情報空間を書き換えるとは?
情報空間とは、簡単にいえば「目に見えない世界」のこと。
情報空間を書き換えるという発想の大前提として、目に見えるこの世界は「目に見えない世界」によって成り立っているという考え方があります。
一冊の小説も、一粒のお米も、映画も、病気も、繰り広げられる一つ一つの出来事、人の人生は、すべて目に見えない世界によって生み出されています。
このことを科学的な言葉で理解する際には、苫米地英人博士の「超情報場仮説」が必須です。
超情報場仮説においては情報空間が物理空間を包摂し、物理空間と情報空間はグラデーションのように地続きです。
この情報空間をスケールする概念として「抽象度」というものがあり、情報空間においてもっとも抽象度の低いところが物理空間です。
認知科学において、我々が現実を体験することは物理空間と情報空間にまたがって起きる現象です。
物理空間で起きていることに注目すれば、現実とは脳内の情報処理によって認知されることですが、同時にそれは心の中の世界、すなわち情報空間で起きていることでもあるのです。
嬉しい!という心の体験は、同時に脳によって制御されている物理的な身体の体験でもあります。
人が愛情を感じることと、脳内でオキシトシンやセロトニンが分泌されることは抽象度が違うだけで、同じ現象を指しているのです。
例えば大切な人が死んでしまうという出来事があったとします。
その相手が物理的になくなっても、その相手への愛情を感じることが出来ます。
さらにその相手が自分に残してくれた形見をみることで、落ち込んでいた気持ちが一瞬で晴れるといったことも起きますね。
また相手のことを想っていたらその相手から電話がかかってきたということも起きますよね。
なぜ特定の対象に愛情を感じるのか、なぜ時間や距離に関係なく相手に気持ちが届くのか、そこに「気」がかかわってきます。
さらには何故ビックバンが起きて宇宙が誕生したのかに至るまで気が関わっています。
超情報場仮説では、「気」とは情報空間と物理空間の間を自由に伝達可能な何かとして捉えることが出来ます。
生命現象が伝達される際に情報を媒介するものです。
(気とは何か、その正体を科学的に断定するにはまだまだ科学が追いついておらず、何らかの素粒子ではないか、気が伝わる時には何らかの素粒子間通信が起きているのではないか、そのような仮説の段階です)
いずれにせよ、私たちが体験する物理現実世界は、情報空間の最も抽象度の低い領域として現れているので、物理現実を変えるのであれば情報空間を書き換える必要があるわけです。
気とは、物理空間を成り立たせている情報場からやってくるので、情報空間を書き換えるには気について知っておいた方が良いし、さらには操作が出来た方がいいということになります。
なぜ情報空間は書き換わらないのか
情報空間を書き換えるスキルを学ぼうとする人が増えてきました。
情報空間を書き換えるスキルを手にしたら、人生が望み通りになるはずです。
もしもそうは全く思えないのなら、それはなぜか?
それは情報空間を書き換えるためのエネルギーが足りないからです。
情報空間におけるポテンシャルエネルギーは、抽象度が上がるほど大きくなります。
つまり抽象度が高いほど情報空間は書き換える力が大きいということ。
情報空間を書き換える力を上げるためには小手先のテクニックを覚えるよりも、自分の抽象度を上げることの方が本当は圧倒的に大事です。
抽象度とは、この場合どのレベルで物事を見るか、その視点の高さのことです。
一匹の蟻を見てただの蟻にしか見えない人と、蟻が宇宙そのものに見える人では抽象度が全く違うし、扱えるエネルギーも全く違います。
よって三和氣功では、気功を学んでいただく際にテクニックよりもその人の抽象度が上がるように動線を引いています。
気を学ぶということは情報空間を書き換える力を習得するということです。
気とは何かをどのくらい深く理解しているのか、そしてどんな観点から気を扱うのかが結局はその人のヒーリング能力(書き換える能力)、ひいては現実を創造していく力に直結します。
本当の自分とは?
