鍵を握るのは根性ではなく身体
どんなに高い未来の理想を語っても、どんなに楽しいゴールを思い描いたとしても、ストレスや情動に対して耐久力のない身体ではゴールを達成することなんてできません。
そもそも、脆弱な身体では高い理想を思い描き、希望に燃えることなんてできっこないのです。
夢やゴールを手に入れたり、理想に向かって情熱を注ぐために、一般的には「身体」など関係ないと思われているのかも知れません。
でも、私たちの内部表現、脳と心は、ある側面においては「身体」そのものでもあるのです。
脳というものを介してみれば、心と身体は等しく脳の機能によって成り立っているので、「脳」、「心」、「身体」は、内部表現をそれぞれ違う抽象度、違う観点から捉えただけの、本来は一つのものであると言えます。
そのようにして考えれば、それにふさわしい身体があってこそ、希望を感じたり、理想を掲げることができて、ゴールが手に入ることがわかります。
高い理想や目標は血のにじむ努力と根性で手に入れるというような認識は古いといえます。
理想の未来は「身体性」によって手に入れるといっても過言ではないのです。
努力と根性にたよれば、むしろストレスを強調することになり身体の疲弊を招いて、希望を感じることが出来なくなり、ゴールを手に入れるためのチャンスやヒントを見失って、最悪健康を害して病気になってしまうリスクさえあります。
流れに乗るために必要な「身体性」
コーチングでは、ゴールとは自動的に達成されるものです。
ゴールを自動的に達成するためのポイントは、プロセスを「無意識」に委ねるということになります。
これを氣功の文脈で言い換えると、氣の流れにまかせるとか龍脈に乗るといった表現になるでしょう。
龍脈に乗ったり気の流れにまかせるためには、自分により多くの氣が集まり流れる必要があります。
そしてそのために必要なものは何かというと、それこそが「身体性」です。
身体性とは、単に身体に不具合があるかどうか、障害があるかないか、筋力があるかないか、運動能力が高いかどうか、若いか老いているか… ということではなく、情報に対しての感性の高さや知性の高さによって裏付けられるものです。
一般的にわかりやすく言えば、鈍感でもなく過敏でもなくバランスのよい感性であるということです。
世界や自分自身を感性豊かに、広く高く深く捉えることのできる「身体」が、私たちの人生の土台には必要だということです。
これを氣功では、丹田や軸や、周天功などを通して、身体の感覚を磨くことで洗練していきます。
丹田や軸によって私たちは氣(情報)に対する器を大きくし、沢山の氣を受け入れ流すことの出来るキャパを広げていくことが出来ます。
器が大きく、そこに滞りなく豊かな氣の出入りが起これば、身体は健康を保て、運気も上がります。
身体性が整っていれば、自分の内側外側に反応する感情や思考に対して抽象度を保つことが可能です。
その結果、ゴールに向かって行こうとする無意識の働きが無理なく発揮されることになります。
ところが、私たちの多くはストレスによる緊張と疲労によって身体性を下げ、自然のバランス感覚を見失い、身体の持っている自然治癒力や調整能力、無意識の創造性を信じられず、みずからを制限して生きています。
いとも簡単に情動に自分をのっとられ、あっさり夢やゴールを捨てて、代わりに過去に自らをしばりつけてどこにも進めなくなってしまったり、他人の言うことをよりどころにして自分の道を見失う、といった状況に陥って混乱します。
被害者意識や承認欲求、生きることへの恐れが増大して、自分の本当に望む道を進む力を失い、そこにヒントやチャンスがあるにもかかわらず、全く目に入らなくなります。
世界が自分の敵にみえ、自ら壁をつくって孤独の恐怖を感じ、自分の周りの風景が色彩を失い、重たく動きのない絵に見えてきたりもします。
その状態ではゴールは観ようとしても観ることができません。
身体性が欠落し、身体が回復力と自己調整能力を失うと疲労からの回復もままならず、病気になったり、怪我をしたりすることもあるでしょう。
緊張して冷えてぼろぼろになった身体では、ゴールなんて持つことができないし、達成する力も生まれてこない。
身体性がないと、ゴールに向かうモチベーションである自分のwant toがわからなくなります。
氣功ではこういう状態を氣の枯渇と言います。
身体の氣の流れを整え、無意識の創造性を発揮させる
氣の流れに任せて生きるということを、風水の言葉で表現すれば龍脈に乗るということになります。
これは、自力ではなく無意識の創造性に委ねることでゴールが自然と達成されるというコーチングにおけるゴール達成のメカニズムにも通じます。
そして、そのためには「身体性」に注目し身体をケアすることが必要です。
単に身体を鍛えるという方向性では不十分で、あくまでも身体性を整えるというところに注目をする必要があります。
身体性とは肉体と精神の両方にまたがってあるものです。
筋肉が発達している、運動神経が良い、検査結果の数値が清浄であるといったことだけはとらえきれない、「軸」や「丹田」といったものが必要なのです。
氣功では、静功や動功を実践する事で自然と氣の流れが整い、丹田や軸の充実した、氣の流れの良い器の大きい身体が手に入るようになっています。
身体性を上げるための最も基本的なレベルは「リラクゼーション」であるといえます。
深く緩み深くリラックスする事を繰り返すことで、身体は本来持っている力を取り戻し、身体の感性も整っていきます。
緊張に縛られ、情動に自分をのっとられ、疲弊していかないための知性や感性がよみがえってくることで、私たちは無意識に委ねて、氣の流れにまかせて楽に進むことができるようになります。
身体性が整うことで抽象度が上がります。
例えば、情動は人が豊かな人生を送るために必要なスパイスに過ぎないということがわかってきます。
特にネガティブな情動は私たちをさんざん苦しめ人生にネガティブな意味合いを与えてしまいますが、身体性があれば、情動は人生に深みを与え、彩りを加えるという点で、とても大切なものであることがわかります。
スパイスなので、お料理の味わいに奥深さを出すために不可欠のものではあっても、お料理そのもののメインにはなりません。
スパイスの使い方を誤れば素晴らしい食材やお料理を台無しにすることができるように情動もそれにとらわれてしまうと人生を台無しにすることになります。
スパイスの価値もデメリットも理解して上手く使うためには「身体性」が必要なのです。
感情や思考のエネルギーをうまく消化して吸収し、必要のないものは排泄する、そんな流れの良い心と身体を「身体性」があるといいます。
身体性を意識することによって、龍脈に乗り流れにゆだねて未来へ進む感覚を思い出しましょう。
人生を変える、自分を高める、自分と人を癒すことなどに氣功を活用できるのでは? そう思ったら氣功を学んでみましょう!
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。