承認欲求はゴールの顔をしている
承認欲求とは、誰かに認めてもらいたい、褒められたい、愛されたいという欲求です。
そして少なくない人が承認欲求を満たすためのゴールを設定しています。
承認欲求は、時として自分のゴールに巧みに乗っかって自分を支配していることがあり、
その場合、自分は高い理想のために行動していながら、心の何処かでうっすらとした違和感を感じながらも、なかなかそれを意識にあげることが難しい場合があります。
たとえば世界中の人を癒したいというセラピストのゴールに、人を癒して褒められたい、感謝されたい、認められたいという承認欲求が乗っかっていることがあります。
もちろん世界中の人を癒したいというのは、人生をかける価値のあるゴールです。
でも、そこに承認欲求が巧みに隠れることによって、自分のゴールのために生きているはずの人生にかすかな違和感が生じます。
承認欲求は結局は自分が自分に承認が出せないために他人に承認を求めるしかないという
一見「want to」のようでいて、実は「have to」な動機付けであり、
この動機付けによって動いているかぎりは、根底に自己否定があるので、たとえどれだけ達成しても虚無感がつきまといます。
もう少し心理学的な観点から説明すると、自分のゴールに向かって生きる自分の裏で、承認欲求を強く持っている自分も「影」として一緒に存在しているということです。
なぜ承認欲求に踊らされるのか
何故、承認欲求が私たちを支配し、苦しめるのでしょう?
それは幼少期に大人(特に親)から承認される体験が少なすぎたからです。
本来、承認欲求は子どもの頃にしっかり満たされるべきものです。
母親から存在そのものを承認され(愛され)、父親からは社会的な権威を与えてもらう必要があります。
それが不足したまま大人になると、自分で自分を承認できず、自己肯定感や自己評価がさがり、自分の人生を生きる自分の軸が形成されず、ゴールを達成する能力が発揮できません。
強い承認欲求によって成果を出して社会的な評価を得ても、根本的なところで自分に承認が出せていないので不安がつきまとい、
心から満足できず、さらなる他者からの評価を求めてぶら下がった人参を追うことになり非常に負担が大きく、疲弊します。
承認欲求から自由になるために他者からの承認を求めることは根本的な解決にはなりません。
他者からの評価を必要とする限り、エフィカシーは上がらないのです。
エフィカシーとは自己評価であり、他者評価は全く関係がないし根本的なところでは他者による評価は、自分にとって決定的な力にならないのです。
承認欲求を支配下に置くための抽象度
よってコーチングはもちろん、ヒーリングやカウンセリングの現場では、クライアントを無条件に受容して癒しを与えるだけでは、
一時的な癒しをもたらすことはあっても根本的な解決には至らないことがほとんどです。
でもそのことを理解しているヒーラーもカウンセラーも少ないようです。
承認欲求を満たしたいと思っているクライアントに、辛かったね、苦しかったね、私が癒してあげます、という対応を続けると、下手すると共依存関係を作り出し、
ヒーラーやカウンセラー、セラピストはクライアントに振り回されることになり、そこから抜け出すのに苦労することでしょう。
三和氣功的な癒しの専門家の立場から言えば、それはもはや癒す立場を見失っているのであり、
また、気功の観点における「情報空間での戦い」という点において完全に負けなのです。
癒す側は必ずクライアントに対して一つ二つ上の抽象度を維持するべきであり、
私の講座の中ではそれをメタ(高次の)ポジションと呼ぶこともありますが、
メタポジションを取れないとセッションだけではなく、個人のレベルにおいても承認欲求を支配下に置くことはできません。
承認欲求をクリアするためには、抽象度の高いメタポジションの獲得が必須であり、メタポジションの自分が無条件に自分を承認するに至って初めて自己評価、つまりエフィカシーが上がるようになるのです。
男性性と女性性を使い分ける
自己承認の根本的なレベルは、存在に対する承認です。
それは母親が我が子に対して抱くような無条件の受容であり、存在そのものに対する無条件の承認です。
生まれてきたこと、存在していることそのものを祝福し、愛することが、自己承認の根底になければ承認欲求は満たされません。
これはいわば、母性的な愛による承認であり、気功の文脈で言えば自己承認の「陰」の要素です。
この類の承認には受容し育む「陰の気」、「器」で象徴される「地の気」が自分の中に必要です。
これがなければエフィカシーは生まれませんが、しかし、これだけだとエフィカシーはあがりません。
エフィカシーとはゴール達成のための自己評価です。ゴールを達成する能力も資格も有していると承認することがエフィカシーなのです。
ゴールとは常に、社会的な立場の、つまり自立した大人の自分が追い求めるものであり、自分が社会の中で生きることそのものへの承認がなければエフィカシーは上がらないのです。
そこで、次に必要なのが、能力や行動に対する承認です。
これは父性的な愛による承認が必要であり、気功の文脈で言えば自己承認の「陽」の要素です。
この類の承認には、道を切り開き、そのために不要なものを断ち切っていくための「陽の気」、「天の気」とつながるための、権威の象徴である「剣」を自分の内に持つ必要があります。
気功的な表現を使うならば、天地の気を自分の中に統合し、内なる男女の「気」(陰陽の気)を使いこなすことによって、自らを愛し、成長させ、導いていくことが出来るということです。
そのために必要なものは「身体性」であり、伝統的な気功において、身体性を高めることはとても重要なことです。
そもそも、抽象度の高い視点(メタポジション)とは、高い身体性によってもたらされるものです。
メタポジションにあるからこそ、陰と陽の気を統合し、自由自在に使い分けることが出来ます。
三和氣功ではメタポジションをとることによってはじめて「本当の自分」につながり自分が本来歩くべき「道」が見えるという考え方を採用しています。
そして自分の道を行くとき、人は自然体になります。
本当の自分は、自分の生きる目的を知っており、自分の使命を自覚しています。
誰に非難されることも、承認されることも、死ぬことも生きることも、超越しています。
この物理的な次元におけるゴールと命の使い道に集中しており、自分にとって何が重要か重要でないかを知っています。
そして、この「本当の自分」は、実はどの人の中にもそれぞれ存在していて、その人の人生を導いています。
「本当の自分」に目覚めるきっかけをつかみたい方は説明会や体験セッションにお越しください。
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気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。