被災や倒産など自分の力を超えた不幸な出来事は自分が引き寄せているのか?
内部表現のしくみがわかると、自分の意識、つまりマインドが現実を作っていることがわかります。
無意識に持っているセルフイメージや信念にふさわしい現実をマインドは作り出すからです。
よって、不幸な出来事や不運な出来事は、自分は不幸だとか、自分は運が悪いといったセルフイメージや信念により、そのような出来事を体験するのだと説明がつきます。
引き寄せの法則を科学的な言葉で説明するとしたら、おおよそそんなところになります。
でも、大災害に巻き込まれたり、コロナのような世界的な感染症の流行など、自分個人をはるかに超えた規模の不幸や不運は、本当に自分が引き寄せたのでしょうか?
答えは、NOではないでしょう。
ただし、そういった規模の出来事は、多くの人間がかかわることであり、その場合は集合的な意識がかかわっていると言った方が妥当です。
例えば、世界中の人々の「恐れ」が大きな災害を招くとか、そういうことはあるでしょう。
時代時代によって人類全体の意識は変化します。
よって個人的なというよりは、人類的な規模のイベント、革命や戦争、災害、疫病はその時代を象徴するものとして体験されるということはあります。
ただし、個人のレベルにおいて体験する被災経験や戦争体験などは、やはり、その人を打ちのめすような威力を持っていることは確かで、人生を根底から覆されるような、そんな出来事の当事者になった時には、
もう一歩抽象度を上げて、一見不幸や不運に思える出来事を考えてみることも大切です。
善悪や優劣の基準で見ていると見えない世界がある
それは、そのような出来事をみずから選んでいる可能性もあるということです。
一般的に不幸だとか、不運だと認識されるような大きなイベントをあえて体験するように、無意識が選んでいるのだとしたらどうでしょうか?
そもそも、不幸であるとか不運であるとかいう基準は、起きた出来事に対して一方的な認識と言わざるを得ませんし、
幸せは良くて不幸だから悪いといった評価も、実はかなり視野狭窄と言わざるを得ません。
これは縁起の世界観や陰陽論を理解すればわかることです。
そして、ゲシュタルトは常に個と全体の相互関係において変化するものなので、不運に見えた出来事が未来の視点に立ってみるとむしろ幸運だったという解釈に変わることはよくあります。
「夜と霧」の著者であるビクトール・フランクルの残した言葉に「人生が私に期待していることはなんだろうか」というものがあります。
これは彼自身がアウシュビッツ収容所の過酷な体験を通して見出した言葉です。
ここから見えてくるものは、自分を超えたもっと大きな自己という視点です。
それを彼は「人生」と表現しています。
大いなるものと呼ぶ人もいるでしょうし、宗教的な背景を持つ人は神と表現するのかもしれません。天という人もいるでしょう。
いずれにせよ、自分の意識ではとらえられない大きな意図、フランクルの言葉を借りれば「期待」をそこに感じとっているからこそ、
極限的な悲惨な体験の中にも価値やヒントやチャンスを見出すことができるのです。
大いなる意図が、自分に望んでいる生き方やゴールのために必要な何かを、人生のあらゆる出来事を通して与えてくれるのです。
その意図が何かはわからないし、自分が生まれてきた究極の目的すら私たちは意識にあげられません。
でも、それでも、人はその大きな意図に突き動かされて、導かれて生きているはずです。
そうでなければ、人類がここまで発展することはなかったし、そしてこれからも成長し続けることはないのです。
私たちの顕在意識は、ほんの数パーセントのことしか意識にあげられない。
海面に突き出た氷山の一角は、大いなる意識のほんのほんの小さなごく一部でしかなく、そこで認識できることはほんのわずかで、起きる出来事の意味や価値などは私たちにはほとんどわからない。
私たちには見えず、触れられもしない世界の方がそもそもほとんどなのです。
だから、この世はわからないことだらけ、自分のコントロールを超えていることだらけでいいのです。
けれど、海面の氷山の一角は紛れもなく大いなる意識の一部ですから、無意識レベルで、つまり意識できないところでその大いなる意識の影響を受けている。
すべての人が、その根源的な意識に突き動かされ、どこかに向かって導かれているのです。
その意味で言えば、やはり人生には、自分にとって必要なことしか起きないし、出会う必要のある人としか出会わないし、自らそれらを選択しているということが言えます。
ネガティブなパターンが繰り返されたり、病気にかかったりしたら、それはあなたの内部表現(信念や自己イメージ)だから仕方がないとか、自己責任だと片づけることもできます。
でも、抽象度を上げればそうした出来事を通して私たちは気づくことができるはずです、その出来事が起きた本当の意味や価値に。
大いなる意識は、出来事を通して私たち個人個人に何度も何度もメッセージを送ってきているし、導いています。
誰しもが、自分では完全には意識にあげられない究極のゴールに導かれているのだとしたら、人生で起きることに何一つ無駄や偶然などないのです。
気功師、ヒーラー、セラピスト
認知科学をベースとしたヒーリングと中国の伝統気功を用いて、病人を辞めて、本来の自分の生き方に立ち返り自己実現を目指す生き方を追求している。
本当になりたい自分を実現し生きることこそ、病気を治すことの唯一の道であり、どんな状況にあっても自分の価値を探求しながら人生を生きることが人の本当の幸せであることを信じて活動している。
「道タオ」に通じる気功的な生き方、すなわち、頑張らず無理せず、自然体であれば、自ずと自分が持っている本来の魅力や能力が発揮され、健康に豊かに幸せに生きられるはず。
人生のパフォーマンスを最高に高めていくための一つの道具として氣功を提案している。