存在はしても実在はしない
どうも こばやしです。
お元気ですか?
気功にご興味を持たれる多くの皆さんが抱く疑問。
「気」って、存在してるの?実際にあるの?
実際に気功をやってみて
気というものに馴染んでくると、
気感というものがありありと
感じられるようになります。
あ、気って確かにあるんだなということが
疑いようもないものになります。
じゃあ、実態として形のないこれは実際に物理として
そこにあるのだろうか。
答えは、
気は存在はするが、「実在」ではない、
ということになります。
つまり、
「あると思えばあるし、ないと思えばない」
その類のものである ということです。
じゃあ、
気をありありと感じている、
あるいは、
見えてしまっている自分は頭がおかしくなったのか?
ってことになるかもしれませんが、
おかしくなったわけではなく、
脳が五感と言語を使って「気」というものを
認識するようになっただけに過ぎません。
自分にとって重要なことだけを認識している
脳の認知機能には「RAS」とうシステムが働いています。
網様体賦活系=RASとは、
脳が重要な情報だけを選別するためのシステムで、
このおかげで私たちの脳は
絶えず入力されてくる無数の五感情報や
言語情報の中から、
自分にとって必要のないものは排除し、
必要な情報だけを認識するようになっています。
カクテルパーティで、
大勢の人の話し声の中から
自分の話している相手の声をきちんと認識できるのは
RASの作用で、
その他大勢の人の声が雑音として処理されるためです。
聞こえてくる音を全て同等に拾っていては
現実認識に支障が起きるからです。
「気」を感じるということは、
RASの選別を潜り抜けてきたということなので、
自分にとって「気」の重要度が増した、
だから認識できるようになったということです。
なぜ、実在はしていないのか
先ほど、気は存在はしても実在はしていないといいましたが、
その根拠は、
認知科学が教えてくれます。
認知科学では、
「脳内の情報処理によって現実がつくられる」
と考えます。
私たちの現実体験は脳の情報処理によって生まれている。
つまり、
「現実は情報でできている」のです。
それはどういうことかというと、
目の前にある赤い球体を
あなたは「リンゴ」だと思うかもしれないが、
あなたの部屋を飛んでいる
ハエの感覚でとらえたら、
それは同じようには認識されないし、
あなたの足元でくつろぐ
ペットの犬の感覚でとらえたそれもやはり、
あなたの認識ともハエの認識とも違っています。
それは、
当然、人間の感覚器とハエの感覚器と、犬の感覚器は
それぞれ全く異なるからです。
ということは、
あなたがリンゴだと思っているそのリンゴは本当に存在するのか?
と問われたら
それは確実なことはわからなくなるわけですね。
人間がリンゴだと思うからリンゴがあるのであって、
ハエの目には全く違った世界が認識されているのですから、
それは、
「気」のことを
「あると思えばあるし、ないと思えばない」
と言っているのと、
何ら変わらない理屈なのです。
脳内の情報処理によって認識されたものを私たちは
体験しているだけなのです。
現実は情報でできているとはそういうことです。
情報なのですから、
存在はできても、
実態はない。
実在はしていない。
そもそも、
この現実世界そのものが
そうなのですから、
気が存在することも、
そう驚くことではないわけです。
その人があると思えば感じるし見えますが、
ないと思っていたらそれはないのです。
ちなみに、
これは物理学における「観測問題」でも裏付けられていますよね。
素粒子は物質の最小単位ですが、
物質でありながら非物質でもあるという性質を持っています。
人が観測しているときには収縮して粒子として発見されますが、
観測していないときには、「波」のような広がった状態で存在します。
この「波」の状態の時の素粒子のことについては
よくわかっていないそうです。
なぜなら、研究しようと素粒子に意識を向けた瞬間に
素粒子は粒子の状態になってしまうからです。
波の状態の素粒子を観測することが誰にも出来ない。
そして、
なぜそうなのかがわからない。
これがいわゆる「観測問題」です。
一つだけわかっていることは、
素粒子が物質であるか非物質であるかを決めるのは
人間の意識であるということ。
「意識」が素粒子の状態を確定しているということです。
人の意識が向けられていればそれは物質化(存在)し、
意識が向けられていない状態では
「波」、非物質である(存在しない)ということです。
というわけで、
気は実在はしない。
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気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。