三和氣功では、現実を書き換えて単に成功したいとか、欲しいものを存分に手に入れたいと考える人ではなく、「本当の自分」を生きたいという人のために気功をお伝えしています。
気について学ぶことは、情報空間の書き換えを学ぶことですが、実はそれについて深く知ろうとすることで自己の本質的な理解へとつながるからです。
つまり自分とはどういう存在なのか、それがわかるようになります。
自分とは何者なのかについて理解するほど、気の力を使えるようになるということです。
本当の自分を生きたい!ともし思うのなら、おそらく今「私は本当の自分を生きることが出来ていない」と感じているのでしょう。
それは、例えば、人生が上手くいかないことへの不満とか、身体や心を病んでしまった苦痛とか、将来への不安、漠然とした虚しさなどといった感覚から自由になって、本来自分が味わうべき幸せや充実感、満ち足りた感覚をもっと味わいたいという欲求でしょう。
結論から言うと、本当の自分は言うまでもなく情報空間に存在しています。
そして今あなたが不幸のどん底にいるのだとしても、実は「本当の自分」を生きているのです。
本当の自分とは、創造の根源のことです。
創造主。
この世界のあらゆる物事は創造主である本当の自分が創造したものです。
気という言葉でそのことを表現すると、あらゆるものは創造の根源の気の現れです。
光に見えることも闇に見えることも、あなたも私も、いずれも等しく根源の気の現れです。
あなたが消したいと思っているかもしれない病気も、不幸も、この世界に不均衡を生んでいるように見える貨幣経済も、環境を汚染し続けるゴミの山も、そこに存在しているのならそれはすべてが「本当の自分」の創造によるものです。
私はそんなことは望んでいない!と否定したくなるのかもしれませんが、それは「本当の自分」ではなく、この物理空間に縛られている自我意識の考えていることです。
「本当の自分」の望みがこの物理次元を創造した
この物理空間を創造したことにもし理由があるなら、それは、物理空間は無限の存在である「本当の自分」が、限界と分離という制限の中で創造を楽しむ場所なのです。
限界と分離があるというのがポイントです。
情報空間では限界も分離もないので、何者にもなれるしどんな物も創造できます。
あなたがもしゲームが大好きで四六時中ゲームばかりやっているとして、何でもすぐに簡単にクリアできてしまうゲームしかなかったら面白いですか?つまらないでしょう。
ゲームが面白いのは、なかなか思い通りにはいかず、なかなかクリアできないからですよね。
(ちなみに苫米地博士はこの創造の動機を『苫米地英人、宇宙を語る』の中で「さみしいから」と言っています。)
この物理空間は、私たちでもあり、私でもある「本当の自分」が創造したゲームの場です。
本当の自分を生きたいと私たちが感じるのは、実は不自由さや分離を存分に経験しているということでもあるのです。
なので、厳密にいうと本当の自分を生きたいというより、そろそろ本当の自分を思い出したいというのがより正確かもしれません。
私たちは本来の自分である無限で分離のない創造の源泉について知るために、まず分離と制限という設定を創りました。
自分とは何かを知り、自己完結ではなく共同創造を味わうために他者を存在させ、またワンネスを知るために分離感を作り出しました。
そして永遠や無限、万能や自由とは何かを知るために制限を設定しました。
無数の分離と制限のなかで創造することほど、面白くて楽しいゲームはないってことでしょう。
宇宙を創造したのは誰か、思い出しましたか?笑
今私たちは自分たちが何者なのか思い出しつつあります。
情報空間を操作する圧倒的な力を手に入れるには
先ほど情報空間を書き換えるエネルギーが高いほど情報空間を書き換えやすいというセオリーについて書きました。
抽象度が高いほど情報空間のポテンシャルエネルギーが高くなります。
気の力を使いこなす究極の方法は、自分こそが創造主だと目覚めることです。
そのためにも情報空間と物理空間を自由に伝達する「気」の取り扱いについて学びましょう。
この世界のすべては自分の「気」次第なのだと気づけるかどうかにかかっています。
本当の自分=創造主は創造の根源なのですから、私たちはそれぞれが情報空間、この世界の支配者です。
そのことを腑に落とすことが出来ると、人生に迷いはなくなるでしょう。
物理空間に閉じ込められているだけの自分が扱える気と、情報空間の支配者であることを腑に落としている自分が扱える気は圧倒的に違います。
創造主の視点を手に入れること、それが情報空間を支配し、本当の自分を生きるために必要なことです。
ですから、もしあなたがこれまでにさんざん不幸や葛藤を体験してきて、無限や自由をこれからの人生に求めて気功に興味を持っているなら、気功の細かい技術を身につけることより、気の本質的な部分を学びましょう。
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気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。