氣功師の能力が成熟する地点
第1章|氣功師に求められる「能力」とは何か
癒す力。
人生に関わる力。
人に、誠実な影響を与える力。
氣功を学ぼうとする人の多くは、
こうした「能力」に、自然と惹かれます。
それは、
特別になりたいからでも、
誰かより優位に立ちたいからでもありません。
もっと自由に、軽やかに在りたい。
自分自身も、関わる人も、幸せであってほしい。
そんな、まっすぐで誠実な願いが、
学びの原動力になっていることがほとんどです。
だからこそ、
人に深く関わろうとし、
よりよい変化を起こそうとし、
気づかないうちに、
自分を使いすぎてしまうこともあります。
「痛みは取らなければいけない」
「問題は解決してあげなければいけない」
「引き受けられないなら、価値がない」
そうした思いは、
未熟さから生まれるものではありません。
むしろ、
誠実に人と向き合ってきたからこそ、
自然に身についていく構えでもあります。
実際、
多くを学び、
多くを感じ、
多くの現場を経験してきた人ほど、
この構えを、強く内側に持っています。
そして、ある段階で、
こんな感覚に出会う人も少なくありません。
技術は増えたはずなのに、
関わりが浅く感じる。
頑張るほど、
自分が疲れていく。
以前は効いていたことが、
もう同じようには届かない。
これは、
能力や才能が足りないから起きることではありません。
むしろ、
「ちゃんと関わろうとしてきた人」ほど、
この違和感に触れやすいのです。
なぜなら、
深いヒーリングや影響力は、
強く働きかけることで生まれるものではなく、
その人が
どんな状態で、
どこに立って関わっているかによって、
自然に立ち上がってくるものだからです。
このとき、多くの人は、
まだこう考えています。
「もっと上手にならなければ」
「まだ足りないのではないか」
「別の方法があるのではないか」
思考は、前に進もうとします。
けれど、
身体のどこかでは、
もう別の感覚が芽生え始めています。
これまでのように
引き受けて、
操作して、
頑張り続ける関わり方から、
少し距離を取りたがっている感覚。
この違和感は、
逃げでも、怠けでもありません。
能力が失われたサインでもありません。
むしろそれは、
能力が、次のかたちへと成熟し始めている合図
であり、
今まで触れていた層よりも
さらに深いところへと、
自分が触れ始めているということです。
このコラムでは、
氣功師に求められる能力を、
「何ができるか」ではなく、
「どんな在り方で関わっているか」
という視点から、静かに見直していきます。
ただ、
今の自分の身体と感覚が、
どこに立っているのかを、
少しだけ確かめてみてください。
それだけで、
次に進む位置は、
自然と見えてくることがあります。
第2章|なぜ、頑張るほど浅くなるのか
多くの氣功師やヒーラー、
セラピストなどの施術者が、
ある時点で、同じ違和感に出会います。
頑張っているはずなのに、
手応えが薄い。
以前より知識も増え、
感覚も繊細になり、
経験も積んできたのに、
癒すという関わりが、どこか表層で止まってしまう。
上手くいかない。
だから、
まだ技術が足りないのではないか。
理解が浅いのではないか。
もっと強く、もっと正確にやらなければ。
こうして努力を重ねてきた人も
多いでしょう。
そして、
さらに思考を使い、
さらに意図を強め、
さらに集中しようとします。
けれど、
それが続くほど、
関わりは不安定になり、
自分の消耗は大きくなっていく。
これは、
努力の方向が間違っているからではありません。
問題は、
「頑張っていること」そのものではなく、
どこから頑張っているか
なぜ頑張るのか
にあります。
理解しようとする。
正しくやろうとする。
相手にとって最善を選ぼうとする。
それは、
とても誠実な姿勢です。
ただ、
その誠実さは
癒し手が
相手の痛みや重さを
引き受けるという形で表れやすい。
無意識のうちに、
関わりの中においてヒーラーの身体が
「引き受ける位置」
へと押し出されてしまっていることがあります。
それは、
相手の痛みを、
自分の内側に取り込み、
そこで何とかしようとする位置。
問題を、
自分の力で処理し、
解決へ運ぼうとする位置。
この位置に立つと、
わかりやすい効果や変化は起きやすくなります。
反応は出る。
動きも見える。
「効いた」という感覚もある。
けれどそれは多くの場合
表層で起きる変化であり、
