マインドの傾向で氣の感受性は左右される
氣をどう感じるのかは一人一人違います。
それは、一人一人別々の脳を持っているのだから当然の話ですが、こと氣を感じるという点において人と比べてしまう人も多いはずです。
そして、よく感じる人ほど上手いとかすごいとか、そんな風に評価をしがちです。
確かに、臨場感の操作をするという点においては氣を感じる方が良いには違いありませんが、氣を感じる、感じないの能力は一般的なレベルでは、その人のマインドの傾向によって影響されるだけなので、感じないからといってがっかりする必要はありません。
訓練すればちゃんと感じられるようになります。
氣をよく感じるという人は、自分がどう感じるのかに対する重要度が高い人といえます。
何かの判断基準として、自分の快不快に重きを置くので、自分の身体の感覚や心の動きに敏感です。
別の見方をすると、動物的反応が強い傾向を持つ人であるとも言えます。
逆に氣を感じにくいという人は、自分ではなく他者がどう自分を評価するのか、その具体的な数値や言葉や反応に対する重要度が高いのです。
自分の身体の感覚や心の動きよりは、外側に他者から示される目に見える価値や評価が判断基準となりますので、当然自分がどう感じるかの重要度は下がります。
別の見方をすると、理性的で論理的な判断に頼る人である傾向が強いでしょう。
どちらが良いわけでもなく、どちらも人間の脳の働きです。
自分がどう感じるかを徹底的に吟味することで氣感は強くなる
氣を感じにくいという人の場合、それは自分の感覚の重要度を下げ、目に見え手で触れられる外側の基準や評価に自分を合わせて生きてきたからである可能性が強いので、そういう人が氣功を上手になろうと思ったら、まずこれまでやってこなかった「自分がどう感じるか」と向き合う訓練を積む必要があります。
氣を感じる感覚は、所詮人の感覚機能の一部なので、どんな人もちゃんと機能は持っている。ただそれを使い慣れているのかいないのか、それだけの話です。
ソムリエや料理人の味覚や嗅覚が繊細になるように、氣の感覚もちゃんと磨いていけます。
なので、もし志を持っているなら、あきらめずに取り組めばちゃんと氣はわかるようになります。
このときに意識的になって欲しいのは、人と比べないということです。
先にも言ったように、人それぞれ違う脳を持っているので、同じもの感じてみたとしても、全く同じようには認識出来ません。
例えば一般的には第1チャクラは赤色で認識されてますが、黄色に見えてもオレンジに見えても、紫に見えても良いし、赤以外の色で感じられることは普通にあるのです。
第一チャクラが赤で描かれているのは、だいたい皆赤に感じるよね、くらいの指標でしかないということです。
大切なのは、それが紫に感じられて、さらにそれを自分がどう感じるのか、重たい感じがしたのだとしたらその重たさはもっと具体的にはどんな重たさなのか、何が重たいと感じるのか… そういったことを徹底的に吟味していく、その作業が大事なのです。
それが情報を読むということです。
人がどう感じていようと、他人の感覚は氣の操作をする際には参考にはなっても役には立ちません。
あくまでも自分がどう感じるか、操作の基準にできるのはそれだけです。だから、自分がどう感じるのかとちゃんと向き合ってその精度を上げる練習をするのです。
そのためには、今自分がどんな気持ちでいるのかをより詳細に意識にあげるようにしたり、五感全部を使って感じることを意識したりすることが大事です。
文学作品や芸術、音楽に沢山触れることも良い訓練となるでしょう。(その際、その作品の解説には一切目を通さず、純粋に自分の感覚だけで味わうことをオススメします)
一方で、元々氣を感じることに長けている人はもうそれで十分なのかといえばそうではありません。
先にも書いたように、氣を感じやすい人はより動物的な反応をしやすい傾向があるので、快不快の情動や恐怖や不安に敏感だったりします。
その場合は、理性を働かせる人間特有の脳より動物的な脳をよく使っているので、身体の感覚で不安や恐怖をありありと感じてしまったりするわけです。
体感が強い分、理性的判断や客観的で抽象的な思考をするのが苦手なので、自分の感性のコントロールが出来ないと氣、つまり情報を操作するどころか、情報に支配されて身動きでないという状況に陥る可能性があります。
また客観性に欠ける主観的な判断でスコトーマを生みやすくなります。
単純に言うと、氣を感じやすい人は、感じた情報に対して情報に支配されずに抽象度の高い情報操作を行う知性や理性を身につけることが課題となり、氣を感じにくい人は外側に正解を求める癖をやめて自分の内側の情報を読み取る感性を培うことが課題となります。
恐れや不安を制御して未来をみる
氣功は、氣、つまり情報を操作するための技術です。
