゆる対立は、
愛が自らを知ろうとして分かれた姿。
だからこそ、
分離を超えたその先には、
必ず“再びひとつになる流れ”が
待っています。
静けさは、愛の原形。
凪の中心には、
生命を生み出す力が満ちています。
そこに還ること――
それが氣功の究極の実践であり、
私たちが“本当の自分”へ戻る道です。
陰と陽を超えて、
すべてはひとつの呼吸になる。
その中心に在る静けさこそ、愛の源。
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馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。