お化けも神様もあなたの内部表現です
気功は目に見えないものを扱っていますが、気功を習い始めるとちゃんと気が認識できるようになりますね。
中には、気が見えるようになる人もいます。
なぜ見えるようになるのかわかりますか?
天使が見える
妖精が見える
お化けが見える
幽霊が見える
神様が見える
全部嘘だと思いますか?
もし嘘だと思うなら、真実とは何か説明できますか?
霊的なものが見える、普通の人には聞こえないものが聞こえる、という人はいます。
その人たちは決して嘘をついているのではありません。本当に見えたり、聞こえたりしているのです。
頭語失調症とか疾患として扱われるケースもあるでしょう。
気功に慣れていくと、そういう、不思議なものが見えることにたいして、そういうこともあるだろうと感覚的にわかってきます。
なぜなら当の本人が目には見えない「気」を認識するようになっているわけなので当然ですね。
気功を習得する大前提として、一般的には認識されていないものを、確信をもって「在る」ということを受け入れる必要があります。
もっとレベルの高い話をすると、気功を使う本人はそれが本当は「ない」ことを理解しながらも「在る」ものとして扱う、これが気功です。
亡くなった人が見えるとか、天使が見えるとか、悪魔や神様が見えるとか、あるいはその存在を感じるということは、専門用語を使っていいかえれば、幽霊や天使や神様や悪魔に強い臨場感を感じているということになります。
だから、見えるし聞こえる、感じるのです。
どんな不思議な現象も、どんな神秘体験も、それを認識するのは「脳」ですから、ご先祖の霊も悪魔も天使も、すべて脳の情報処理の結果として考えてみてください。
お化けをみて心臓が凍り付いているかもしれませんし、神様をみて神々しさに感動しているかもしれませんが、あなたが心や身体を通して体験しているもの、あなたが認識している現実は、脳内の情報処理の結果なので、それを「内部表現」というのです。
なぜ、神様や幽霊が見えるのか、悪魔が見えたり天使が見えたりするのか。
脳には毛様体賦活系というシステムがあって、自分にとって重要度の高い情報だけを認知するようになっています。
五感や言語を通して入ってきた情報を処理して、自分にとって必要なものや都合の良いものだけを意識に上げさせるフィルター機能が働き、フィルターを通ってきた情報だけで現実が作られています。
何を見ようが何が聞こえようが、それは私たちの目や耳が見たり聞いたりしているそのものではなく目や耳から入ってきた情報から自分に合わせて脳がつくり出したイメージを見て聞いていると言うことです。
幽霊が見えたのなら、脳が幽霊を重要だと処理して見せたのです。
でもそれはあなたの内側の世界(内部表現)の話で、ほかの誰かのそれとは別です。
だから幽霊が見える人と見えない人がいるのは当然です。
つまり、人の数だけ真実が存在するということですね。
幽霊や神様なんて嘘だ、幻をみているんだと思っている人もやはり自分の見たいものしか見ていないわけですから、幽霊が見える人の頭がおかしくて自分は正常だと思うのは失礼な話です。
結局私たちは、自分が見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、自分が好む世界に生きているだけなのです。
いいかえれば、全部気のせいなのです。
この世界はそもそも幻想だと理解する
そうです。
私たちの生きる現実は非常にリアルなものですが、一人一人の脳が作り出した3Dバーチャルリアリティですね。
同じリンゴを見ていたとしても、私の見ている(認知している)そのリンゴとあなたの見ているそのリンゴは違うのです。
であれば、悪魔や天使が見えるAさんの世界も、そういうものと全くご縁がないBさんの世界もたいして変わりありません。
何がまともで、何がまともでないかなんて、人が勝手につくった基準でしかありません。
だから、全部気のせいです。リンゴすら気のせいと言えるのです。
私たちの脳は見たいものだけを選んで見せているという理屈がわかれば、神様や幽霊や妖精がみえることをそんなに怖いと思ったり、おかしいと思ったりする必要はないはずです。
でも、すべては内部表現であるということを理解せず、幽霊や神様や悪魔や天使の実在を信じて疑わなくなってしまうと、それは場合によっては非常に不便ですよね。
アニメの世界やゲームの世界にリアルに生きているようなものです。
アニメやゲームは、それを仮想世界だとわかっているので楽しめるのです。
人はよくわからないことに対しては本能的に恐れを感じるものです。
気功のことも、「気」の本質について理解ができなけれは不思議な現象に見えたり、怪しいと思ったり、怖いと感じたりするかもしれません。
でも少なくとも気功を使う人は、気の本質について理解し、腑に落とす試みをあきらめないでください。
そうでなければ、神様や悪魔の存在を信じて恐れたりあがめたりする人と同じレベルで終わってしまいます。
私たち一人一人がユニークな存在だ
私たち一人一人がそれぞれの内部表現において、リアルだと思う現実を生きています。
その人のレベルが低いとか、その人が悪いとか良いとか、かわいそうとか、すごいとかそういう視点を捨てましょう。
人はそれぞれにユニークな自己表現をして生きています。
その自己表現の結果としての現実があります。
自己肯定感の圧倒的に低い人は、めちゃめちゃ不運な現実作り出して生きていますし、エフィカシーの高い人はどんどんクリエイティブなことを実現していく現実作って生きています。
どんなにそれが生きづらそうな現実であったとしても、わざわざ生きづらい現実を作るという方向に、その人はとてもクリエイティブなのです。
誰もが本当にクリエイティブな力を発揮して生きている。それはどの人も同様に尊重されるべきものです。
ただその方向性が様々で、みんながみんな明るくて幸せな現実を選んでいないだけ。
だから、気功師として相手を観るときには、その人がどんな現実世界を作り出しているのか、興味を持ってみてみるとよいです。
ああ、そんな風に思っているのか、だからこんな現実を作っているんだね、面白いね!
この人はこういうのが好きなんだ、だからこんな現実なんだね、納得!
いたずらに同情したり心配したりすると、気功は効果を発揮しません。むしろ毒になることの方が多いです。
どの人の人生もやはり「気のせい」と思うことができれば、同情や心配の余地はありません。
すべては気のせい
気功を深く理解するということは、すべて気のせいだと腑に落とすことです。
すべて自分の脳が作り出したもの、それを理論だけではなく腑に落とすと気功のことがわかります。
すべて気のせいだと確信出来たら気功はマスターできます。
「全部気のせいだから、気の持ちようよ」ということを、どの抽象度で理解できるかがポイントです。
気のせいだと思えれば思えるほど、情報操作が軽く簡単になります。
そのためには「共感覚による内部表現の書き換え」というのが認知科学をもとにした気功の定義ですが、まずはこれをしっかり理解しましょう。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。