一時的です。
そして、
相手の痛みを引き受けるという関わり方は、
どうしても長くは続きません。
なぜなら、
施術者の身体が、
常に前に出続けることによって、
常に緊張しやすく、
呼吸が浅くなり、
感覚も過敏になります。
すると、
氣は流れているようで、
実は、身体の中で滞り始めます。
この状態で
さらに頑張ろうとすると、
影響は、
深く入る前に散ってしまう。
それが、
「浅く感じる」
「効かない」
という感覚の正体です。
ここで重要なのは、
これは能力の低下や
才能の行き詰まりではない、
ということ。
施術者の身体がこれ以上、
この位置に立ち続けることを
拒み始めているサインでもあります。
以前と同じやり方が
効かなくなってきたのは、
身体が鈍くなったからではありません。
身体が、次の関わり方を知り始めた
ということでもあるのです。
ここから先に必要なのは、
さらに前へ出ることではなく、
一歩、位置を引き戻すこと。
さらに技術や知識を足していくのではなく
自分の意識や自分のあり方に目を向けることです。
氣功では、
最初は氣を動かすこと
コントロールすることを学びますが、
ある段階から先に進むには、
いかに操るのかではなく
氣功師の意識の位置を
洗練することが求められます。
氣功の影響力は、
力を集めた先に生まれるのではなく、
安定した位置から、自然に滲み出る
ものだからです。
第3章|氣功師の影響力は、どこから世界に出ていくのか
氣功師の本当の影響力は、
意図の強さや、
集中力の高さから生まれるものではありません。
氣功師が「何をしているか」
よりも、
「どこに立って関わっているか」
によって、大きく変わります。
人と向き合うとき、
無意識のうちに、
関係性の中に
自分のポジション、”位置”が生じます。
前に出て、
相手の状態を引き受け、
変化を起こそうとする位置。
少し引いて、
相手を観察し、
適切に働きかけようとする位置。
あるいは、
相手と同じ場に立ち、
起きている流れそのものに
静かに同席している位置。
この「位置」の違いは、
言葉や技法以上に、
身体の状態に、はっきりと表れます。
前に出ようとする位置では、
身体は自然と緊張し、
呼吸は浅くなりやすい。
相手に近づきすぎると、
感覚は鋭くなりますが、
同時に、境界は曖昧になります。
すると、
相手の痛みや混乱が、
自分の内側に入り込みやすくなり、
関わりは重くなっていきます。
一方、
位置が安定しているとき、
身体は過度に緊張せず、
呼吸は自然に深まります。
この位置から関わる時、
相手の状態は感じ取れても、
飲み込まれることはありません。
変えようとしなくても、
場の緊張が、
少しずつほどけていく。
ここに立つ人は
「何かを起こそう」としていません。
ただ、
今ここで起きていることに、
身体ごと立ち会っています。
不思議なことに、
この位置に立っていると、
物事の変化は、
意図して動かそうとしたときよりも、
静かに、しかし深く進んでいきます。
なぜなら、
氣の流れは、
押されることで動くのではなく、
妨げが減ったときに、自然に戻る
ものだからです。
この段階における影響力とは、
力を届けることではありません。
場が本来の流れを
取り戻すための余白を、
身体ごと差し出している状態。
その余白は、
意志や思考だけでは作れません。
身体が安定し、
呼吸が通り、
自分の中心に、
無理なく立っているときにだけ、
自然に生まれます。
このとき、
氣功師自身も、
消耗したり、枯渇することはありません。
関わったあとにも、
どこか静かで、
落ち着いた感覚が残ります。
それは、
達成感や高揚感ではなく、
「自然である」
という身体の感覚です。
多くの人が、
影響力を
技術や能力の問題だと思っています。
けれど実際には、
影響が深くなるほど、
やっていることは少なくなり、
立っている位置だけが、変わっていく。
表面からは
計り知れない影響力が
しずかに働くようになります。
ですから、
ここで必要なのは、
新しい方法を探して身につけることではありません。
この「位置」を支えているもの──
氣功師の身体を作っていくことです。
どんな身体で立っているかが、
どんな関わり方になるのかを、
ほぼ決めてしまうからです。
第4章|氣功師の身体が、能力の土台になる理由
ここまで見てきたように、
氣功師に求められる能力は、
思考や意志の強さだけに限定されていません。
