心(マインド)と気功 無為自然な生き方~三和氣功

氣功で幸せを手に入れる~陰陽の間を観ると本当の自分のつながれる

中庸とは陰でもなく陽でもないということではない

「中庸」とは孔子のとなえた概念で、偏りのない状態のことをさします。いうまでもなくその背景には陰陽論があって、陰と陽とその間にある中庸というとらえ方です。

儒教においては最高で難解の徳とされ、単なる中心とか中央を指す概念ではありません。

ましてやそれは陰でもなく陽でもない、どっちでもない状態という意味でもありません。

中庸が示すような「真ん中」とか「バランス」という概念は、陰陽の内側にこそあるのであって、陰陽の外にあるわけではありません。

つまり、陰でもなく陽でもない立場をとるとか、この世の混沌とした有り様から距離を置くということではないのです。

よって、心煩わせずに現実の様々な出来事との関わりを避けるという態度や発想では、中庸は得られるはずもありません。

むしろ、陰陽の波のまっただ中、混沌と迷いのまっただ中にいるからこそ見えてくる境地です。

ですから私たちはまず迷いと悩み、欲と願望のなかにあっていいのです。

そこからでしか中庸に至るような高い視点や深い洞察は得られないからです。

 

なぜ中庸は難しいのか

中庸はまさしく偏らない真ん中ということですが、なぜそれが難解で最高の徳とされているのかと言えば、本当の真ん中を知る術は私たちにはないからです。

自分の観点から観ている限りは絶対に何が真ん中で、どこが中央かは決して見えないからです。

なぜか。

自分の観点は相対的に常に陰か陽かどちらかになっているからです。

「私」という自我意識は、自分以外の相手や世界があってこそ生じるのであって、相対的に陰か陽かの極のいずれかになるしかないからです。

いいかえれば私という意識で観ている世界には必ず偏りがある、スコトーマ(心理的盲点)が生まれているということです。

よって、自分の感覚で陰でもなく陽でもなくその真ん中をみたつもりでも、そもそもの視点が一つの極である以上、それは正しく真ん中で有るはずが無いということです。

これが、儒教において「中庸」が難解で最高の徳とされている所以です。

 

陰と陽の「間」に物事が生まれる

古代中国の神話における天地創造の理は、太乙という分離のない状態から陰陽が分離し、陰の氣と陽の氣が交流することで、世界が生まれていったというものです。

陰と陽という相対する二極があるからこそ、世界は生まれ、変化し、滅んではまた生まれることを繰り返していくのです。

この際に重要なのは陰陽の間には必ず「関係」が生じるということ。

二極に分離した途端に、そこには陰と陽とその「間」(=関係性)が生じるのです。

そしてその関係性の中から様々な物事が生じ発展していくわけです。

例えばこの世界に自分しかいなければ、体験の生まれる余地がなく物事の生まれる余地はないのです。

もちろんそれ以前に自我意識さえ生まれないのです。自我意識のないところにはもちろん創造も創造する世界も生まれようがありません。

よってこの世界が生まれ存続していくためには、分離と、分離が生じると自動的に生まれる「間」=交わりがなくてはならない。

「中庸」はまさにこの「間」に捉えるものです。

この「間」とは、自分の観点と相手の観点の交わるところと言ってもよいでしょう。

そこに創造が生まれると陰陽論は示しているのです。

 

「己」を捨てれば「間」を正しく捉えることができる

陰陽論が示しているこの世界の創造原理は、「陰」と「陽」と「間(その交わり)」の三位一体の中にあります。

実はそれが天(陽)・地(陰)・人(間)の和である「三和」の意味するところでもあります。

分離した様々な要素とその「間」または「交点」、そこにこの世界がありそこに私たちの体験が生じます。

しかしながら、先にも述べたように私たちはその創造の一部であっても、通常その創造原理そのものを手にすることはできないし、創造の世界の中にあっても、陰と陽の一方の観点でしか世界を観ることができないに創造の中心を捉えることができません。

ではどうしたら私たちは創造の生まれるその中心を捉えることができるのでしょうか。

それは自分の観点を捨てることです。

己を捨てることによって自分と相手、自分と世界の「間」の三和、三位一体を観ることができます。

そうすることで「中庸」にあることができるようになります。

己を捨てるとは、「無我」を知るということでもあり、そもそもこの世界は空である演技の世界であることを理解することでもあります。

そこは陰陽の交わりである創造の場につながり、また本当の自分に出会える場所でもあるのです。

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