はじめに
氣功はしばしば一般的には「呼吸法」「健康法」と捉えられますが、その本質ははるかに深い領域に及びます。
古代中国思想において氣は「天地を貫く根源的な流れ」であり、近代以降の研究では「エネルギー」と同時に「情報」としての性格が強調されるようになりました。
本稿では、認知科学の「内部表現」、量子論における「情報的宇宙」の見解を参照しつつ、氣功がいかに思考や感情を超えた智慧への道を拓くかを論じます。
1. 認知科学と氣功──内部表現という枠組み
認知科学は、人間の体験世界は「外界の写像」ではなく、神経系によって構築された 内部表現(internal representation) に基づくことを明らかにしました。
- 外界の刺激は脳内で変換され、意味づけされる
- その結果、同じ出来事でも人ごとにまったく異なる現実が経験される
氣功の視点からみれば、この「内部表現」こそが「氣=情報」の現れです。
思考や感情は、情報の流れが身体・心に投影された二次的な層にすぎません。
氣功による調整は、単に感情を落ち着けることにとどまらず、内部表現=情報の質を直接変容させる 働きを持ちます。
2. 量子論と氣功──情報としての宇宙
量子物理学は、物質の根源において「情報」が決定的な役割を持つことを示しています。
- ジョン・ホイーラーの「It from Bit」仮説(Wheeler, 1990)
→ 宇宙の根源は物質でもエネルギーでもなく「情報」そのものである - デイヴィッド・ボームの「インプリケイト・オーダー」(Bohm, 1980)
→ 目に見える世界は「展開秩序」であり、その背後には情報場としての包蔵秩序がある
この見解は、東洋思想の「氣」「縁起」「空」と深く共鳴します。
氣功で氣を感じることは、単なる生理的現象ではなく、量子レベルでの情報場への接触 と捉えることができるでしょう。
3. 観察問題──意識と情報場の相互作用
量子論の最も議論を呼ぶテーマの一つに「観察問題」があります。
- 量子は観測されるまで「重ね合わせ状態」にある
- 観測が行われると、波動関数が収縮し、一つの結果が現れる
ここで重要なのは、観測が単なる受動的行為ではなく、物理的な現実の確定に影響を及ぼす要因 であるという点です。
解釈には二つの立場があります:
- 物理学的立場
観測装置や環境との相互作用(デコヒーレンス)が状態を決定する。意識は必須ではない。 - 意識関与的立場(フォン・ノイマン、ウィグナーら)
観測者の意識が「どの可能性が実現するか」を選び取る役割を果たす。
氣功の文脈から見ると、後者の立場は非常に示唆的です。
すなわち、人の意識は単なる脳の活動ではなく、情報場と響き合う働きを持ち、その作用が物理的な次元に変化をもたらす。
観察問題の本質とは、意識が情報場と共鳴することで、物理的現実が影響を受けるということ。
氣功の実践は、この相互作用を「無意識的に起きるもの」から「意識的に扱うもの」へと変換する技法といえるでしょう。
4. 思考と感情を超えて智慧へ
- 思考:言語化された情報処理
- 感情:身体と神経系における情報反応
これらは情報の二次的な表現にすぎません。
呼吸を整え、丹田に意識をおく氣功の実践は、思考や感情を超えた「情報場」への接続を可能にします。
そのとき生まれるのが「智慧(prajñā)」です。
それは知識や分析を超え、全体性に根ざした直観的理解であり、仏教の「空」や道家の「無為」とも重なります。
結論
氣功は単なる身体技法ではなく、情報の根源に働きかける認識論的・存在論的な実践です。
思考や感情を超え、情報場との共鳴を深めるとき、人は本来の静けさと智慧に還ることができます。
「氣功とは、情報の調和を通じて、意識と宇宙を再統合する道である」

馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。