どれだけ理論を理解していても、
どれだけ感覚が鋭くても、
身体がどんな状態で立っているかによって、
関わりの質は大きく変わります。
氣功の影響力は、
思考や意志の強さだけではなく
身体を通して、世界に出ていく
ものだからです。
そして、
本質に触れようとするほど、
深い位置へ降りることが
求められます。
たとえば、
身体が常に緊張している状態。
丹田が落ち着かず、
軸が上に引き上がり、
呼吸が浅いまま関わっていると、
感覚は鋭くなりやすい一方で、
安定しにくくなります。
また、
感じる力が強い人ほど、
境界が曖昧になりやすく、
相手に入りすぎてしまうこともあります。
この状態が続くと、
関わりは、どうしても重くなります。
一時的な反応は起きても、
深いところまで、
安定して届きにくい。
その結果、
氣功師自身が、
知らないうちに消耗していく。
これは、
能力が低いから起きるのではありません。
身体が、まだ土台として整いきっていない
というだけのことです。
三和氣功が
身体的な実践を大切にしているのは、
この「土台」を育てるためです。
身体が整ってくると、
感じすぎても、自分を保てる。
理論を使っても、冷たくならない。
相手に入りすぎず、離れすぎない。
そうした関わり方が、
意識しなくても、
自然に生まれてきます。
それは、
才能や性格の問題ではありません。
身体を通して、
少しずつ育っていくものです。
だから三和氣功では、
感覚だけに頼ることもしません。
理論だけで切り分けることもしません。
右脳と左脳。
感性と構造。
癒しと客観性。
どちらかに偏らせるのではなく、
それらが
身体の中で、統合されている状態
を育てていきます。
そのとき、
氣功師は、
「何かをし続ける人」から、
「立ち続けられる人」へと、
少しずつ変わっていきます。
この変化は、
派手ではありません。
けれど、
現場での関わりは、
確実に軽くなり、
力の及ぶ範囲は深くなり、
自然で、長く続くものになります。
次の章では、
なぜ三和氣功が
「感覚」だけでなく
「理論」も大切にしているのか。
その理由を、
感覚を偶然にしない
という視点から、見ていきます。
第5章|なぜ三和氣功は「理論」も大切にするのか
―― 感覚を偶然にしないために
三和氣功では、
氣を「感じること」だけに委ねることはしません。
それは、
感覚が大切ではないからではありません。
むしろ逆で、
感覚はとても大切なものだからこそ、
偶然や調子に左右されるままにしない
ということが、
氣功師には必要である考えています。
氣功の学びの中では、
「感じられる人」「感じられない人」
という分かれ方が起きることがあります。
けれど実際には、
多くの人が、こんな状態を行き来しています。
なんとなく感じている気がする。
状態が良いときだけ起きる。
再現しようとすると、わからなくなる。
この段階では、
感覚はあっても、
自分で立てる位置がまだ定まりきっていません。
すると、
人との関わりが安定しにくくなり、
仕事として続けることに、
無意識の不安が生まれ、
また実際に人と関わった時に
自分が引き受ける側に立ってしまって
消耗しやすくなります。
三和氣功が理論を扱うのは、
氣の感覚を、安心して育てていくため
です。
理論があることで、
今、身体の中で何が起きているのかを、
少し引いた位置から見られるようになります。
うまくいかないときに、
「自分はダメだ」と切り捨てるのではなく、
身体の状態や、立っている位置に
視点を戻すことができる。
理論は、
感覚を管理する道具ではなく、
感覚に戻るための手がかり
として使われます。
このとき、
思考は主役ではありません。
思考は、
現場を仕切る指揮官ではなく、
あとから状況を整理し、
位置を確認するための存在になります。
だから三和氣功の理論は、
使いこなすための理屈でも、
操作するための知識でもありません。
身体で確かめ、
現場で揺らぎ、
あとから静かに振り返るための、
地図のようなものです。
地図があると、
迷わなくなるわけではありません。
けれど、
迷っていることに、
過剰に怯えなくなります。
「今は、ここにいるだけ」
と、自分に戻れるからです。
感覚だけに頼ると、
偶然に振り回されやすくなります。
理論だけに頼ると、
身体から離れやすくなります。
三和氣功が大切にしているのは、
そのどちらでもなく、
感覚と理解を、行き来できる位置。
