― 陰陽バランシングヒーリングという在り方
十分な時間、
十分な安全、
十分な“何も起こらなくていい”場
それが揃ったら、
身体のほうが勝手に次元を移動する。
深いところにある傷や欠如は
意味を与えられると
逆に遠ざかることがある。
でも陰陽バランシングヒーリングは、
意味を与えない。
ただ
「起きていることが、ここにある」
それを一緒に見守る。
それができる相手がいると、
人は初めて
自分の身体の深部に降りられる。
それは治療でも
カウンセリングでも
指導でもない。
深いところには意味が要らない。
必要なのは
「ここに、誰かが居てくれた」
という事実だけ。
多くのヒーリングやセラピーは、
「何が起きているのか」を理解し、
「どうすれば良くなるのか」を探そうとします。
それ自体が間違いだとは言いません。
浅い層では、意味づけや理解が助けになることも確かにあります。
けれど、
身体のいちばん深い層、
言葉より前、記憶より前、
「生きている」という感覚そのものに触れる領域では、
意味はしばしば逆効果になります。
なぜなら、
意味を与えるという行為そのものが、
無意識に「変えよう」「解決しよう」「操作しよう」という
力みを生むからです。
深層の傷は、理屈や説明では近づけない
深いところにある傷や欠如は、
説明されることを望んでいません。
それらは
「わかってほしい」のでも
「治してほしい」のでもなく、
ただ
安全なまなざしの中で、起きることを許されたい
それだけなのです。
陰陽バランシングヒーリングが
「意味を与えない」
「分析しない」
「正解を示さない」
という立ち位置を大切にしているのは、
このためです。
ここでは、
何かを良くしようともしないし、
変化を起こそうともしません。
ただ、
起きていることが、起きているまま在る
その状態を、施術者と受け手が二人で見守ります。
「何もしない」のではない―― 立ち位置が違うだけ
誤解されやすいのですが、
これは「放置」でも「無関心」でも
「ただなにも出来ない」ということでもありません。
むしろ逆で、
とても繊細で、
とても誠実な関わり方です。
- 急がせない
- 評価しない
- 意味づけしない
- ゴールを設定しない
その代わりに、
十分な時間
十分な安全
十分な“何も起こらなくていい”余白
を、徹底的に守ります。
この条件が揃ったとき、
身体ははじめて
「守らなくていい」
「頑張らなくていい」
という判断を下します。
すると、
こちらが何かをしなくても、
身体のほうが
勝手に深い層へと降りていくのです。
それは「治療」ではない
陰陽バランシングヒーリングは、
治療ではありません。
カウンセリングでも、
指導でもありません。
なぜなら、
ここで起きているのは
「直すこと」ではなく、
本来の位置に還ることだからです。
陰と陽、
静と動、
緊張と弛緩、
意識と身体。
それらが
「どうあるべきか」ではなく、
「今どう在るか」
に戻っていく。
調えようとしないからこそ、
自然な調和が戻ってくる。
それが、
三和氣功における
陰陽バランシングヒーリングで起きることです。
深いところに必要なのは、意味ではない
身体の表層、心の浅層における施術は
分析と意味づけが有効だと言えます。
でも、深層の痛みや傷に必要なのは、
正しさでも、
説明でも、
理解でもありません。
必要なのは、
ただひとつ。
「ここに、誰かが居てくれた」
という事実。
評価せず、
離れず、
操作せず、
逃げずに、
同じ場に居続ける存在。
その事実そのものが、
身体にとっては
何よりの安全になります。
そして安全が満ちたとき、
身体は自然に、
次の次元へと移動していくのです。
陰陽バランシングヒーリングの本質は
技術やテクニックではなく、
心や身体が自ら動きだす
その自然の流れが起きる安全な「場」を生み出すところにあります。
馬明香(ま あすか)
氣功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。