三和氣功でいう「深める学び」は、
知識を増やしたり、
技術を積み重ねていくためのものではありません。
うまくなろうとしたり、
より良い状態を目指そうとする感覚から、
少し距離が生まれていることがあります。
このところで起きているのは、
人生との関わり方そのものが、
いつのまにか変わっている、
という変化です。
静けさの中で、はっきりしてくる問い
調える学びに触れている時間が続くと、
ある頃から、
こんな感覚が重なってくることがあります。
落ち着いてはいるけれど、
どこか、触れていない感じが残っている。
整っているのに、
人生と距離があるように感じられる。
「どう生きるか」という問いが、
無理なく、はっきりしてくる。
これは不足ではありません。
何かが足りないという合図でもありません。
ただ、
人生に触れている位置が、
いつのまにか変わっている。
それだけのことです。
深めるという変化について
三和氣功でいう「深める」は、
何かを積み重ねていくことではありません。
努力を重ねるというよりも、
氣功が日常の中に入っていく過程で
気づくと、
自分を観ている位置が
少し変わっていることがあります。
感情や思考に、
以前ほど巻き込まれなくなっている。
出来事との距離感が、
自然と変わっている。
“中に入り込む”というよりも、
いつのまにか、
少し引いたところから
眺めている時間が増えている。
そんな変化です。
この位置では、
癒す人/癒される人
教える人/学ぶ人
といった関係性も、
必要以上に意味を持たなくなっていきます。
この段階で、起きやすくなること
深める学びに触れている時間が続くと、
意図せず、
次のような変化が重なってくることがあります。
何かを起こそうとする衝動が、
以前ほど強くならない。
人生をコントロールしようとする感覚が、
少しずつ薄れていく。
正しさで自分や他人を測ることに、
距離が生まれてくる。
静けさの中で起きていることを、
そのまま眺めている時間が増えていく。
ここでは、
「感じられているか」
「できているか」
といった基準は、
自然と意味を持たなくなっていきます。
ただ、
どの位置から人生に関わっているのか。
その問いだけが、
静かに残り続けます。
この段階で、言葉として触れられること
深める学びに触れていると、
これまで断片的に感じていたことに、
あとから言葉が追いついてくることがあります。
たとえば、
起きている現象を、
評価や意味づけをせずに観ている時間。
意識と氣が、
切り離せないものとして感じられる瞬間。
陰陽という枠を越えて、
バランスが動いている感覚。
操作しなくても、
何かが立ち上がっているという経験。
人生を、
誰かのせいにせず、
誤魔化さずに引き受けている感じ。
こうした言葉は、
理解して身につけるためのものではありません。
日常の出来事や、
自分の反応そのものが、
そのまま学びの素材になっていきます。
深める学びに触れている人が、関わることの多い場
三和氣功の中には、
深める学びと自然に重なっていく場があります。
氣功師養成講座(アドバンス以降)
氣功を「技術」として扱うのではなく、
日常や人生との関わりの中で、
在り方や立ち位置が問われ続ける場。
誰かを変えるためではなく、
自分の人生との関わりを、
誤魔化さずに引き受けていく時間です。
個別での継続的な対話と実践
一人ひとりの状態や立ち位置の中で、
いま起きていることそのものを、
そのまま素材として扱っていく関わり。
正解やゴールは、
あらかじめ設定しません。
このページについて
このページは、
「ここまで来てください」と伝えるためのものではありません。
読んでいて、
まだ遠いと感じたなら、
その感覚は、とても正確です。
深める学びは、
準備ができた人のための場所ではなく、
すでに立っている位置から、
目をそらせなくなっている人が、
自然に触れてしまう場所です。
ここで、
何かを決める必要はありません。
この言葉が、
今の自分の感覚とずれているなら、
それで問題ありません。
必要になったときに、
「ああ、こういう場所だったな」と
思い出されるように、
このページは置かれています。