その位置に立てるようになると、
氣功師は、
「毎回、変化を起こさなければならない人」
「すごいことを起こさなければならない人」
ではなくなります。
関わりの中で、
相手の状態が大きく動かないこともある。
思うような反応が出ないこともある。
自分の調子が、万全ではない日もある。
それでも、
「うまくやれなかった」と自分を責めず、
無理に何かを足そうとせず、
自分の身体の中心に、
足の着いた感覚で
静かに戻ってこられる。
そうした在り方が、
少しずつ身についていきます。
揺れなくなることを目指すのではありません。
揺れても、
必要以上に巻き込まれず、
自分の中心を見失わずにいられること。
三和氣功が大切にしているのは、
結果を出し続ける氣功師ではなく、
関わりの中で、中心を保てる氣功師
です。
第6章|その力の源泉は、どこにあるのか
誰かを癒したい。
誰かの力になりたい。
自分のことも、もっと幸せにしたい。
人や社会が、
もう少し楽に、
調和して在れたらいい。
多くの氣功師が、
この願いを出発点に、
学びを深めてきたはずです。
そして、その願いを
現実に向かわせるために、
どうすればいいのかを考えてきました。
もっと力をつけること。
もっと理解を深めること。
もっと正しく使えるようになること。
けれど、
氣功の実践を重ねていくと、
結局はこの問いに行き当たります。
この願いを、
本当に実現する力は、
どこから来ているのだろうか。
自分の意図の限界を感じたとき、
自分の無力さに目をつぶれなくなったとき、
それは、
自分の力なのか。
自分の意図なのか。
それとも、
別の何かなのか。
そういう視点が生まれます。
三和氣功では、
氣功師の成熟は、
「力をどう使うか」が上達することではなく、
力の位置が反転すること
だと捉えています。
自分が氣を使うのではなく、
氣の流れに、
自分が従っている状態。
自分の意志で動かそうとするのではなく、
すでに動いている生命の流れに、
身体ごと合っていく状態。
氣功師が
自分の力に頼ろうとしなくなったとき
氣の流れが主導権を取り始める。
この反転が起きると、
関わりの質が、
静かに変わり始めます。
癒そうとしなくても、
癒され、
場が落ち着いていく。
変えようとしなくても、
相手の中で、
必要な動きが始まっていく。
氣功師は、
流れの一部として、
その場に立っている感覚になります。
それは、
何もしないということではありません。
むしろ、
生命の動きに逆らわず、
余計な介入を減らし、
必要なところにだけ、
自然に関わっていくという、
とても成熟した関わり方です。
このとき、
癒しや変容は、
氣功師の「力」によって
起きているようには感じられなくなります。
起きているのは、
生命の流れそのもの。
氣功師は、
それを起こす人ではなく、
妨げない位置に立っている人
になります。
この位置に立てるようになると、
現実や癒しの現場での関わりは、
より深く、
より静かに、
そして長く続いていきます。
頑張り続けなくても、
引き受け続けなくても、
関係性が、自然に育っていく。
それが、
氣功師としての成熟が、
現実の中で形を持ち始める瞬間です。
ここに来ると、
「もっと上手になりたい」
「もっと癒せるようになりたい」という願いは
いつのまにか、
別の質の想いへと変わっていきます。
どうすれば、
この流れに、
より誠実でいられるだろうか。
氣を動かそうとする位置から、
氣の流れに身を置く位置へ。
自分が何かを起こすのではなく、
生命の流れが起きている場に、
身体ごと立っている。
三和氣功が大切にしているのは、
氣功を「使いこなす」人を育てることではありません。
氣とともに在り、
生命の流れに従いながら、
人や世界と関わっていける人。
その在り方が、
結果として、
癒しや変容を
深く、静かに支えていきます。
一流の氣功師とは、
「氣を出す人」ではなく、「氣そのものとして在る人」である。―― 馬光文
三和氣功では、
このような在り方を、
考え方としてではなく、
身体を通して確かめていく学びを行っています。
興味を持った方は、
三和氣功の世界観や学びの全体像を
こちらからご覧ください。
氣功師・ヒーラー
頑張ることを手放し、ありのままの状態に戻ったとき、
人はもともと備わっている力や調和を自然と思い出していく。
氣功を人生を操作するための方法ではなく、自然体で生きるための智慧として提案している。