思想と氣功 気功について

氣功師は創造主 ― 情報空間を動かすということ

2025年10月8日

静けさの中にある力

風が止まり、空気がやわらかく澄む瞬間。

世界の“間(ま)”が現れ、すべてが一度、静止する。

 

氣功の修練とは、このような静寂の中へ入っていくことです。

 

けれど、その静寂は“無”ではありません。

そこには、まだ形を持たない、無数の可能性が息づいています。

 

私たちは普段、現象(結果)を「現実」だと思い込んでいます。

けれど、氣功の視点では、その奥に広がる“情報空間”こそが原因であり、本質です。

 

つまり──

世界はまず情報として存在し、物理はその投影として現れる。

 

この一文が腑に落ちたとき、氣功の本当の面白さが見えてきます。

 

風水と氣功 ― 外の氣と内の氣

古代中国では、天地の氣の流れを「龍脈」と呼び、その流れを読む術が風水として発展しました。

 

風水は、山や川、建物や方位など──

外界に刻まれた氣の情報構造を観察し、その秩序に人の暮らしや社会を合わせていく学問です。

 

つまり、風水とは外なる情報空間の翻訳技法なのです。

 

しかし氣功は、その外界の氣を「内界の情報」として扱います。

呼吸、姿勢、意識、感情──

それらはすべて、身体という“情報場”に刻まれたデータ。

 

氣功の修練とは、それらの情報を再配置し、秩序(=氣の流れ)を整える行為なのです。

 

風水が「自然界の氣」を扱う学問であるなら、氣功は「心身の氣の再構成」を洗練する学問。

そして、この2つは本来、対立するものではありません。

同じ氣の原理を、外と内という異なるスケールで扱っている──

それが風水と氣功の関係です。

 

情報空間の法則 ― 「意味」が現実をつくる

現代の情報理論や認知科学でも、「情報は物理に先行する」という考え方が注目されています。

苫米地英人博士の理論では、人間の脳は外界を直接見ることはできず、内部表現(=情報構造)を通して世界を知覚しているとされます。

つまり、私たちが「現実」と呼ぶものは、実際には(脳による)情報の翻訳結果であり、その意味づけの仕方によって現実は変わる。

氣功はまさに、その“意味の秩序”に介入する技法です。

 

氣を感じるとは、不思議なエネルギーを掴むことではなく、情報空間の構造を観察すること。

氣を整えるとは、乱れた情報の秩序を再編すること。

そして氣が流れるとは、全体の情報がひとつの調和に向かって自己組織化すること。

 

この視点を持つと、「氣を動かす」とは「情報を動かす」ことに等しくなります。

 

結界とは、情報の秩序を創ること

「結界」という氣功技術があります。

もともとは陰陽師の使う術として伝わり、今では一般にも広く知られた言葉です。

 

多くの人は、「結界」と聞くと“防御”のイメージを持ちます。

けれど、氣功で扱う結界はまったく異なります。

 

それは、外からの攻撃を防ぐ盾や壁ではなく、情報の秩序を生み出す空間構造なのです。

 

恐れや不安をもとに張られた結界は、「攻撃される前提」の情報を増幅し、結果的にその現実を引き寄せてしまいます。

守ろうとして張られた結界は必ず破られます。それがその結界の前提だからです。

 

逆に、愛と調和の意識から結界を形成すると、その情報が場全体に波及し、静かでやわらかな“共鳴場”が生まれます。

 

つまり、気功師にとって結界とは「何を防ぐか」ではなく、「どんな秩序を生み出すか」と言う目的のもとに張るもの。

 

外界を変えるのではなく、自らの意識が放つ情報によって“場”を創造する

それが氣功における結界の本質です。

 

氣功師は情報空間の翻訳者、そして創造主

氣功師とは、氣を“情報”として読み解き、再定義する存在です。

風水師が龍脈を読み、土地を整えるように、氣功師は意識の龍脈──情報の流れ──を観て整えます。

言葉、呼吸、意図、そして臨場感。

それらはすべて、情報空間を再構成するためのツールです。

 