何のために操作するのか、といえば、より良い自分になるため、より良い現実をつくり出すためです。
より良い自分やより良い現実をつくり出すためには、現状よりももっと高い抽象度から氣を操作し情報を書き換える必要があるので、客観性や論理的で合理的な思考、抽象的に物事をとらえる能力が大切ですが、動物的な脳で物事に反応しているとそれが出来ません。
いずれにしても、より高い視点で氣、つまり情報の操作をすることがポイントとなるのですが、そのために必要になるのがゴールの視点です。
ゴールの視点とはなにかを理解するには、人間の脳の性質を理解する必要があります。
氣を感じやすい人は自分の内側の感覚に、氣を感じにくい人は自分の外側に意識を向けて判断し、行動するわけですが、その判断行動の基準は基本的に「自分を守るため」、すなわち「自分が皆に受け入れられるかどうか」に対してセットされています。
集団で生活する人間の長年の習性で、集団に認められなければ生きてはいけない、そのように脳にはプログラミングされていますので、安心安全を維持し、危険を回避して生存していくために、集団の中でより重要度高く受け入れられる存在である必要があるわけです。
これに基づいて、自分が他人から害されたり排除されたりしないように、氣を感じやすい人は他人の感情や心の動きを自分の感性で敏感にキャッチして身を守ろうとしますし、氣を感じにくい人は周りからの評価をとても氣にします。
しかし、このプログラミングに従う自分をコントロールすることが出来ないと、現状の外へ出ることは出来ません。
つまり、恐れや不安に突き動かされない理性や安全安心よりリスクを取る感性を使いこなして現状の枠を出て行かなければ、人生は変わらないと言うことです。
仲間に受け入れられないかも知れない、傷つけられるかも知れない、死ぬかも知れないという恐れや不安を制御するだけの能力を大脳は持っています。
それが快不快の情動と本能に支配されて生きる動物と違い、人間が自らの限界を突破してここまで発展してきた理由です。
恐怖や情動を制御できるのは、人間に未来を思い描く能力があるからです。
こうなりたい、もっとこうなったら良い、そのようにしてより良い未来を求める意志が、身の安全を求める恐怖や不安を制御してその外側の世界を見せてくれます。
これがゴールの視点です。
自分の認識を操作して現実を変えていく
現実とは私達の認識そのものです。認識したことがすなわち現実です。
自分の内側で感じることも自分の外側の世界も等しく、あなたの脳が認識することによってつくりだしている脳内の世界。あなたの自我そのものです。
私は幸せだと認識すればそのような世界になり、私はイケてないと認識すればイケていない自分が生きる世界になります。
そのようにあなたの世界はあなたの認識した情報の集まりで出来ています。
また、あなたは自分の世界から抜け出すことは出来ません。自分の感じたこと、認識したことが、自分の内側であれ、外側であれ、世界のすべてでそれ以外の世界はありません。
でも、自分の認識した情報で出来ている世界だからこそ、その世界は自分で操作ができるのです。
氣を感じるということは、世界を体感で認識するということです。氣功はその体感した情報世界を体感で書き換えて行く方法です。
あなたが自分に対して何を認識しているのか、世界に対して何を認識しているのか。それをどれくらいしっかり見極めることができるのかが、氣、すなわち情報をコントロールするための鍵となります。
感じない人は自分の感性をもっと高めれば良いし、感じやすい人は感じた情報の御し方を訓練すれば良いのです。
端的に言えば、理性と感性のバランスをとって情報を上手に使いこなすためのより高い視点(抽象度)が氣功の能力を高めます。
大切なのは自分の認識には精度があると言うことを知っておくことで、それは理性と感性のバランス、右脳左脳のバランスによって支えられています。
そしてその精度を上げていくほど氣功が使えるようになります。
また氣功が使えるということは内的世界を自在に書き換えることができるようになるということなので、自分も世界も自在に創れるようになるということです。
認識の精度を上げるには、自分が何を感じているのかを常に意識するようにしておくことです。
自分がどう感じているかがわかれば、それを自在に変化させることが出来るので、気を感じやすくても感じにくくても、氣の訓練とは、まずは自分の認識を吟味することに尽きます。
認識を吟味することを繰り返していくと、自分の認識が現実を生み出しているという臨場感が上がってきます。その結果、本当に認識を変えることで世界を変えられるようになるのです。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。