心(マインド)と気功

氣功で理想の自分を手に入れる~祈りと氣功の関係

祈りは氣功そのもの

祈りという言葉の「のり」とは「宜り」または「告り」であり、命や神聖なものを意味する「イ」に宣言することがその語源となっていると言われています。

祈りとは、いわゆる神頼みのようなお願いではなく、自分の意志を宣言することなのです。

宣言とは、自分の意識をまっすぐに対象に向けて飛ばすことであり、その点氣功と全く変わりがありません。

氣功とはそもそも内部表現(情報)を書き換える技術です。その点において、祈りのと何ら違いはありません。

一心に祈りを捧げているときと氣でヒーリングをしているときの意識状態はほとんど同じと言っても良いでしょう。

まっすぐな意志には「氣」が宿り、その氣が向けられた対象はそれを受けて書き換わります。

実際、祈りという形で私たちは現実に変化を起こすことが可能です。

精神神経免疫学における祈りの研究では祈られている人はそうでない人より病状が良くなったり回復率が高くなることや、祈りの習慣が寿命に影響するといったデータが存在しています。

 

祈りはなぜ強力なのか~①ダブルバインド(二重拘束)がないから

祈りは宣言であるといいましたが、祈りにこれだけ内部表現書き換えの力があるのは、それが「宣言」であるためです。

宣言がなぜ強力なのか、その理由は、そこに迷いや悩みがないからです。

通常、私たちが悩むのは、こうであって欲しいという願望があってそれが手に入らない、入っていないので悩むわけです。

そして、そこにはこうした方が良いんじゃないか、いやこうしたら逆効果じゃないか、と様々な迷いが生まれます。

このような状態では意識のベクトル、すなわち氣の力は過去に向いたり未来に向いたり、様々な方向へ分散してしまって、潜在意識はどこにリソースを注げば良いのか、何を実現したいのかよくわからないということになってしまいます。

よく言われる、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状態を生んでいるわけです。

これはダブルバインドと言って、「同時に相矛盾する二つの次元のメッセージを受け取った者が、その矛盾を指摘することができず、しかも応答しなければならないような状態」をさし、非常にストレスのかかる状態です。

この状態にあると、何かを実現したくてもただただ無駄にエネルギーを消費することになり、緊張や疲弊を生むだけになってしまいます。

これに対して祈りは、宣言であるが故に一つの意志だけが発動していてダブルバインドが発生しません。

 

祈りはなぜ強力なのか~②陰陽の二項対立を超越しているから

私たちはこうなりたい、あれが欲しい、幸せになりたい、成功したい… といった願望を持っていて、それが手に入ったらいいな、実現したらいいなと思っています。

でも、よくよく観察してみればその願望の裏には、こんな状態はイヤだ、私は不幸せだ、私には成功する力がない… などといった悩みが同時にあります。

幸せになりたいと思っているとき、それは陰と陽の「陽」だけを手に入れようと望んでいる状態ですが、陰と陽は表裏一体でしか存在しないので、幸せを手に入れるということは潜在的にはその真逆の状態を手に入れようとしていることと同じです。

幸せとは、不幸な状態があって始めて体験し得るのであって、不幸と切り離された幸せなどないのです。

陰と陽は常に入れ替わる可能性を潜在的に有しているので、幸せはいつまでも続かないと言うことになります。

すでにお気づきかと思いますが、私たちの悩みと願望は陰陽の関係そのものです。

よって、悩みや願望のレベルにとどまって物事や人間関係を観ていると、陰と陽は表裏一体で、且つ陰陽は入れ替わる可能性を持っているという陰陽二元の関係から抜け出せないわけです。

これに対して祈りは、陰陽の二元性を超越したところに意識を向けています。

これは陰陽の分離に意識を向けていないので陰陽のすべての可能性を丸ごと認めている状態になります。

コインの裏だけ、または表だけを手に入れようとするとコインそのものをあつかうことはできませんが、裏だけ表だけを見るのではなくコインそのものを観て、そのコインを扱える状態になっていると言うことです。

抽象度という概念を使えば、現状(悩ましい状態)もゴール(願望、理想)も同時に認めることで抽象度が一気に上がるのです。

抽象度とは、どれくらい高い視点で物を見ているかを示す概念ですが、高い視点を持てば持つほど潜在的に扱える情報エネルギーは上がるので、抽象度が上がればそれだけ情報的インパクトが強いということです。

そういうところで働くのが「意志」なのです。

 

祈りはなぜ強力なのか~③無意識に委ねているから

祈りという行為は、対象に意志を向けて放つだけです。

ただただ、意志を宣言し、意志を放つという行為であって、そこに具体的に何かをするという別の行動が入る余地はないのです。

これはまさにゴールを設定するのと似たような行為です。

あなたは助手席に座ってカーナビに目的地を設定したら、後は無意識がそこへ連れて行くのを待つだけという感覚と同じです。

委ねる相手は、神様でも何でも良いけれど、本質的には無限の可能性を力を秘めている「無意識」の創造性に委ねるということです。

祈りがまさに無意識の創造的な力を引き出すことを示す研究報告は、効果を手にするのに、祈られる側が祈ってもらっていることを知っている必要はないと言うことです。

つまり、祈りの力が現実を書き換えるのに、意識が介入する必要はないということ。

これは祈ったら後は何もしなくて良いということと同じです。

祈りが現実を書き換えるのに意識の介入は別に必要ないのですから、あなたはあなたの意志を明確に放つ以外には、意識的に何もする必要がないということ。

すなわち、あなたの意志を宣言した後はすべて委ねてこそ、強力な書き換えが起こる余地が生まれると言うことなのです。

いかがですか、これが祈りの力。

そして、氣功を使いこなすためのヒントもここにあります。

 

 

 

 

 

 

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