氣功師は、現象を直接操作するのではありません。

現象を生み出す情報場を整えることで、現実が自然に調っていくのです。

外界の氣は「意味づけの情報」である

氣功師にとって、外界の氣──龍脈の流れや方位、日時──といった要素ですら、すべて再定義の対象になります。

風水が「地の氣」を読み解くように、氣功は「情報としての氣」を扱います。

邪氣や吉方といった概念も、本質的には“意味づけ=情報”なのです。

 

たとえば、風水において西の方位に「金の氣が強い」とされるのは、長い年月の観察と信念が集合的に形成した情報フィールド

このフィールドには確かに力があり、だからこそ馬鹿にはできません。

 

けれど、氣を理解している人は、その“意味づけの層”を超えて扱うことができるのです。

「方位そのものが運を決める」のではなく、
「方位にどんな情報(意味)を置くか」で世界は変わる。

これが、氣功師が行う「結界」や「場づくり」の根本原理であり、氣功師が最も大切にするべき世界に対する姿勢です。

 

 

整合 ― 「配置」よりも氣の調律へ

風水では「配置」が中心ですが、氣功では「整合(アラインメント)」が中心になります。

 

整合とは、自分の氣・場の氣・天地の氣をひとつの流れに合わせること。

配置や方位は、そのための“氣の調律装置”にすぎません。

 

重要なのは、
「どんな配置にするか」ではなく、「その場の氣に、どんな意図と情報を流すか」。

 

盛り塩も方位も儀式も、すべては氣の翻訳装置です。

けれど、本当に氣を理解する者は、その“翻訳元”──つまり意識の層そのものを整えます。

 

意識が現実を形づくる

氣功では、外の出来事や環境を「自分の意識が投影された情報」として観ます。

 

風水的に不利な土地も、他者の感情も、運命すらも──

すべては「情報=意味の構造」として現れている。

 

だから氣功師は、現象を変えようとはしません。

その背後にある情報(意味づけ)を観て、整え、書き換える。

それによって、現実の流れが変わるのです。

 

苫米地英人博士の言葉を借りれば、

「物理空間よりも情報空間が先にある」。

 

現実は結果であり、原因は意識(情報)の側にある。

氣功とは、その情報空間にアクセスし、意識の構造(臨場感)を変えることで現実の波動を変えていく技法。


氣功師とは、情報の構造を読み、再構成する存在なのです。

 

抽象度を上げる ― 創造主としての意識

意識の階層を上げるほど、現実への影響力は高まります。

この意識の階層を認知科学では「抽象度」と言う概念で説明します。

 

怒りや不安の階層で世界を見れば、現実はその周波数で形づくられる。

愛や調和の階層で情報を扱えば、現実はそれと共鳴して整っていく。

 

氣功師が“創造主”と呼ばれるのは、自分の意識を高い抽象度──愛・調和・静寂──の次元に置き、そこから情報空間を整える存在だからです。

創造とは、物理的に何かを作り出すことではなく、情報空間に新しい秩序を見出し、それを顕すこと。

氣功師は、世界の結果側ではなく、原因側に立って世界を創る存在なのです。

 

創造とは、無為自然のはたらき

氣功の理想的な境地は、「無為自然(むいしぜん)」。

 

それは「何もしない」ということではなく、

意図を超えた創造の流れと一体になるという意味です。

 

氣功師が本来の静けさに還ったとき、個人の意志と宇宙の意志がひとつになります。

この状態では、操作も努力もなく、思考より先に調和が生まれていきます。

 

創造主とは、世界を支配する者ではなく、世界と共に呼吸する存在

氣功の道とは、その呼吸を思い出す旅なのです。

 

世界は情報として息づいている

風水が「外の氣」を整える学びなら、氣功は「内の氣」を整える学び。

けれどその奥で、両者はひとつに溶け合います。

 

私たちは皆、情報空間の中に生きており、意識の在り方ひとつで世界の意味を変えることができる。

 

つまり、氣功とは──

世界の翻訳を自らの手に取り戻す技法。

 

呼吸を整え、心を静め、あなたという情報場が調ったとき、外の世界もまた、その秩序に呼応して変化していきます。

そしてその瞬間、あなたはもう、この世界の主(あるじ)として存在しているのです。

 

この哲学を実践の中で学びたい方へ

 

 

 

 

 

 

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